晴れ、ときどき映画三昧

映画は時代を反映した疑似体験と総合娯楽。
マイペースで備忘録はまだまだ続きます。

「エル・ドラド」(66・米) 70点

2013-04-29 16:47:42 | 外国映画 1960~79
・ハワード監督の手腕が存分に発揮された、テキサス3部作の第2作目。

  娯楽映画の巨匠ハワード・ホークスが西部劇「リオ・ブラボー」(59)に続くテキサス3部作の2作目。本場アメリカより早く日本で公開され大ヒットしたことでも有名。リメイクではないが、設定は良く似ていて主人公が昔馴染みの相棒とともに悪を倒す物語。
 主演はジョン・ウェインで今度は初老のガンマンで相棒は保安官。ロバート・ミッチェルが扮しているがリオ・ブラボーのディーン・マーティン同様アル中であることや、2人が組んで若い助っ人と老いた牢番人が応援するところまで一緒。

 まずタイトルが楽しい。テキサスの雄大な風景の絵画をバックにジョージ・アレキサンダーの主題歌が流れ王道の西部劇を予感させる。ガンマン・コール(J・ウェイン)は牧場主ジェイソン(エドワード・アズナー)の水権利争いの助っ人として雇われるためエル・ドラドへ久しぶり戻ってきた。再会したのは保安官ハラー(R・ミッチェル)と恋を争った酒場の女主人モーディ(シャーリン・ホルト)。ハラーによるとジェイソンは悪辣で争いの相手マクドナルドに理があるという。
 コールは古傷持ちで、さらにマクドナルドの娘ジョーイに銃で撃たれ怪我を負ったり、ジェイソンに囚われ猿轡を噛まされたり、決して不死身ではない。それでも馬で後ずさりしたり左手でライフル銃を操ったり見せどころがいっぱい。
 保安官・ハリーはアル中だが、あの風貌でコミカルな味がそこかしこに出て、D・マーティンとは違うJ・ウェインとの名コンビ振りを発揮している。
 リオ・ブラボーではリッキー・ネルソンが演じた助っ人青年役を、若き日のジェームズ・カーンがナイフの名人・ミシシッピ役で果たしている。最後は拳銃下手な彼がショットガンなら使えるだろうと調達するなど親切なシーンまであるが、ここは最後までナイフで闘って欲しかった?
 老いぼれ保安官補ブルもこの手の映画には欠かせない。アル中保安官をシッカリ支えていた。
 ヒロインの2人では男勝りのミシェル・ケーリーが新鮮で時代の移り変りを感じさせる。
 悪役の牧場主にE・アズナー、雇われガンマンにクリストファー・ジョージが扮しているが少し陰が薄かった。

 H・ホークスが存分に力を発揮した西部劇だが、126分は少し長かった。多分リオ・ブラボーでは描き切れなかったリアルな人物設定やプロットに拘りがあったのだろう。筆者は「ライフルと愛馬」「皆殺しの歌」のような挿入歌のある「リオ・ブラボー」が好きだった。

「孤独な天使たち」(12・イタリア) 75点

2013-04-28 20:38:48 |  (欧州・アジア他) 2010~15
・帰ってきたベルトリッチの青春映画。

  

 「ラスト・タンゴ・イン・パリ」(72)「ラスト・エンペラー」(87)など、イタリア映画界の巨匠が「ドリーマーズ」(03)以来10年振りに帰ってきた。ベルナルド・ベルトリッチの新作は青春映画だ。
ヘッドフォンで周りの社会から遮断してきた14歳の少年・ロレンツォ。学校では友達との交流はなく、心配した母親は精神科医通いをさせるが、殆ど感心を示さない。ところが、スキー学校へ行くと言いだし母親を喜ばせる。少年は母子家庭ではないらしいが、殆ど家に帰らず父と子の触れ合いもなさそうだ。ロレンツォは嘘をついてアパートの地下室で1週間一人だけの時間を過ごす計画だった。
そこへ突然侵入してきたのは異母姉・オリヴィア。久しぶりに会った義姉は、今まで会ったことがない異星人のような奔放なヒトだった。閉ざされた密室で二人きりになったロレンツォの戸惑い・困惑は想像に難くない。ヘロイン中毒で住む場所がないという。追い出そうにも弱みを握られた彼はおかしな協力者となる。困惑から同情に移り追い出すことより睡眠薬や食料を調達して協力することで他人のために行動することで少し大人になった気分になる。そして二人で過ごす空気には思慕にも似た感覚も漂う。

