スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

大山名人杯倉敷藤花戦&K伯母の遺産

2013-11-14 19:22:01 | 将棋
 10日の第21期倉敷藤花戦三番勝負第一局。対戦成績は里見香奈倉敷藤花が12勝,甲斐智美女流王位が5勝。
 島根県顧問による振駒で甲斐女流王位の先手。里見倉敷藤花がすぐに角を交換し,先手が向飛車,後手は居飛車で対抗形。早々に先手に不用意な一手があったため,駒得でも先手が苦しいという展開になりました。ただ,後手も決めにいくような順はなかなか選ばなかったため,何となく混戦を思わせる展開となりました。
                         
 先手が後手の飛車の横利きを遮断した局面。後手はかなり早い段階から可能であった馬を取りにいくところですが,この局面では二通り。選ばれたのは△1一銀でしたが,△2三銀ではなく,この順で取りにいったのがうまい構想でした。というのも▲同馬△同馬の後,▲5三歩成△同歩▲同銀成と先手が第1図で歩を打ったときからの狙いで攻めに出たとき,△5五馬と出る手が可能になっているからです。
 結果的にいえば,ここでは▲4二成銀と取ってしまうべきだったかもしれません。実戦は▲7四飛と浮きましたが△6五馬と根元の桂馬を取られた上,▲3四飛と王手で回ったときに△3三金と当てつつ逃げられ,さらに▲3五飛と引いたところで取られた桂馬を△5五桂と攻防に打たれてしまいました。
                         
 終盤でこうも都合がよい手ばかりを続けることができれば,それは後手が優位になります。第2図以下は眠っていた8三の飛車も成り込めるという展開になり,後手の攻めが決まっています。
 里見倉敷藤花が先勝。第二局は23日で,それに甲斐女流王位が勝つと翌日に第三局です。

 K伯母の三回忌の喪主が父の長兄であったのは,法事でいうなら,1年前のK伯母の一周忌のときと同様です。そしてそのときもそうであったように,この後は通い慣れた和食レストランで精進落としというのが通例でした。しかしこの日は精進落としはなく,ここで解散となったのです。これは,法事の開始時刻が通常よりも遅くなったための措置でした。この日にこの後で精進落としをしたならば,それがそのまま夕食ということになったでしょう。ただ,参列する親族も高齢者が多いですから,あまり遅い時間まで残ってもらうのは大変であろうという配慮から,この場で解散ということになったわけです。
 法事の喪主というのは,法事に必要な経費の一切を負担します。K伯母の場合,通夜や葬儀に関しては,遺産を利用して行いましたから,そのときにはだれも出費をしていません。ただ,その後,その遺産は法的に処理されています。要するに相続されたわけです。K伯母の場合,夫は故人で子どもはなく,両親も故人という状況でしたから,遺産は姉と弟,そして故人である夫の姉妹で相続することになりました。ただ,K伯母の弟である僕の父はその時点でやはり故人でした。この場合,僕と妹にも相続の権利が出るそうで,実際に僕も相続人のひとりとなりました。こうした事情ですから,K伯母の法事に関しては,父の長兄であるY伯父が費用の負担をすることになったわけです。
 もっとも,これは一方的に出費があるという意味ではありません。法事にはご霊前を各家族が出しますが,それはY伯父が受け取ることになっているからです。それで費用のすべてが賄えるのかは僕は分かりませんが,これまではそうした状況の中で,精進落としも行われていたのです。しかしこの日はそれを行わないということで,代わりとなるお礼がY伯父の方から参列した各家族に配られました。別にだれも損得勘定でこうした法事に参列しているわけではないでしょうが,Y伯父の方からはそうした配慮が示されたということになります。
 お寺から日野公園墓地まで同乗させてもらった親戚に家まで送ってもらいました。帰宅したのは午後5時半前のことでした。
コメント
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