企業で成果主義が導入されたのは90年初頭、バブル経済が崩壊した直後だ。会社というある意味護送船団の中で会社と共に栄え共に衰退する家族主義的な古典的発想はそこで絶滅した。家族や住宅などの諸手当も若年者から不公平だとの声で廃止された企業もある。生き残りをかけた企業戦略として当時は当たり前の感があったが、ここにきてひずみが社会現象として噴出したともいえる。10年度労働局に寄せられた職場のいじめは約4万件に上り激増の一途をたどっているそうだ。「社内旅行参加を拒否される」「忘年会に呼ばない」などはまだかわいいほうで、「物を投げる」等の傷害に近い行為、毎日「辞めてしまえ」と脅迫を受けるなど犯罪を疑われる行為が横溢しているそうだ。全く違った価値観を持った人間で形成される会社社会、まして排除の理論が優先される村社会の日本では、その類の話はままあることなのかもしれない。だが、助長したのはやはり根底にある成果主義による給与査定制度ではないか。この制度は、能力万能主義とも同義語で、成績だけが尊重され、それ以外のものはすべて否定され人間の評価にも直結する。しかもその制度は部下の能力を発揮させる、引き出すことも包含される。期待に応えられない部下の存在は自身の評価をも貶めるのだ。制度を取りいれた多くの企業でこのような問題が現れている。制度が人間関係を破壊しているのかもしれない。