晴れ、ときどき映画三昧

映画は時代を反映した疑似体験と総合娯楽。
マイペースで備忘録はまだまだ続きます。

「ミリオンダラー・ベイビー」(04・米) 85点

2015-01-11 07:55:01 | (米国) 2000~09 

 ・鮮烈で究極のラブ・ストーリー。

                 
クリント・イーストウッドが「ミスティック・リバー」に続き製作・監督し、今回は主演している。孤独な女性ボクサーと老トレーナーとの交流を描いた’06アカデミー賞4部門(作品・監督・主演女優・助演男優賞)受賞作品。

 大切に育ててきた秘蔵っ子ボクサー、ビッグ・ウィルに去られたフランキー・ダン(C・イーストウッド)は、31歳になる女性ボクサー、マギー(ヒラリー・スワンク)を預かることに。ジムの清掃係のスクラップ(モーガン・フリーマン)は元ボクサー。最後の試合で、フランキーのいうことを訊かず15ラウンドを闘い片目を失明してしまった。2人には深い友情がある。

 見る見るうちに力を付けたマギーは勝ち進んで行く。緑のガウンにはゲール語で「モ・クシュラ」と描いてあって、アイルランド系のファンに熱烈な支持を受ける。ついにウェルター級世界選手権に挑戦、クライマックスを迎える。

 物語は<絵に描いたようなボクシング映画>だが、このままでは終わらないところがイーストウッドならではの展開。<尊厳死><安楽死>がテーマとなるような終盤へ急旋回する。当時米国中を賑わせた「金のためには家族愛を捨て裁判訴訟を厭わないマイケルとテリー夫婦の<テリー・ジャイボ事件>」をなぞらえ、<家族との絆・人間愛の大切さ>を訴えたかったに違いない。

 マギーに扮したH・スワンクは3カ月間筋力トレーニングとボクシングを訓練して、貧民街育ちの必死なボクサーになりきっていた。イーストウッド作品には欠かせなくなったM・フリーマンはナレーションもこなし、相変わらず控えめななかに確かな存在感を魅せ、それぞれオスカー獲得となった。

 製作スタッフでは「ミスティック・リバー組」が健在だったが、脚本のポール・ハギスに光るものがあった。これがのちに自ら監督したオスカー作品「クラッシュ」につながっていったのだろう。

 ゲール語の「モ・クシュラ」とは<愛する者よ、お前は私の血だ>とマギーへ伝えるフランキーの言葉が切なく、アイリッシュの血を引く2人にとって鮮烈な究極のラブ・ストーリーへと昇華していった。是非愛するヒトと一緒に観て欲しい。

「戦場のピアニスト」(02・ポーランド=仏) 85点

2015-01-10 08:07:48 | (欧州・アジア他) 2000~09
 ・ R・ポランスキーの実体験がオーバー・ラップ。

     
 ウワディスワフ・シュピルマンの原作をロマン・ポランスキー監督、ロナルド・ハーウッド脚本で映画化。カンヌ映画祭のパルムドールを始め、英・米アカデミー賞・最優秀監督賞など受賞作品多数。

ユダヤ系ポーランド人・ウワデク(エイドリアン・ブロディ)が、ナチス・ドイツによるポーランド侵攻から撤退までの間、奇跡的に生還したストーリー。

 実話をもとにしただけに心を打たれるが、監督自身ゲットーで暮らし、母親をユダヤ人収容所で亡くした経験を踏まえた渾身の代表作品となった。

 「ナチスは悪で、ユダヤは善」という映画は数限りなくあるが、人間はもっと複雑で、自分が生き残るために他人を裏切るし、思い遣りを見せたりもする。本作は、それを音楽という人類共通のコミュニケーション手段を通じて真髄に迫って行く。

 命を救ったドイツ将校ヴィルム・ホーゼンフェルド(トーマス・クレッチマン)がベートーベンの「月光」を弾き、ウワディクがショパンの「バラード第一番ト短調作品23」を弾くところが印象的。

 主演のE・ブロディはもちろん脇を固める大勢の出演者が、この感動的な物語をそれぞれのシークエンスで支えていた。

 

   