 重い病で車椅子生活を余儀なくされたベルトリッチは映画作りを断念していたが、ニコロ・アンマニティの小説を読んで復活を決意したという。自らの少年時代の想いも投影しながら73歳のエネルギーを降り注いで若い感性を失うことなく完成させた。それは若者への成長を託したメッセージでもあった。敢えて原作とは違うエンディングは再生を願うベルトリッチの祈りのようだ。

 ロレンツォを演じたのはオーディションで選ばれた当時主人公と同じ年のジャコポ・オルモ・アンティノーリ。青い瞳で巻き毛のニキビ顔、無精ひげがチラホラの多感な少年そのもの。その演技はベルトリッチを感心させたプロだった。オリヴィアもオーディションから選ばれたテア・ファルコ。本職は写真家・映像アーティストで、登場したトキの黒い天使のようなファッションとニット帽を外したときの金髪が存在感を放っていた。<18歳のとき賞をもらった元写真家>というのは彼女自身のことでもあり、豊かな感性そのものの演技だ。

 ベルトリッチの期待に応えたスタッフたちの頑張りも目に付いた。大半が地下室という密室での映像を夢の空間として再現させた撮影のファビオ・チャンケッティや美術のジャン・ラバス。若い2人の心の内を魅惑的に表したフランコ・ピエルサンティ。とくにオープニングで流れるザ・キュアの「ボーイズ・ドント・クライ」と2人で踊るシーンで流れるデヴィッド・ボウイの「ロンリーボーイ、ロンリーガール」が映像と絡み合い台詞を超える感情となって溢れ出てくる。

 エネルギッシュで詩情豊かな往年とは違うが、みずみずしいベルトリッチに再会できたことが嬉しい。

 

「馬上の二人」(61・米) 70点

2013-04-27 18:06:42 | 外国映画 1960~79
・民族への偏見と拉致という悲劇を絡ませた晩年のJ・フォード作品。
 西部劇の巨匠ジョン・フォード監督晩年の作。
テキサス・タスコサの保安官・マケープを訪ねてきた旧友ゲイリー中尉は、上司の命令でグラン砦のコマンチ族の拉致救済のためにコマンチと交流のある彼を軍に雇うためだった。
酒場の女主人に好い寄られるのを逃れるため同行するが、月給80ドル以外に一人当たり500ドルの成功報酬の約束を取り付ける。
さらに途中出会った開拓者から拉致された子供と同じ年頃の少年を連れてきたら1000ドル払うという約束まで。派手な撃ち合いもなくアクションシーンも限られるが、保安官・軍隊・開拓者・コマンチ族が登場し繰り広げる人間ドラマは間違いなく西部劇である。
フォード作品では、類似作に「捜索者」(56)でジョン・ウェイン主演による弟一家がコマンチ族に殺され2人の姪を追って復讐に燃えるドラマがあった。
復讐鬼J・ウェインと違って、本作はちゃっかり者で抜け目ないジェームス・スチュアートが主演。悪徳保安官ではないが決して正義の味方ではないリアリストを<アメリカの良心>と言われる彼が演じているのが面白い。
バランスを取るためにリチャード・ウィドマーク演じるゲイリー中尉が役目に忠実な軍人役で相棒を務めている。西部で暮らした人々の民族への偏見や哀しみを鋭く突いた<白人=正義、コマンチ族=悪という概念を覆す作品>でもある。

旧知の間であるマケープとコマンチの酋長クアナは武器と引き換えに女性と少年を引き渡そうとするが、武闘派リーダー・ストーンの妻となっていた女性とコマンチ族と思いこんでいる少年は無事白人社会に溶け込むことができるだろうか?思わず日本人なら北朝鮮拉致問題と想いが重なってしまう状況設定だ。
J・フォードは、マケープとゲイリーの友情、コメディ・リリーフ役のポージー軍曹(アンディ・ディヴァイン)を登場させ雰囲気を和ませたり、ゲーリーと弟が拉致されトラウマを抱えた娘マーティ(シャーリー・ジョーンズ)、マケープと拉致された女性エレナ(リンダ・クリスタル)のラヴ・ロマンスなどを織り込んで彼ならではの手腕で重いテーマによる悲惨さが薄められている。
その分単純な勧善懲悪モノではない設定の割に中途半端な印象は否めなかった。

「リンカーン」(12・米) 80点

2013-04-26 18:41:44 | (米国) 2010~15
・英雄の伝記映画にせず、リーダーとしての在り方と人間リンカーンとしての苦悩を描いたスピルバーグ。

