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晴れ、ときどき映画三昧

映画は時代を反映した疑似体験と総合娯楽。
マイペースで備忘録はまだまだ続きます。

「否定と肯定」(16・英/米)80点

2018-05-21 15:50:23 | 2016~(平成28~)

・ いまタイムリーなテーマの法廷劇。




米国歴史学者デボラ・E・リプシュタット(レイチェル・ワイズ)が、<ホロコースト否定論>の英国歴史家デイヴィッド・アーヴィング(ティモシー・スポール)に名誉棄損で提訴される。
受けて立つことを決意したリプシュタットは、渡英し<ホロコースト否定論>を覆すため弁護団を組織する。裁判は00年1月王立裁判所で始まった。

5年間に渡って争われた実話をもとにドラマ化された地味ながらスリリングな法廷劇で、歴史修正のフェイクニュースが蔓延する今、タイムリーなテーマでもある。

監督は「ボディ・ガード」(92)でお馴染みのミック・ジャクソン。近年はドキュメント作品が多いという理由で起用された。

モデルであるD・リプシュタットの原作をデヴィッド・ヘアが脚本化。原題は「Denial」(否認)。

訴えられた側に立証責任がある英国の司法制度が現代にはそぐわないのでは?と思わせる。もし敗訴すれば<ホロコーストはなく収容所は消毒施設だった>というアーウィングの主張がまかり通ってしまう。

多額の基金を集め組織された大弁護団は、アーウィングの著作が事実の歪曲と偏見によるものだと地道に証明する手法を取った。

ストレートに発言しようと主張するリップシュタットや生存者の証言を抑えたのが事務弁護士のアンソニー・ジュリアス(アンドリュー・スコット)で、陪審員ではなく判事による公判に持ち込んだ。



法廷弁護士リチャード・ランプトン(トム・ウィルキンソン)はアーヴィングが事実からかけ離れている差別主義者の思い込みであり、ユダヤ人を忌み嫌う感情論に偏っていないかを地道に検証して行く。

近年日本を取り巻く近代史(太平洋戦争・南京事件・慰安婦問題など)がネットで騒がれ、様々なメディアを巻き込での論争があるが、事実の解明がこのようにされていけばと想わずにはいられない。

ヒラリー・スワンクに代わってヒロインに扮したR・ワイズは、チームを信じることの難しさ・素晴らしさを表情豊かに演じていた。

魅力的だったのはランプトン弁護士役のT・ウィルキンソン。決して感情を露わにすることなくコツコツと役割を果たし、優しい思いやりにも長けている。もう一人の主役ともいえる。

敵役のアーウィングを演じたT・スポールもああ言えばこう言うタイプのうるさ型を好演。

終盤、グレイ裁判長が「人が純粋に信じていることを嘘と断言してよいのか?」と問うシーンがあるが、なるほど相応しい人物像だ。

<歴史を否定する人と同じ土俵に立ってはいけない>という金言を改めて噛みしめるドラマだった。






「ゲット・アウト」(17・米 )85点

2018-05-05 16:35:58 | 2016~(平成28~)

・ 伏線があちこちあって、何回見ても新発見がある<社会派スリラー>。




米国のお笑いコンビ「キー&ピール」のジョーダン・ピールによる脚本・監督作品で、ヘイトクライムが拡がるトランプ政権下ならではの風刺が効いた社会派スリラー。

NY在住の写真家・クリスは恋人・ローズの実家で過ごすことになったが、何故か気が進まなかった。それは恋人が黒人だと知らない両親への不安だったから。

黒人に偏見がないという両親・家族は大歓迎するが、使用人の庭師・メイドは黒人で典型的な人種差別家族に見えた。

陸上の短距離選手だった祖父の知り合いを集めた年に一度のパーティが翌日開かれるが、参加したのは殆どが白人。居心地の悪さを感じたクリスは、唯一黒人の若者に声を掛けたが古風な服装で会話も噛み合わない。

スナップ写真を撮るとフラッシュに驚き、鼻血を流し「出ていけ!」と襲い掛かられる。

オスカー4部門(作品・監督・脚本・主演男優賞)にノミネートされたが、とりわけ伏線があちこちにある緻密な脚本が高く評価され受賞している。

かつての名作「招かれざる客」を想定しながら観ていたが、何となく怪しげな雰囲気。冒頭高級住宅街を歩く黒人が車で拉致されたシーンは何だったのか?