「ノーカントリー」(07・米) 80点

2015-01-09 08:13:18 | (米国) 2000~09 

 ・ 理不尽な殺人に、現代の矛盾を感じさせる良作。

     
 「すべての美しい馬」のコーマック・マッカシー原作「血と暴力の国」をコーエン兄弟が監督・脚色したノワール作品。コーエン兄弟は「ファーゴ」と違って、理不尽な殺人に現代の矛盾を描き、新境地を開いて80回オスカー作品賞など主要4部門を受賞した。

 荒涼としたテキサスの風景を舞台に、法と秩序を守り正義を信じる老保安官ベル(トミー・リー・ジョーンズ)の嘆きのナレーションで物語が始まる。

 偶然大金を見つけたベトナム帰還兵ルウェリン・モス(ジョシュ・ブローリン)は、命懸けで金を守ろうとする。最大の敵は、冷徹な殺人鬼アントン・シガー(ハビエル・バルデム)。この人物設定にはコーエン兄弟らしさが溢れている。特異な風貌で、まるで感情がないまま自分のルールに固執する。それはコインの裏表だけで<酸素ボンベの空気圧縮機>を使って訳もなく簡単に人を殺すこと。恐ろしさが画面いっぱいに繰り広げられ、いつも大切にしている音楽を抑えて静寂な中に恐怖感を増幅させている。助演男優賞受賞のJ・バルデムは「海を飛ぶ夢」とは両極のキャラクターを見事に演じ切ってこの映画をさらってしまった。

 逃げる男モスを演じたJ・フローリンは、「アメリカン・ギャングスター」のように善悪の境目を縫って生きる男をやらせたら今や右に出るものはいないだろう。

 西武開拓以来培われた<アメリカの正義>は時代とともに失われてしまっている。ベトナム戦争直後の<病めるアメリカ>を映しだしながら、現代が「血と暴力」の国であることへの警告を鳴らしている。「奪われたものを取り戻そうとすると、さらに多くを奪われる」というT・L・ジョーンズの台詞が印象に残っている。

『家族の庭』 85点

2015-01-08 18:01:03 |  (欧州・アジア他) 2010~15

家族の庭

2010年/イギリス

老いと孤独をリアルでシニカルに捉えた佳作

プロフィール画像

shinakamさん

男性

総合★★★★☆ 85

ストーリー ★★★★☆85点

キャスト ★★★★☆85点

演出 ★★★★☆85点

ビジュアル ★★★★☆80点

音楽 ★★★★☆80点

「秘密と嘘」「人生は時々晴れ」「ヴェラ・ドレイク」の巨匠マイク・リー2年振りの長編11作目。すっかり定番となった、キャスティングが決まってから数カ月を掛けてスタッフともども練り上げたシナリオは今回も健在だ。
ロンドンに住む初老のヘッぺル夫妻は夫・トムが応用地質学者で妻ジェリーが医療カウンセラーの典型的な中産階級。30歳で独身の独り息子ジョーは弁護士として独立・別居している。休日は市民農園で野菜を作り料理とワインを楽しむ平穏で幸せな家族だ。そこに訪ねてくるのはジェリーの20年来の仕事仲間メアリー、トムの幼なじみケンなど。トキには明るく和やかに語り合い、トキには深刻な孤独な悩みや愚痴を聴くが何処かで一線は引いて必要以上は立ち入らない。
春から冬まで1年を通して登場するのはメアリーで、彼女の微妙な心の変化が<老いと孤独>の人生を考えさせられ切々と観客に訴えてくる。メアリーは年齢不詳だが、初老に差しかかりながらまだまだ自分が女として魅力的で服装も赤い胸開きのドレスで訪れ、ジョーに思わせぶりな言葉で一緒に飲みに行こうと誘ったりする。善良なヒトなのに他人への思いやりに欠けどこかズレていて身の回りにいそうなキャラクター。痛々しいほど女心を見事に演じて見せてくれたレスリー・マンヴィルはM・リー作品の常連で今回は初主演といってもいい。
トムを演じたジム・ブロードバント、ジェリーのルース・シーン、ケンのピーター・ワイト、ジョーのオリヴァー・モルトマンなど芸達者で常連俳優たちもリアルで素のまま演技しているように見えるほど。
トムの兄ロニーの家族やジェリーの不眠症患者ジャネット(イメルダ・スタウントン)でも伝わってくるが、一家が幸せなのは結婚して家族がいるだけではない。感性や価値観を共有できるからだろう。トムとメアリーの会話はどうしても噛み合わない。それは豪邸に住んだり良い車を持ったりすることでは得られないものだ。残酷なラスト・シーンがいつまでも目に焼き付いて離れないが、メアリーにも幸せになって欲しいと願わずにはいられない。