  

 ドリス・カーンズ・グッドウィンの原作「リンカン」をスチーヴン・スピルバーグが映画化。<奴隷制度に関する13条憲法改正について議会の可決を取り付ける約1カ月間の政治劇>をドラマチックに描いている。今年のアカデミー賞最多の12部門にノミネートされたが主演男優賞(ダニエル・デイ=ルイス)、美術賞の2部門獲得に留まった。

 16代大統領リンカーンが再選を果たした2ヶ月後の1865年1月、4年に及ぶ南北戦争は終戦を迎えようとしていた。戦争終結とともに何十年も続いている奴隷解放の必要性が弱まって、憲法13条改正案が否決されてしまう恐れがあった。前年4月改正案を否決されているリンカーンは、何としても1月中の法案を議会で可決する必要がある。そこで彼は共和党内の急進派と穏健派の対立を説得し、奴隷制を支持する民主党の切り崩しを謀る。
本作を楽しむためには予備知識がいる。それは、
・奴隷制度と南北戦争は一対のものであっても、北軍勝利とともに簡単に実現されるものではないこと、
・当時の共和党はリベラル派で民主党が保守派であること、
・リンカーンが改正しようとする<法の下の平等>と<人種間の平等>は違うこと
である。
<法の下の平等>とは白人が支配する議会で決定できる平等権で現在の人権とは違うものである。それでも南部の綿花栽培を始め農業を産業主体とする南部の民主党にとっては労働基盤を失う一大事なのだ。党内の穏健派ブレア議員の和平交渉を了承しながら急進派スチーヴン議員を説得し<法の下の平等>を党内一致させる。ロビイストを雇って民主党議員の切り崩しを図り、自らも説得に当たるというキワドイこともする。リンカーンはトキには静かに、トキには権限を誇示して議員達を説得に当たる信念の人として描かれる。それは単なる理想主義者ではなく、リーダーとしての在り方を示すことの大切さを痛感させる決断と実行が伴うものだ。
かたや人間リンカーンは家庭人として妻・メアリーの子供への想いを受け止め、長男ロバートの軍隊入隊に悩む父親でもあった。多くの犠牲者を出したリーダーとしての葛藤を背負いながら、迫る南軍との和平交渉をどのタイミングで決着するかの決断を迫られることに。

スピルバーグは、英雄リンカーンの生涯ではなく、<奴隷制度廃止のためには南北戦争終結を引きのばしという究極の選択をしてまで目的を果たした政治家リンカーンの苦悩>を丁寧に切り取って見せている。

リンカーンを演じたダニエル・デイ=ルイスは完璧な晩年のリンカーンに成りきって、文句なくオスカー獲得も納得の演技。夫人を演じたサリー・フィールドの母親であり大統領夫人であることの辛さと脆さが滲み出た演技も秀逸だった。
脇役ではスティーヴン議員を演じたトミー・リー・ジョーンズが大向こうから掛け声が掛かってもいい美味しい役どころ。

アメリカに黒人大統領が生まれたのは150年近くたってからのこと。今でも人種差別は完全にはなくなっていないが、多大な犠牲を払いながらリンカーンのこの大英断なくして現在はないことも確かである。また、真のリーダーとは?が問われる時代に本作は何らかのヒントになるのかもしれない。

 

「トイレット」(08・日) 70点

2013-04-23 19:04:52 | 日本映画 2000~09(平成12~21)
・独特の空気感から、家族4人の人間像が浮かんでくる。

 
 「バーバー吉野」(03)、「かもめ食堂」(06)、「めがね」(07)とコンスタントに発表してきた萩上直子念願の北米ロケ・英語版の作品。

他人と関わりたくないオタクの次男レイがアパートの火事に合い、母が死んで兄妹の住む実家へ戻ってくる。そこには母が死ぬ前に呼び寄せた日本人の祖母が同居していた。長男モーリーはパニック障害のため引きこもり状態のピアニスト。妹リサは勝気で生意気な大学生。祖母は「ばーちやん」と呼ばれるが、英語が喋れないせいか無口だ。問題を抱えた4人の生活がエピソードを重ねながら徐々に家族として絆を深めて行く。

萩上監督は実に淡々としたストーリー展開で独特の空気感がある。構図を決めながら余計な説明なしで物語を進めて行く手法は、肌合いが合うか合わないかで評価が分かれるところ。ただ今回は「めがね」では不発だったレトリックの面白さがあって、そこそこ楽しめた。

