静岡県掛川市で開幕となった第61期王将戦七番勝負第一局。対戦成績は久保利明王将が21勝,佐藤康光九段が22勝。
掛川市長の振駒で佐藤九段の先手。久保王将のごきげん中飛車に③▲4八銀。後手が序盤の早い段階で類例の少ない手を指したところ先手が最も激しいと思われる手段で応戦し,乱戦となりました。
これは封じ手の局面。先手玉が妙な所に鎮座しているのは,歩得を生かすために歩を守ったため。封じ手は角を追う△4四歩で▲1八角と最も下まで引きました。後手は玉頭を狙って△6五角。先手は直接は受けずに▲7七銀と上がり,△5六飛に▲6八玉と逃げました。そこで△3三歩と打ち,▲2三銀成△同金▲2四歩△1四金と進展。
ここは後手の銀得となってさすがにいいだろうと思えるのですが,そうでもなかったよう。後手にとくに変な手があったとも思えないのですが,終ってみれば先手が差をつける形で勝ちました。なんだか狐につままれたような気がしますが,佐藤九段の腕力の強さが光った一局だったと思います。
佐藤九段の先勝。第二局は26日と27日です。
大抵の場合,初七日の法要というのは葬儀の当日に済ませてしまうものではないかと思います。その場合,火葬の後で遺骨を自宅ないしは寺に持ち帰り,営むというのが典型的なパターン。父のときもK伯母のときもこれは同様で,共に寺で葬儀当日に初七日法要も営みました。しかしこの日はそうではありませんでした。そもそも寺の所在地が平塚市内でしたから,火葬の後でそこまで行くというのは大変。したがってもしもこのパターンを選択するとすれば,アパートに遺骨を持ち帰って営むということになるでしょうが,この場合は住職の方に過度の負担を掛けてしまうことになります。もちろんそれは住職としての仕事といえば仕事には違いないでしょうが,わざわざそうせずとも済む方法があるなら,それに越したことはありません。というわけで,葬儀を営んだ直後,まだ火葬を行う前の段階で,南部斎場の式場で引き続いて繰り上げ初七日の法要も済ませました。僕は葬儀には何度か出席したことがありますが,いずれの場合にも前述したどちらか,つまり場所が自宅であるか寺であるかの相違があっただけでした。したがってこのパターンの初七日の法要は初体験でした。
火葬が11時から。その間に別室で少し早目の昼食。そして遺骨を拾い終えましたら,先に初七日の法要を営んであったわけですから,この日に予定されていたすべての儀式が終了。そこで住職と別れ,僕たち5人,つまり母と叔父と伯母,そして僕と妹の5人はレンタカーで帰りました。少し遠回りにはなりますが,ずっとお世話になっていた本牧ホームの前を経由しました。家に戻ったのが午後1時過ぎですから,葬儀としては異例なほど早くに終了したといっていいのではないかと思います。時間があればこの日は午後にひとつ仕事をしておきたいと思っていたのですが,この時間ですから何の問題もなく,というよりもむしろ時間的には余裕があるくらいでした。
仏壇がアパートにありますので,遺骨もアパートの方で管理しています。四九日法要のときに納骨するということもすでに決まっていて,これは今月の28日の予定。祖父の遺骨が納められている墓が大和市内にありますので,当然ながらそこに納骨するということになります。
掛川市長の振駒で佐藤九段の先手。久保王将のごきげん中飛車に③▲4八銀。後手が序盤の早い段階で類例の少ない手を指したところ先手が最も激しいと思われる手段で応戦し,乱戦となりました。
これは封じ手の局面。先手玉が妙な所に鎮座しているのは,歩得を生かすために歩を守ったため。封じ手は角を追う△4四歩で▲1八角と最も下まで引きました。後手は玉頭を狙って△6五角。先手は直接は受けずに▲7七銀と上がり,△5六飛に▲6八玉と逃げました。そこで△3三歩と打ち,▲2三銀成△同金▲2四歩△1四金と進展。
ここは後手の銀得となってさすがにいいだろうと思えるのですが,そうでもなかったよう。後手にとくに変な手があったとも思えないのですが,終ってみれば先手が差をつける形で勝ちました。なんだか狐につままれたような気がしますが,佐藤九段の腕力の強さが光った一局だったと思います。
佐藤九段の先勝。第二局は26日と27日です。
大抵の場合,初七日の法要というのは葬儀の当日に済ませてしまうものではないかと思います。その場合,火葬の後で遺骨を自宅ないしは寺に持ち帰り,営むというのが典型的なパターン。父のときもK伯母のときもこれは同様で,共に寺で葬儀当日に初七日法要も営みました。しかしこの日はそうではありませんでした。そもそも寺の所在地が平塚市内でしたから,火葬の後でそこまで行くというのは大変。したがってもしもこのパターンを選択するとすれば,アパートに遺骨を持ち帰って営むということになるでしょうが,この場合は住職の方に過度の負担を掛けてしまうことになります。もちろんそれは住職としての仕事といえば仕事には違いないでしょうが,わざわざそうせずとも済む方法があるなら,それに越したことはありません。というわけで,葬儀を営んだ直後,まだ火葬を行う前の段階で,南部斎場の式場で引き続いて繰り上げ初七日の法要も済ませました。僕は葬儀には何度か出席したことがありますが,いずれの場合にも前述したどちらか,つまり場所が自宅であるか寺であるかの相違があっただけでした。したがってこのパターンの初七日の法要は初体験でした。
火葬が11時から。その間に別室で少し早目の昼食。そして遺骨を拾い終えましたら,先に初七日の法要を営んであったわけですから,この日に予定されていたすべての儀式が終了。そこで住職と別れ,僕たち5人,つまり母と叔父と伯母,そして僕と妹の5人はレンタカーで帰りました。少し遠回りにはなりますが,ずっとお世話になっていた本牧ホームの前を経由しました。家に戻ったのが午後1時過ぎですから,葬儀としては異例なほど早くに終了したといっていいのではないかと思います。時間があればこの日は午後にひとつ仕事をしておきたいと思っていたのですが,この時間ですから何の問題もなく,というよりもむしろ時間的には余裕があるくらいでした。
仏壇がアパートにありますので,遺骨もアパートの方で管理しています。四九日法要のときに納骨するということもすでに決まっていて,これは今月の28日の予定。祖父の遺骨が納められている墓が大和市内にありますので,当然ながらそこに納骨するということになります。