新聞小説だったせいなのか読ませるテンポがどうもしっくり来ない。チンギス・ハンがとった政策を現代の政治、経済に当てはめる手法もピンと来ない。だがもっとも腑に落ちないのはイスラム商人に関西弁で喋らせているところだ。むかし筒井康隆がよく使った手法だが色褪せて久しい。組織内での相関関係、隣国との駆け引きそして、当時東ヨーロッパへ10万もの軍勢と工匠を遠征しえた背景をもう少し詳細に書き込めばもう少し読める内容になったと思うが残念。
フルコンタクト協議会、JKJOの機関誌「オス!カラテ」の道場紹介に今回札幌道場が掲載されることになりました。次号の予定なので4月の下旬には皆さんにお渡しできると思います。お楽しみに。実は掲載写真の撮影をお願いした後輩の企画が昨日より本誌に掲載されています。厳寒のサハリンで撮影された渾身の写真記事です。こちらもよろしく。
プロ野球審判部長を務めた二出川延明は、監督のクレームに「俺がルールブックだ」と抗議を許さなかった。また微妙な判定が翌日の新聞写真により誤審が判明すると「これは写真が間違っている」と言い放った。元プロボクサーという異例の経歴を持つ露崎元哉は最もファンから愛された審判といわれる。今では主審の誰もが行う体を使ったジャッジングも、露崎がボクシングのワン・ツーの動作を取り入れたことが発端。他の審判からの嫉妬により球界を去るが審判員の袖番号は事実上の永久欠番になっている。「巨人贔屓」といわれた平光清は巨人の川上監督を唯一退場処分にした審判だ。国民の大多数が巨人ファンだった当事、誰もが躊躇う処分を毅然としかも平然と下した。小生が旗を振る際の注意点は、帯の色で先入観を持たない。他の副審の動きに影響されないー二点。周囲の誰もが上級者が優位であると見る。しかし全般においてでどちらが試合を組み立てていたか、アグレッシブな動きだったのか、それは白帯と黒帯の対戦とて同じだ。他の三人の副審が旗を揚げたとしても自身が違うとの信念があれば決して旗を動かさない。これが審判に与えられた権限であり責務であり、試合をひいてはスポーツを成立させる根幹であるからだ。
今週北京オリンピック出場をかけたハンドボールの試合が東京で行われる。いわゆる「中東の笛」と呼ばれる判定で国際ハンドボール連盟が試合のやり直しを認めたためだ。試合の模様が何度も放送されたが、素人が見ても恣意的なジャッジは明らか。連盟が抱える構造的な問題が背景にあるのだろうが、ジャッジがそのスポーツを愛しているのなら決して起こらないと思うのだが。
今週北京オリンピック出場をかけたハンドボールの試合が東京で行われる。いわゆる「中東の笛」と呼ばれる判定で国際ハンドボール連盟が試合のやり直しを認めたためだ。試合の模様が何度も放送されたが、素人が見ても恣意的なジャッジは明らか。連盟が抱える構造的な問題が背景にあるのだろうが、ジャッジがそのスポーツを愛しているのなら決して起こらないと思うのだが。
北海道では7日から21日まで観測地すべてで真冬日が続いた。「冷凍庫の中にでもいるような」という陳腐な表現をしていたアナウンサーがいたが、いいところ「冷蔵庫」だろうか。温暖化対策のため企業に参加を義務付けた「チーム・マイナス6%」。灯油の高騰による膨らん暖房費を何とか削減しようとしていた会社は錦の御旗を得たとばかりに室温を下げ始めた。外回りでどこの会社に行っても室内は寒々としている。小生の職場の設定温度も20度だが実際の室温は18度くらいだろう。こちらは絶対的に「低温室」。軽作業でもしていれば乗り切れるだろうが、一日中デスクに座っているには結構きつい。ウォームビズにも限界がある。1月24日は100年ほど前帝国陸軍が八甲田山で遭難したその日。映画では青森歩兵第5連隊神田中隊長を演じた北大路欣也が「天はわれわれを見捨てるのか」と叫ぶ。やはりわれわれも会社から見捨てられているのか。
前回の調査結果と比較すると、このような家庭が決して特異ではなく、むしろ浸透しつつある現象だということが一目瞭然。淡々と結果だけを記述し、結論を求めない手法は逆に説得力に富んでいる。これ以上書くとフェミニストやジェンダーフリーを主張する方々、はたまた内閣府男女共同参画局というお上まで敵に回さなければならないため止めるが、おぞましい実態だ。
フルコンタクト空手、JKJO(全日本空手審判機構)ジャッジでは技ありや反則のない場合、第一にダメージがあるか、第二に有効打を含めた手数、足数、そして手数、足数が同じ場合は「気迫が勝っているほうを勝ち」としています。したがって待ち蹴りや待ち突きは有利に作用しません。今回は少々消極的な試合が多かった気がします。これを反省点に次の試合に生かしください。応援に来てくださった御父兄の皆様感謝申し上げます。