「舟を編む」(13・日) 80点

2015-01-06 16:25:39 | 日本映画 2010~15(平成23~27)
 ・ コミカルなエピソードを挟んでの真面目な展開に好感を抱いた。

                    

 三浦しをんのベストセラー(本屋大賞受賞)を新進気鋭の石井裕也が映画化。日本アカデミー賞6部門受賞作品。本来なら公開時に観ておいても不思議はない話題作ながら、何故か食指が動かなかった。

 理由は辞書編纂という地味なテーマと主役の松田龍平と宮崎あおいのラブストーリーなら何も大画面で観なくても大体想像がつくと思ったから。

 想定どおりでもあり、想定を超えた出来に感心した133分でもあった。題名の由来は「辞書は言葉の海を渡る舟、編集者はその海を渡る舟を編纂する」という意味とか。とても品の良い作品だ。

 石井監督は映像化が難しいテーマをコミカルなエピソードを挟みながら人間の機微を描き、言葉やコミュニケーションの大切さを紐解いて行く。その手法は手堅く、まるで円熟したベテランの味わいを感じさせる。その安定感は、吉田大八と並んでこれからの日本映画を担う人材の予感がする。
 
 原作は、辞書という普段当たり前に存在するものが如何に作られて行くのかを、それに携わる人々の人生に重ね合わせて行くところにスポットを当てたことで斬新さがあった。

 本作はそれをどう映像化するかに成否が問われるが、主人公のキャラクター設定でクリアできた気がする。演じた松田龍平が大学院で言語学を学んだエリートでありながら、出版社ではその適性が生きず
最も不得手な営業をさせられているオタクッぽい若者を好演している。

 多少劇画チックな構成はあるが、名前が馬締(まじめ)で昭和の匂いにぷんぷんする下宿に10年もいるという人物はぴったり。恋人(宮崎あおい)が香具矢(かぐや)で満月の夜に出会うのだから、現実離れしているのは当たり前か。

 二人の出会いはこの物語に欠かせない。何故なら「恋」という意味をどう言語で表現するかを映像で見せているのだから。言語を知り尽くしている馬締がコミュニケーション能力不足に悩み、巻紙の恋文を書き、香具矢から直接言葉に出して言うように迫られるシーンは、現代のコミュニケーション手法がメール・ツイッターに頼る若者への警鐘にも見える。宮崎あおいは愛らしく手堅い演技は天性のもので、今回も主演をがっちり支える役割を果たしている当たり役。

 そして先輩・西岡に扮したオダギリ・ジョーはお調子者ながら、辞書編纂中止の噂を聴き先手を打つ情熱家でもあり、コメディ・リリーフの儲け役。さらに早雲荘の大家・タケ役の渡辺美佐子が江戸っ子らしい歯切れ良さで、随所で馬締を励ますシーンがなかなかいい味を出していた。

 大ベテラン加藤剛は監修者の松本先生役でその誠実さを発揮、小林薫は定年間近の編集者・荒木を抑えた演技でバランスをとっている。伊佐山ひろ子も派遣社員ながら欠かせない戦力であることを随所に魅せている。 

 残念だったのはファッション誌から不本意ながら移動した若手編集員役の黒木華と、西岡を陰で支える恋人役・池脇千鶴の出番が少なかったこと。それぞれ見せ場はあったが埋もれてしまった。もうひとつ’95からトキの流れがオダギリのヘア・スタイル以外あまり感じられなかったのは、年寄りの感想なのか?

 
 辞書編纂には15年を要し、<大渡海>という名の辞書は時代に埋もれてしまう言葉も拾う方針だけに、ら抜き言葉・今では古臭い若者言葉(ダサい・マジなど)を使用例とともに組み入れる24万語の作業はエンドレス。用例採集という作業は日本語の奥深さとその変遷を追い続ける途方もない仕事だと思い知らされる。

 IT社会とともにその手法はサマ変わりした今も、考えていることを言葉にしてコミュニケーションを図る人間の営みは普遍である。

 この拙いブログもその一環だが、人間はコミュニケーションすることで存在感を満たしていることを、あらためて思い知らされた。