おかしなタイトルになってしまった。まず10日のコメントにここでレスします。
僕がスピノザを読むようになった直接のきっかけは,学生時代にエーリッヒ・フロムの諸著作(『自由からの逃走』など)を読んだこと。フロムは様ざまなところでスピノザに言及しているのです。そのとき,世界観のシンプルさに新鮮さこそ感じましたが,今から思えば,哲学に関しては何も理解できていなかったですね。ずっと後に,自由意志について考えていたときにスピノザを思い出し,やっと本格的に読むようになりました。で,そういう一定の要素があって読んでも非常に難しく感じますから,何の前提もなしに読み始めれば眠くなって当たり前でしょうね。
定理一二にどこか不明瞭なところがあるというのは、カーリーの示唆によって気付きました。たぶんカーリーは,経験的にいって定理一二は不成立と考えていると思うんだけれども,エチカというのは純粋に論理的に書かれているわけで,もし定理一二が不成立であるなら,そこに至る論理展開に破綻が生じている筈。というわけで,まずは定理一二への論理展開をみてみないといけないみたいです。
僕がスピノザを読むようになった直接のきっかけは,学生時代にエーリッヒ・フロムの諸著作(『自由からの逃走』など)を読んだこと。フロムは様ざまなところでスピノザに言及しているのです。そのとき,世界観のシンプルさに新鮮さこそ感じましたが,今から思えば,哲学に関しては何も理解できていなかったですね。ずっと後に,自由意志について考えていたときにスピノザを思い出し,やっと本格的に読むようになりました。で,そういう一定の要素があって読んでも非常に難しく感じますから,何の前提もなしに読み始めれば眠くなって当たり前でしょうね。
定理一二にどこか不明瞭なところがあるというのは、カーリーの示唆によって気付きました。たぶんカーリーは,経験的にいって定理一二は不成立と考えていると思うんだけれども,エチカというのは純粋に論理的に書かれているわけで,もし定理一二が不成立であるなら,そこに至る論理展開に破綻が生じている筈。というわけで,まずは定理一二への論理展開をみてみないといけないみたいです。