一昨日夜民放ニュースの特集は「地下鉄の中で化粧する女性」。少々使い古されたネタではある。だが、市民権を得たわけではないだろうが確かに目にする機会は地下鉄といわず、バス、電車の中でも増えてきている。小さなコンパクトを使い、短時間で仕上げる様は職人的。しかし昨年見た姿にはさすがに驚かされた。JRに乗ったとき女子高生が専用の電気剃刀で脛を剃っていた。その後彼女は制服のスカートの中に私服の短いスカートを器用にはき入れ、するりと制服を脱いだのだ。視線が合った彼女に睨まれた、多分あんぐりと口を開け馬鹿面で見ていたのだろう。彼女たちの言い分は「他人に迷惑をかけていない」、「時間がない」あるいは「二度と会うこともないから」等々。屈折した個人主義の発露なのだろうか。ルース・ベネディクトが「菊と刀」の中で日本社会の根底にある価値観を「恥」と分析した。これは宗教の教義にも通じる絶対的な規範であると。出版から60年、彼女は現代の日本をどのように見るのか。
確かに著者が主張するように、ウイルス起源の突然変異による進化ならばミッシングリンクの謎は解消される。しかし、ウイルスによりDNAが書き換えられる突然変異が、その生物にとって生存適応に有利に働く確立は非常に低いだろう、そんなに都合のいい方向には進むまい。というのが率直な感想。二重否定になるが、だが、このように異端な説が核心を突く場合が往々にある。そもそもダーウィニズムも当時としては、植民地主義を正当化させるために英国政府が認めたが、生物学ではかなり異端な論理だった。検討することは無意味ではない。
突然話が下りてきて、唐突に決まる。困った社風だ。何の事前情報もなく急に「大分国体に『ぶんぶん号』を派遣するため最も経費のかからない方法を明日昼間であげてくれ」話を聞いたのは遅い昼食を取っていたとき。ポピュラーなルートとしては小樽からフェリーで舞鶴、舞鶴~神戸を陸路、神戸からフェリーで大分に入る。だがこれでは面白みに欠ける。仕事に遊びの要素を入れることを信条としているため、提案したのは苫小牧からフェリーで八戸に渡り、それから大分まで陸路1900㌔を二人で走破するというもの。当然再考を指示されると高を括っていたが、あっさり承認。そこに小生の名前をこっそりと入れてみたが、こちらはあっさりと却下。当然だよな。
今までネーム入りの道着の案内をしたことはなかった。最大の理由はその分だけ価格が上がるため。しかし今回ケイ・ワールドさんのご好意でかなり安く提供していいただけた。胸に「修徳会」、左肩に「札幌」の刺繍が入ります。買い替えを考えられている方は声をかけてください。
日本経済の成長率は1956年から73年までの高度成長期平均で9%を超えた。この急激な伸張により社会でさまざまな歪みが生じた。イタイイタイ病、水俣病、光化学スモッグなどの公害、炭鉱などでも大規模な労働災害も多発した時期だ。これとまさに同じ現象を今の中国に見ることができる。統計上の差異はあるが2004年から4年連続で10%の成長を続け、今のとこを大きく下落する要素は見当たらない。なりふり構わぬ工業化により農村の労働力が都市に奪われ農産物を輸入するまでに農業は衰退した。都市に集中した労働者は「民工」と呼ばれ劣悪な環境下で労働を強いられる。政府機関の発表では毎年13万人以上が労働疾病が原因で死亡している。だが現実はその数倍と見るべきだろう。米国や日本に輸出された工業製品に鉛が、農作物から基準をはるかに超えた残留農薬や劇物が検出されたことなど、まさに歪んだ社会の反映。しかし根本的な違いは、日本の成長期は1億の人口の全てが豊かな方向に進んでいたが、中国のそれは資本家がさらに富み、貧困な者は搾取の対象としてのみ生存を許されているというもの。所得格差はさらに広がる傾向にある。先富論は小平が「可能な者から先に裕福になれ。そして落伍した者を助けよ」と唱えたものだが、資本主義を否定した国家なら、それがどれくらい非現実的だということぐらい分かっているはずなのだが。
いまだにフィルムを使用するカメラを集めている友人がいる。撮影が目的ではなくたまに手にとって眺めることに喜びを感じるそうだ。専用ケースの中に数十台はあるとのこと。音楽が趣味の後輩は6本のギターを持っている。門外漢はどれも同じように見えるが「音の響き」がどうの、「幅」がこうのとうんちくは相当なもの。食玩コレクターの知人のキャリアは40年、知人曰く「強迫観念にも似た衝動」なのだそうだ。レア物はネットオークションで大枚をはたいても落札する。所有欲を満足させるだけでなく、ライバルのコレクションを潰す意味もあるのだとのこと。「蒐集癖」と自嘲する。ストーブリーグのプロ野球は巨人の猛攻が凄まじい。ヤクルトから昨年最多勝を獲得したグライシンガー、最多安打のラミレス。横浜のクローザー、クルーンが移籍、超大型の補強を成功させた。それにしてもこれほど蒐集してどこで使おうと考えているのか。まさかコレクターでもあるまい。だが敵の戦力を削ぐことが補強の目的だとすれば、高邁で傲慢な作戦として納得。「広島よ頑張れ」。
「お節もいいけどカレーもね」。ハウス食品の正月用CMとして1976年から数年間流されたものだがしっかりと今も刷り込まれている。確かに味にパンチのない精進料理にも似たお節を何日も食べていると欲求不満に陥る。胃が刺激を求めているのが分かる。ここまできたら禁断症状をもはや抑えることはできない。早速スーパーへ行ったがなんとカレー専用のコーナーを設けていたのだ。30年以上前のコピーだが刷り込まれた日本人は結構いるようだ。