<トイレが異常に長く、出てくると必ず深いため息をつく>ばーちゃん。なにも喋らず、出前の寿司には箸をつけないが、餃子づくりはとても上手い。古いミシンも器用に使いこなせ、孫たちの頼みは何でも訊いて財布からお金を出してくれる。<センセー>と呼ばれる猫とともに存在感抜群なのだ。

題名からエンディングのオチまでクスリとさせるエピソード満載には洒落たセンスが感じられるが、それ以上のものはない。お馴染みのフード・スタイリスト・飯島奈美、猫、もたいまさこで萩上ワールドに浸り、<オシャレな女性向けグラビア雑誌>を観たような気分。

「OK牧場の決斗」(57・米) 65点

2013-04-18 17:34:44 | 外国映画 1946~59
・ ワイアット・アープとドク・ホリデイの友情物語。

 
 アリゾナ州トゥム・ストーンで起きたアープ一家とクラントン一家の争いをもとに保安官ワイアットとドク・ホリデイの友情を描いた王道を行く西部劇。
監督はジョン・スタージェスで決斗3部作やその後の「荒野の七人」「大脱走」でその名を知られている。必ず比較されるのは巨匠ジョン・フォード監督の「荒野の決闘」(47)で、同じ話なのに雰囲気がかなり違う作りになっている。
 ヘンリー・フォンダ扮するアープが詩情豊かに登場人物のドラマが繰り広げられ<愛しのクレメンタイン>が流れるJ・フォード版に対し、こちらはフランキー・レインの主題歌とともに決斗に至るまでの経緯を連ねながらドラマを盛り上げる作り。   どちらが好みかは人によるが、筆者は「駅馬車」と並ぶJ・フォードの最高傑作と言われる「荒野の決闘」に軍配を挙げたい。

 主役のワイアット役バート・ランカスターは男らしく逞しいが、人間味があまり感じられない。孤高の保安官と流れてきた美しき女賭博師ローラ(ロンダ・フレミング)との出逢いと別れが類型的で、無理やり決斗シーンにつなげる伏線に過ぎない扱いが消化不良。演技的にも見せ場が少なく気の毒な面もあった。
 反面カーク・ダグラスが演じたドクは不治の病・肺を患いながらとてもダンディ。エリート医師が賭博師に落ちぶれ何処か死に場所を探している風情が滲み出ていた。アメリカ版・平手御酒に似て、決まり過ぎの感もあるが儲け役だった。
 ドクの情婦・ケイトには「エデンの東」のジョー・ヴァン・フリートが扮しているが、達者な芸も見せ場がなかった。年齢のせいかK・ダグラスとのバランスも良くなく、リンゴ・キッドに乗り換え、また戻る節操のない女にしか見えなかった。このあたりが「荒野の決闘」との比較で見劣りするのはシナリオの出来の差か?
 クランプトン一家の末弟ビリーはジョン・フォード版では本作でのリンゴ役ジョン・アイアランドが扮していたが、本作ではデニス・ホッパーが演じている。若くして後のブレークを予測させる輝きを感じた。他では出番は少ないが、マカロニ・ウェスタンの個性派リー・ヴァン・クリーフが序盤に登場しているのも楽しめる。

 史実を踏まえフィクションを取り混ぜた本作のほうがドラマ性を重視した「荒野の決闘」よりオーソドックスな作りともいえるが、本格的西部劇としては中途半端な印象。反面、デミトリ・ティオムキンの音楽とフランキーレインの主題歌によって上手くカバーされていて西部劇ファンにとって傑作映画であることは間違いない。


