11日に指された第7期女流王座戦挑戦者決定戦。対戦成績は加藤桃子女王が2勝,香川愛生女流三段が0勝。
振駒で香川三段が先手になりノーマル四間飛車穴熊。後手の加藤女王は天守閣美濃から端玉銀冠。途中まではいい勝負だったと思います。
先手が9五にいた角を引き,角の成り込みがなくなったので後手が7三にいた桂馬を跳ねた局面。ここから☗2五歩☖同銀☗3七桂と進めたのですが,穴熊の桂馬を跳ねて相手の攻めを呼び込むのがやり過ぎで,ここで一気に後手がよくなったような気がします。
☖2六銀と逃げたのに対して☗2七歩と打ちましたが,これなら桂馬を跳ねる前に打った方がまだよかったでしょう。
ここから後手が攻め込みます。まず☖3七銀不成☗同銀引と交換して☖3五桂。ここで☗3六金と逃げるのは仕方なかったのかもしれませんが☖5七桂成が決まりました。
☗同角は☖2七桂不成が王手角取りでアウト。実戦の☗4六銀打は懸命の粘りですが☖4七桂成とこちらの桂馬も成り込めました。
8一にいた桂馬が捌けているのが大きく,この後は自然と駒得しながら攻めていかれそうですから第2図は後手がいいでしょう。香川三段は公式戦での四間飛車穴熊の採用は初めてだったようですが,この将棋はその作戦がご自身の棋風とマッチしていなかったという印象を受けました。
加藤女王が挑戦者に。失冠した前期に続いての五番勝負出場。第一局は来月26日です。
第四部定理五八証明の手法について補足したいことがあります。
第三部諸感情の定義三〇により名誉gloriaは喜びlaetitiaの一種です。第三部定理五八により僕たちの能動actioに関係する喜びが存在します。理性ratioは精神の能動actio Mentisです。これで第四部定理五八は論証できているようにみえるかもしれませんが,この証明Demonstratioは無効です。
なぜ無効かといえば,これで論証が成功しているなら,一般に喜びの一種である感情affectusはすべて理性と矛盾せず,理性から生じることができるといわなければならないからです。つまりこの論証では,第三部諸感情の定義二八の高慢superbiaもまた,理性と矛盾せず,理性から生じることができるといわなければなりません。しかしこれは誤りです。
なぜ誤りと断定できるかといえば,第三部定理三により,精神の能動は十全な観念idea adaequataからのみ生じるからです。しかるにその定義Definitioから明白なように,人間が高慢という感情を有するためには,正当以上に自分を感ずること,いい換えれば正当以上に評価された自分の観念を必要とします。それは正当以上に評価された観念ですから,混乱した観念idea inadaequataです。つまり人間は高慢を感じるためには混乱した観念を必要とするのです。よって,高慢は理性と矛盾し,理性から生じることはできません。
同じような感情としては第三部諸感情の定義一二の希望spesがあります。これも定義から明らかなように,希望を感じるには疑っている何らかの観念を必要とします。第二部定理四三により,僕たちは真理veritasについては疑えないので,疑っている観念は誤った観念idea falsaすなわち混乱した観念です。つまり僕たちは希望を感じるためには何らかの混乱した観念を必要とします。よって希望は理性と矛盾し,理性から生じることはできないということになります。
ただし,高慢は僕たちに利益を齎しませんが,希望はそうではありません。第四部定理五四の備考Scholiumでは次のようにいわれています。
「人間は理性の指図に従って生活することが稀であるから,この二感情すなわち謙遜と後悔,なおそのほかに希望と恐怖もまた,害悪よりもむしろ利益をもたらす」。
自己嫌悪humilitas,後悔poenitentia,希望,不安metusは,理性と矛盾しても有益ではあるのです。
振駒で香川三段が先手になりノーマル四間飛車穴熊。後手の加藤女王は天守閣美濃から端玉銀冠。途中まではいい勝負だったと思います。
先手が9五にいた角を引き,角の成り込みがなくなったので後手が7三にいた桂馬を跳ねた局面。ここから☗2五歩☖同銀☗3七桂と進めたのですが,穴熊の桂馬を跳ねて相手の攻めを呼び込むのがやり過ぎで,ここで一気に後手がよくなったような気がします。
☖2六銀と逃げたのに対して☗2七歩と打ちましたが,これなら桂馬を跳ねる前に打った方がまだよかったでしょう。
ここから後手が攻め込みます。まず☖3七銀不成☗同銀引と交換して☖3五桂。ここで☗3六金と逃げるのは仕方なかったのかもしれませんが☖5七桂成が決まりました。
☗同角は☖2七桂不成が王手角取りでアウト。実戦の☗4六銀打は懸命の粘りですが☖4七桂成とこちらの桂馬も成り込めました。
8一にいた桂馬が捌けているのが大きく,この後は自然と駒得しながら攻めていかれそうですから第2図は後手がいいでしょう。香川三段は公式戦での四間飛車穴熊の採用は初めてだったようですが,この将棋はその作戦がご自身の棋風とマッチしていなかったという印象を受けました。
加藤女王が挑戦者に。失冠した前期に続いての五番勝負出場。第一局は来月26日です。
第四部定理五八証明の手法について補足したいことがあります。
第三部諸感情の定義三〇により名誉gloriaは喜びlaetitiaの一種です。第三部定理五八により僕たちの能動actioに関係する喜びが存在します。理性ratioは精神の能動actio Mentisです。これで第四部定理五八は論証できているようにみえるかもしれませんが,この証明Demonstratioは無効です。
なぜ無効かといえば,これで論証が成功しているなら,一般に喜びの一種である感情affectusはすべて理性と矛盾せず,理性から生じることができるといわなければならないからです。つまりこの論証では,第三部諸感情の定義二八の高慢superbiaもまた,理性と矛盾せず,理性から生じることができるといわなければなりません。しかしこれは誤りです。
なぜ誤りと断定できるかといえば,第三部定理三により,精神の能動は十全な観念idea adaequataからのみ生じるからです。しかるにその定義Definitioから明白なように,人間が高慢という感情を有するためには,正当以上に自分を感ずること,いい換えれば正当以上に評価された自分の観念を必要とします。それは正当以上に評価された観念ですから,混乱した観念idea inadaequataです。つまり人間は高慢を感じるためには混乱した観念を必要とするのです。よって,高慢は理性と矛盾し,理性から生じることはできません。
同じような感情としては第三部諸感情の定義一二の希望spesがあります。これも定義から明らかなように,希望を感じるには疑っている何らかの観念を必要とします。第二部定理四三により,僕たちは真理veritasについては疑えないので,疑っている観念は誤った観念idea falsaすなわち混乱した観念です。つまり僕たちは希望を感じるためには何らかの混乱した観念を必要とします。よって希望は理性と矛盾し,理性から生じることはできないということになります。
ただし,高慢は僕たちに利益を齎しませんが,希望はそうではありません。第四部定理五四の備考Scholiumでは次のようにいわれています。
「人間は理性の指図に従って生活することが稀であるから,この二感情すなわち謙遜と後悔,なおそのほかに希望と恐怖もまた,害悪よりもむしろ利益をもたらす」。
自己嫌悪humilitas,後悔poenitentia,希望,不安metusは,理性と矛盾しても有益ではあるのです。
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