晴れ、ときどき映画三昧

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「舟を編む」(13・日) 80点

2015-01-06 16:25:39 | 日本映画 2010~15(平成23~27)
 ・ コミカルなエピソードを挟んでの真面目な展開に好感を抱いた。

                    

 三浦しをんのベストセラー(本屋大賞受賞)を新進気鋭の石井裕也が映画化。日本アカデミー賞6部門受賞作品。本来なら公開時に観ておいても不思議はない話題作ながら、何故か食指が動かなかった。

 理由は辞書編纂という地味なテーマと主役の松田龍平と宮崎あおいのラブストーリーなら何も大画面で観なくても大体想像がつくと思ったから。

 想定どおりでもあり、想定を超えた出来に感心した133分でもあった。題名の由来は「辞書は言葉の海を渡る舟、編集者はその海を渡る舟を編纂する」という意味とか。とても品の良い作品だ。

 石井監督は映像化が難しいテーマをコミカルなエピソードを挟みながら人間の機微を描き、言葉やコミュニケーションの大切さを紐解いて行く。その手法は手堅く、まるで円熟したベテランの味わいを感じさせる。その安定感は、吉田大八と並んでこれからの日本映画を担う人材の予感がする。
 
 原作は、辞書という普段当たり前に存在するものが如何に作られて行くのかを、それに携わる人々の人生に重ね合わせて行くところにスポットを当てたことで斬新さがあった。

 本作はそれをどう映像化するかに成否が問われるが、主人公のキャラクター設定でクリアできた気がする。演じた松田龍平が大学院で言語学を学んだエリートでありながら、出版社ではその適性が生きず
最も不得手な営業をさせられているオタクッぽい若者を好演している。

 多少劇画チックな構成はあるが、名前が馬締(まじめ)で昭和の匂いにぷんぷんする下宿に10年もいるという人物はぴったり。恋人(宮崎あおい)が香具矢(かぐや)で満月の夜に出会うのだから、現実離れしているのは当たり前か。

 二人の出会いはこの物語に欠かせない。何故なら「恋」という意味をどう言語で表現するかを映像で見せているのだから。言語を知り尽くしている馬締がコミュニケーション能力不足に悩み、巻紙の恋文を書き、香具矢から直接言葉に出して言うように迫られるシーンは、現代のコミュニケーション手法がメール・ツイッターに頼る若者への警鐘にも見える。宮崎あおいは愛らしく手堅い演技は天性のもので、今回も主演をがっちり支える役割を果たしている当たり役。

 そして先輩・西岡に扮したオダギリ・ジョーはお調子者ながら、辞書編纂中止の噂を聴き先手を打つ情熱家でもあり、コメディ・リリーフの儲け役。さらに早雲荘の大家・タケ役の渡辺美佐子が江戸っ子らしい歯切れ良さで、随所で馬締を励ますシーンがなかなかいい味を出していた。

 大ベテラン加藤剛は監修者の松本先生役でその誠実さを発揮、小林薫は定年間近の編集者・荒木を抑えた演技でバランスをとっている。伊佐山ひろ子も派遣社員ながら欠かせない戦力であることを随所に魅せている。 

 残念だったのはファッション誌から不本意ながら移動した若手編集員役の黒木華と、西岡を陰で支える恋人役・池脇千鶴の出番が少なかったこと。それぞれ見せ場はあったが埋もれてしまった。もうひとつ’95からトキの流れがオダギリのヘア・スタイル以外あまり感じられなかったのは、年寄りの感想なのか?

 
 辞書編纂には15年を要し、<大渡海>という名の辞書は時代に埋もれてしまう言葉も拾う方針だけに、ら抜き言葉・今では古臭い若者言葉(ダサい・マジなど)を使用例とともに組み入れる24万語の作業はエンドレス。用例採集という作業は日本語の奥深さとその変遷を追い続ける途方もない仕事だと思い知らされる。

 IT社会とともにその手法はサマ変わりした今も、考えていることを言葉にしてコミュニケーションを図る人間の営みは普遍である。

 この拙いブログもその一環だが、人間はコミュニケーションすることで存在感を満たしていることを、あらためて思い知らされた。