映画「ザ・マスター」(12・米) 75点

2013-04-16 18:16:59 | (米国) 2010~15
・50年代のアメリカの苦悩を、時代考証によってリアルに再現したP・T・アンダーソン。

 「マグノリア」「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」のポール・トーマス・アンダーソンによる5年振りの新作。ベネチア・カンヌ・ベルリンの三大映画祭で監督賞を受賞した話題作。といっても華々しいエンタテインメント作品ではない。新興宗教やカルト集団が勢力を伸ばし始めた50年代アメリカの時代背景を舞台に社会から逸脱した帰還兵と新興宗教・指導者の共感できそうもない二人が主人公の出会いと別れの物語。
どちらかというと地味なテーマを徹底した時代考証の末そのリアルな再現に拘った映像と二人の主人公の強烈な個性が絡み合って、独特の世界を醸し出して行く。
帰還兵フレディを演じたホアキン・フェニックスは監督の期待に応え俳優へ本格復帰したことを本作で証明した。セックスと酒しか頭になく、社会生活に適応できない男を身体全体で表現して偶然出会ったザ・コーズという宗教団体に自分の居場所を見出そうとする。
その宗教団体の指導者ランカスター・ドットに扮したのがフィリップ・シーモア・ホフマン。自称、作家・哲学者で、独自のメソッドによりカウンセリングを行いマスターと呼ばれる。モデルはトム・クルーズやジョン・トラボルタなどが加入している<サイエントロジー>と思われるが新興宗教批判の映画ではない。むしろカリスマ指導者を目指す男の孤独感に同情の眼差しすら感じる。
性格も180度違う2人の男。最初は船に迷い込んだ男フレディに興味を覚え、彼を身近に置くことでファミリーとは違う互いに補完し合う間柄を持つようになり、離れなくなっていく。まるで男と女のような出逢いと別れが...。
2人の関係をイチバン危ぶんだのは年の離れた妻のペギー・ドッド。多分元信者で、何人目かの妻となって全てを仕切っているのだろう。マスター批判者への反論も支援団体資金流用も怪しげな医療行為も総て掌握しながら組織拡大を目論む陰の実力者だ。暴力も振るう危険な男が矛盾を感じ始めたらこの団体はどうなるかを恐れ排除しようとする。エイミー・アダムスが抑えた演技で不思議な存在感を魅せている。

独特の映像は65ミリフィルムを使用して懐かしい色彩を再現し、コッポラ作品で実力を培ったミハイ・マライメア・Jrが撮影担当。音楽はロック・バンド<レオヘッド>のメンバー、ジョニー・グリーンウッドで、この時代を巧みに音で表現している。<オン・ア・スロー・ボート・トゥ・チャイナ>というラブソングがハイライトで使われている。フレディが笑顔とともに流す涙が印象的だ。

映画「ヒッチコック」(12・米) 70点

2013-04-13 21:16:31 | (米国) 2010~15
・「サイコ」のメイキングで明かされる、ヒッチコックとアルマの夫婦関係。

  
サスペンス映画の巨匠ヒッチコック。なかでも傑作と言われた「サイコ」(60)の制作秘話と妻・アルマとの関係を描いた99分のドラマ。ともに英国の名優アンソニー・ホプキンスとヘレン・ミレンが初共演というのも驚きのひとつ。原作はスティーヴン・レベロの「ヒッチコック&メイキング・オブ・サイコ」。

ヒッチコックの特異な風貌は映像でかなり知られているので、A・ホプキンスがどの程度似せるかに最大の関心が寄せられたが、ソックリさんではなく2人が融合したという雰囲気。ホプキンス風ヒッチが却って効果的で、このドラマを面白くしている。美食家で大酒飲み・金髪好きは有名だが、彼が演じることで異常な嫉妬深さ・覗き見・死体愛好癖などの倒錯性など、私的欲求がそのまま映画になった理由に説得性が増したともいえる。
妻のアルマは映画ファンならヒッチが79年AFI功労賞を受賞したトキの名スピーチ「<映画編集者、脚本家、娘パットの母、優秀な料理人>であるアルマ・レヴィルに感謝したい。」を知っているひともいるだろう。ただ表舞台には滅多に出なかった人だけにH・ミレン演じるアルマはとても自然な演技で本物感が漂い、主演は彼女では?と思えるほどの見事さ。スカーレット・ヨハンソン演じるジャネット・リーにさり気なく嫉妬したり、真っ赤な水着で泳いだり、脚本家クックによろめいたり、さまざまな女の素顔も見せる。「私が先に監督でヒッチは助監督だった」とプライドを持っていたところも面白い。現に家を抵当に入れ低予算で作り上げた「サイコ」は失敗作だと自信を失ったヒッチを支えたのはアルマで、編集者としての有能さは彼が一番よく知っていた。
競演陣ではS・ヨハンセンやヴェラ・マイルズ役のジェシカ・ビール、秘書のトニ・コレットなど女優陣の好演が目立った。

映画会社パラマウントからは「精神異常者の殺人事件」映画が当たる筈がないと言われ、映倫からは睨まれ苦労して完成した映画が彼の最大のヒット作になった「サイコ」。映画史に残る3分間の「シャワー・シーン」に6日間を費やしたのは、天才の異常さを感じてヒッチがハンニバルに思えてしまった。ちなみに本作は「羊たちの沈黙」のモデルでもあるエド・ゲインをヒントに「サイコ」を企画したシーンで始まる。本作を見れば当然もう一度「サイコ」と「羊たちの沈黙」を見たくなる。

