第23期竜王戦の本戦トーナメントの表が完成しています。例年通りに展望することにします。
まず左の山ですが,中心となるのはやはり久保利明二冠ということになるでしょうか。また,郷田真隆九段は,1組予選の1回戦で寝坊して不戦敗。その汚名返上のためにもおそらく気合が入ると思われ,対抗格に推します。個人的には村山慈明五段と戸辺誠六段のふたりの戦いぶりにも注目しています。
右の山は当然ながら羽生善治名人が本命。ただ,一発勝負のトーナメントならだれが勝ち上がってきても不思議ではない顔ぶれ。阿久津主税七段とか松尾歩七段が挑戦ということになれば,新鮮な顔合わせの竜王戦になりますし,もちろんそうなる可能性も大いにあるでしょう。
例年はどちらの山から挑戦者が出るかを展望し,たぶんそれはずっと当たっていたと思うのですが,今年はどちらの山からというのは難しい。したがって羽生名人が本命で久保二冠が対抗。3番手に郷田九段ということにしておきます。
本選の開幕は来月7日。今年も個人的に注目できる対局に関して何局かここで取り上げることにします。
糖尿病を患っている方の中にはもしかしたら同じように感じている方もいらっしゃるのではないかと思うのですが,僕は日々の生活の中で,糖尿病という病と闘っているという感じが少しもありません。むしろこの病気と共に生きているという実感の方がずっと強く感じられます。スピノザの哲学において完全性の移行といわれるとき,その移行と完全性の関係ということをどのように考えるのかという点は議論の分かれるところと思いますが,これでいえば僕の身体が糖尿病という病気を抱える身体になった,とくに僕の場合はⅠ型糖尿病ですから,インスリンがしっかりと出る身体から出ない身体になったということで,本性そのものが変化したというように考える方がしっくりときます。スピノザの哲学における完全性というのは,僕の考えでは力という点からみた本性ですから,本性が異なれば完全性も異なります。よって僕はこのことによって,自分自身の身体の完全性が低下したというようにはあまり思えないのです。別のいい方をするなら,糖尿病を発症する以前の身体と,これを発症した後の身体とでは,本性自体が異なるのですから,両者の完全性を比較するということはできないし無意味であるように思えるのです。
もしも糖尿病との闘いというのがあるとすれば,僕にはそれは病気の発症以前にあるように思えます。それは規則正しい生活とか,バランスの良い食事とか,適度な運動というようなことになるのでしょう。もっともこれは厳密にいうならⅡ型糖尿病との闘いというのが適切であって,Ⅰ型の場合にはこうした戦いによってもあるいは発症を防げるというものではないのかもしれません。
今回,僕が闘病記ではなく,共生記ということばを用いたのにはこうした理由があります。糖尿病共生記というのは,人によっては違和感があるような表現であるかもしれませんが,僕があえてこのようにいってみたことには,こうした理由があるということをご理解ください。
まず左の山ですが,中心となるのはやはり久保利明二冠ということになるでしょうか。また,郷田真隆九段は,1組予選の1回戦で寝坊して不戦敗。その汚名返上のためにもおそらく気合が入ると思われ,対抗格に推します。個人的には村山慈明五段と戸辺誠六段のふたりの戦いぶりにも注目しています。
右の山は当然ながら羽生善治名人が本命。ただ,一発勝負のトーナメントならだれが勝ち上がってきても不思議ではない顔ぶれ。阿久津主税七段とか松尾歩七段が挑戦ということになれば,新鮮な顔合わせの竜王戦になりますし,もちろんそうなる可能性も大いにあるでしょう。
例年はどちらの山から挑戦者が出るかを展望し,たぶんそれはずっと当たっていたと思うのですが,今年はどちらの山からというのは難しい。したがって羽生名人が本命で久保二冠が対抗。3番手に郷田九段ということにしておきます。
本選の開幕は来月7日。今年も個人的に注目できる対局に関して何局かここで取り上げることにします。
糖尿病を患っている方の中にはもしかしたら同じように感じている方もいらっしゃるのではないかと思うのですが,僕は日々の生活の中で,糖尿病という病と闘っているという感じが少しもありません。むしろこの病気と共に生きているという実感の方がずっと強く感じられます。スピノザの哲学において完全性の移行といわれるとき,その移行と完全性の関係ということをどのように考えるのかという点は議論の分かれるところと思いますが,これでいえば僕の身体が糖尿病という病気を抱える身体になった,とくに僕の場合はⅠ型糖尿病ですから,インスリンがしっかりと出る身体から出ない身体になったということで,本性そのものが変化したというように考える方がしっくりときます。スピノザの哲学における完全性というのは,僕の考えでは力という点からみた本性ですから,本性が異なれば完全性も異なります。よって僕はこのことによって,自分自身の身体の完全性が低下したというようにはあまり思えないのです。別のいい方をするなら,糖尿病を発症する以前の身体と,これを発症した後の身体とでは,本性自体が異なるのですから,両者の完全性を比較するということはできないし無意味であるように思えるのです。
もしも糖尿病との闘いというのがあるとすれば,僕にはそれは病気の発症以前にあるように思えます。それは規則正しい生活とか,バランスの良い食事とか,適度な運動というようなことになるのでしょう。もっともこれは厳密にいうならⅡ型糖尿病との闘いというのが適切であって,Ⅰ型の場合にはこうした戦いによってもあるいは発症を防げるというものではないのかもしれません。
今回,僕が闘病記ではなく,共生記ということばを用いたのにはこうした理由があります。糖尿病共生記というのは,人によっては違和感があるような表現であるかもしれませんが,僕があえてこのようにいってみたことには,こうした理由があるということをご理解ください。
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