「地元の方々の了解を得た上で、順次再稼働するということしかないと私は思います」
「僕らはあまりにも100%安全だということを強調しすぎていたのかもしれない。でも、考えてみると世の中100%ということは、あり得ない。ただそれを極限まで小さくしていく努力をするということではないでしょうか。自動車だって毎年数千人の方が亡くなる。でも皆さんは自動車を使い続ける。原発を自動車と同列に論ずるつもりはないが、結果としてみれば、そういう問題と共通するものがあるんだと。しっかりとした安全基準、さらに想定を上回るような事態が起きた時の国の規制のあり方、電力会社の対応のあり方というものを、新たに決めていくということです」
これは27日放送された報道ステーションに出演した北海道5区選出の衆議院議員、自民党町村信孝氏の発言だ。
福島第一の事故で、巧妙に隠蔽されてきたものが露わになった。その第一が原子力村といわれる利権集団。政官学が一体となって、公金や電気料金で潤っていく仕組みだ。電力会社には多くの経産省のOBが天下りする。安全のお墨付きを与えた経産省と、研究費や講演料の名目で学に多額の金が落ちる。見事な構図としか言いようがない。
人件費や設備投資などの必要経費に利益を乗せた総原価算定や、発電コストが低いと喧伝された原発は廃炉を含めた費用を算入すると、決して割の合うものではなかったことも事故により明らかになった。
運転再開には地元の了解が必要だとするが、地元とは言ったどこまでを指すのか。広域放射線汚染の実態を見れば、半径数百キロの住民が運転決定の賛否権を有しているはずだ。立地自治体だけの判断を尊重するなど言語道断。
言わずもがなだが、自動車事故と原発事故に共通するものなど微塵もない。
2009年札幌で行われた自民党総裁選の演説会で、政権復帰のために人心刷新して新生自民党の結成を訴えた河野太郎が街宣車から引けるとき、町村氏は河野氏の握手にも応ないばかりか、目も合わさず「誹謗中傷もいい加減にしろよ」と切り捨てた。自民党の凋落は、変革しなくともその場所に居られると思い込んでしまったこと。皮肉にも小沢一郎が「変わらずに残るためには、変わらなければならない」と説くことと対照的だ。この発想のままでは次の国政選挙でも惨敗することは明白。
「僕らはあまりにも100%安全だということを強調しすぎていたのかもしれない。でも、考えてみると世の中100%ということは、あり得ない。ただそれを極限まで小さくしていく努力をするということではないでしょうか。自動車だって毎年数千人の方が亡くなる。でも皆さんは自動車を使い続ける。原発を自動車と同列に論ずるつもりはないが、結果としてみれば、そういう問題と共通するものがあるんだと。しっかりとした安全基準、さらに想定を上回るような事態が起きた時の国の規制のあり方、電力会社の対応のあり方というものを、新たに決めていくということです」
これは27日放送された報道ステーションに出演した北海道5区選出の衆議院議員、自民党町村信孝氏の発言だ。
福島第一の事故で、巧妙に隠蔽されてきたものが露わになった。その第一が原子力村といわれる利権集団。政官学が一体となって、公金や電気料金で潤っていく仕組みだ。電力会社には多くの経産省のOBが天下りする。安全のお墨付きを与えた経産省と、研究費や講演料の名目で学に多額の金が落ちる。見事な構図としか言いようがない。
人件費や設備投資などの必要経費に利益を乗せた総原価算定や、発電コストが低いと喧伝された原発は廃炉を含めた費用を算入すると、決して割の合うものではなかったことも事故により明らかになった。
運転再開には地元の了解が必要だとするが、地元とは言ったどこまでを指すのか。広域放射線汚染の実態を見れば、半径数百キロの住民が運転決定の賛否権を有しているはずだ。立地自治体だけの判断を尊重するなど言語道断。
言わずもがなだが、自動車事故と原発事故に共通するものなど微塵もない。
2009年札幌で行われた自民党総裁選の演説会で、政権復帰のために人心刷新して新生自民党の結成を訴えた河野太郎が街宣車から引けるとき、町村氏は河野氏の握手にも応ないばかりか、目も合わさず「誹謗中傷もいい加減にしろよ」と切り捨てた。自民党の凋落は、変革しなくともその場所に居られると思い込んでしまったこと。皮肉にも小沢一郎が「変わらずに残るためには、変わらなければならない」と説くことと対照的だ。この発想のままでは次の国政選挙でも惨敗することは明白。