国際空手道 修徳会 北海道本部 札幌道場稽古日記

北広島市輪厚地区で空手の稽古をしています。練習の内容や、イベント、雑多な情報などを画像で紹介します。

本の紹介

2018-08-27 09:17:45 | Weblog
評価=
モスクワからサマルカンド、ブハラ、タシュケントそしてハバロスフク、ナホトカというルートは奇遇にも昔小生が通った全く逆の行程。小生の場合は陸路だったが、当時を思い出しながら懐かしく読み進ませてもらった。佐藤氏が訪れたときは、外国人観光客に開放された直後だったため、このような珍道中が起ったのだろうが、小生が行った時期も、ソ連邦崩壊直後の混乱期で、一種異様な緊張感があった。さて佐藤氏はその後社青同に入った後、同支社の神学科に入学する。この曲折も15の夏の影響なのかもしれない。佐藤氏の姿を思い描いた時一つのフレーズが頭に浮かんだ。「旅に出ようテントとシュラフの入ったザックを背負い・・・」。彼女も同じ京都。立命館だったな。

本の紹介

2018-08-20 13:15:09 | Weblog
評価=
まず、知的好奇心とレベルの高さ、そして両親の勇断に驚かされる。高校1年生が東側体制に興味を持つこと自体かなり珍しいと言える。まして一人で旅行することなど、かなりの語学力がないと不可能。かなりディープなところまで意思疎通が図られているところを見ると高校生にして相当な英語力を持っていたのだろう。高校の入学祝としても40数年前に40万円もの投資をすることもかなり大胆なこと。さらに中学校の塾の月謝が8000円とある。自分と照らし合わせてもあり得ないほどの高額。ご両親は子供の教育や成長に対して並々ならぬ信念と決意を持っていたのだろう。さて、深夜特急をイメージして読み進んでいたが、さすがにこの年代であそこまでの不規則行動はなかった。それにしても読みごたえは十分。

本の紹介

2018-08-13 09:18:11 | Weblog
評価=
北九州で発生した凄惨な事件で死刑判決を受けた父親と無期判決の母親を持つ青年の告白記。彼自身も、死体の解体処理現場や投棄現場に居合わせた。当時は幼かったため、認識することはできなかっただろうが、現実を知ってしまった後の懊悩はすさまじかったのだろう。事件加害者の両親の苦悩を取り上げたノンフィクションはあるが、今回は加害者の子供という稀有なケース。たぶん本放送(TBS「ザ・ドキュメント」)を観たほうがインパクトがあったのだろうが、本著でも十分伝わってくる。
 実は、昨日この番組を偶然見た。整形願望を持つ女性を扱ったものだった。本の題材もそうだが、日曜日のお昼に扱う内容としては、ちょっと重た過ぎると思うのだが。

本の紹介

2018-08-06 09:24:24 | Weblog
評価=
瀬戸内の島々や海の上は、そこを支配している勢力が通行料を独自に徴収できるなどある意味治外法権だった。信長が陸にある関所を廃止、流通を盛んにし楽市楽座を設け経済を活性化していくのを目の当たりにしたが、武吉はその方向性に抗うことのみが一族の安泰と繁栄につながると確信する。それまでの治外法権がまだ続くと思われた。しかし、彼の目論見はすべて裏目に出て、蟄居中に仲間が離れていき、亡き息子の唐人の妻に見送られひっそりと息を引き取る。日本海海戦で秋山真之がとった戦術「水戦をはじめるにあたっては、わが全力を挙げて相手の尖峰を撃ち、やにわに2,3艘を討ち取るべし」は村上水軍の戦術書から引用。その通りに艦隊運用し、ロジェストウエンスキー座乗のスワロフに壊滅的打撃を加えたことが勝利につながったといわれている。日本の運命を左右した決戦で武吉が記した戦術書が使われていたとは。きっとあの世で溜飲を下げたことだろう。