映画「沈まぬ太陽」(09・日) 50点

2013-04-10 11:05:47 | 日本映画 2000~09(平成12~21)
・映画化のモラルを問う作品。


「不毛地帯」「白い巨塔」など社会派作家・山崎豊子の長編をもとに<映像化されなかった最後の傑作>と言われた本作を、角川が苦難を乗り越え映画化に漕ぎ付け日本アカデミー賞を獲得した。
ナショナル・フラッグと言われる航空会社の軌跡をたどりながら人命に関わる航空機会社の在り方を問う問題作だけに、週刊誌に連載された時点で出版社(新潮社)とモデルとなった航空会社(日本航空)では確執があった。そもそもノンフィクションかフィクションかの境界線が微妙で<限りなくノンフィクションに近いフィクション>という原作に偏りがあったのでは?
その最大の理由は主人公の設定があまりにもヒーロー扱いで描かれていること。渡辺謙扮する恩地元は、正義漢溢れ純粋な企業戦士で若いころは労組の委員長だった。社員や安全フライトのため経営陣との闘争で勝利したが、経営側はあまりにも過激すぎて経営悪化を招くと第2組合を作るキッカケとなり、本人はカラチ・テヘラン・ナイロビと流刑とも言われる支店派遣が続く。10年を経て東京本社の閉職に復帰する折りしも御巣鷹山でジャンボ機墜落事故が発生。救援隊・遺族係へ派遣される。遺族への真摯な対応を評価され信頼を得て大坂の遺族係として赴任。政府は再建を期し人選に当たった結果、関西の紡績会社会長・国見正之を会長として迎えることとする。恩地は会長から会長室・部長として呼び戻され、特命事項を担当し会社の不正を糺すことに奮闘する。
まさにキャッチ・フレーズどおりの、<30年間、企業の不条理に翻弄されても絶対に諦めなかった男>の物語になっている。モデルになった実在人物は小倉貫太郎氏といい02年に亡くなっているが社内では有名人だった。東大法科出身で学生運動の闘士としての経験から、ある企業の労働運動に関わって退社。航空会社へ入社後は労組委員長として鳴らし、要求貫徹の戦術としてタブーと言われる総理フライト(池田首相の訪欧スケジュール)期間中スト決行を掲げたので一躍有名となった。その後アフリカ生活10年を経て東京本社へ戻るが、墜落事故の際遺族係として奮闘努力したのは別の人物だった。御巣鷹山にいち早く駆け付け4年間尽力したのは岡崎彬氏で、遺族相談室・世話役は岩田正次氏である。不正取引の調査をした事実はないようだ。ナイロビでの王侯貴族のような生活に未練があって転任願いしたとも聞く。
これではドラマとして成り立たないので、企業戦士の<イイトコ取り>をして恩地というヒーローが登場したのだ。
三浦友一が演じた友人でライバルの行天は架空の人物だが、複数の実在モデルがいる。西村雅彦が扮した八馬取締役、柴俊夫演じる労務担当役員で後の社長・堂本は実在する。彼らの<謂れのない悪行は払拭されないまま、事実として残ってしまう>。渡辺いっけい扮する運輸省課長は、原作者に直談判しようとしたが居留守を使われたとのこと。
もうひとり石坂浩二が扮した国見会長は鐘紡の伊藤会長のことで、あまりにもキレイごと過ぎると言わざるを得ない。長年に亘る労使関係の歪み、政治家・官僚との癒着、不採算路線の圧しつけ排除ができないこと、長期の為替予約で厖大な差損を抱えたこと、子会社のホテル投資失敗など経営陣のミスによって、この後経営悪化した事実は免れようもない。この点に深く切り込んだドラマなら大拍手を送れたに違いない。
大熱演した渡辺謙には惜しみない拍手を送りたいが、事実ではないヒーロー恩地元を美化した本作はかつてのNHK人気番組「プロジェクトX」の拡大スペシャル版を連想してしまった。
若松節朗監督を始め20回以上シナリオを書き直した西岡琢也、航空会社から協力を得られなかったスタッフなどの苦労が目に浮かぶが、フィルムは後世にも残っていく。エンディングでこの物語はフィクションであるというクレジットでは済まされない映画化のモラルというものがある。主人公が会社を止めない理由に<人間としての矜持を示したかった>と言うように。