さらに使用人の言動が不自然で、特にメイドの様子がとても怪しい。

ネタバレなしでのレビューが難しいが、日常に潜む違和感がホラーとなって終盤は想定外の展開へなっていく。

主演したクリス役のダニエル・カルーヤも好演だが、メイド役のベティ・ガブリエルの怪しげな佇まいが印象的。笑顔で涙を流す表情が本作を象徴していた。

ピール監督は当初考えていたエンディングを変更したというが、筆者は変更した本作でよかったと思う。

何回観ても新発見があるコメディタッチのホラーで、かつ社会派スリラーという新ジャンルの傑作だ。






「IT/それが見えたら、終わり。」(17・米 )70点

2018-05-03 15:24:28 | 2016~(平成28~)

・ S・キングの代表作を映画化したホラー版「スタンド・バイ・ミー」。




「シャイニング」「ミザリー」のスティーヴン・キング代表作で90全米でヒットしたTVドラマを、監督2作目の新鋭アンディ・ムスキエティで映画化。

メイン州の田舎町デリーである大雨の日、ビルの弟ジョージーが行方不明になる。独りで外出させた責任を感じているビルの前に現れた<それ>が恐怖の始まりだった。

悲しみが消えないビルやルーザース・クラブ(負け犬クラブ)の仲間に現れる<それ>は、赤い風船とともに不気味なピエロ・ペニーワイズ。ひと夏の青春物語で、ホラー版「スタンド・バイ・ミー」だ。

ビルは吃音症で、仲間たちは喘息持ちのマザ・コンや転校生で肥満児だったり、親のト殺業が馴染まない黒人やユダヤ教のラビの息子など様々な境遇で、それぞれ本人なりの恐怖感がある。

ビッチの噂がある紅一点ベバリーは、父親から性的虐待を受けている少女。

仲間の7人を虐めるヘンリーたち不良グループにも風船は現れ、大人たちの無関心をよそに子供たちが消えて行く・・・。

コンプレックスを持った子供たちにしか見えないペニー・ワイズ。
ビル・スカルフガルズという27歳の長身イケメン俳優が扮しているが無論素顔は見せない。幻想的な衣装と髪の毛や目の演技で恐怖感を煽る。
モデルはジョン・ケイシーという実在の男がピエロの格好で子供たちを誘拐して33人殺害したことから。サーカスでのピエロのようなコミカルさも哀愁もなく、<道化恐怖症>という言葉が生まれている。

ビルに扮したジェイソン・リーバーバーは、「ヴィンセントが教えてくれた」(14)の少年オリバーだった。子供の成長は速く最初は分からなかった。

監督のデビュー作「MAMA」(未見)に出演していたのがフィン・ウルフハード。口達者の臆病者はビルのコメディ・リリーフ的役割。

ベバリー役のソフィア・リリスは、この時期の微妙な感性を表現していた美少女で今後が楽しみ。

父親殺しや下ネタ、流血シーンがありR15+だが、全米で大ヒットし、27年後の彼らが帰ってくる続編が19年完成するという。

ロードショー公開では決して観る気が起きない本作が楽しめたのは飯田橋ギンレイホールのお蔭だ。続編も観てみたい。







「エタニティ 永遠の花たちへ」(16・仏/ベルギー)60点

2018-04-25 13:43:32 | 2016~(平成28~)

・ フランス3大女優を起用、ユン監督による19世紀末の上流社会を再現した大家族の物語。




ベトナム出身、12歳で亡命した自身の生い立ちから大家族に惹かれたトライ・アン・ユン監督がオドレイ・トトゥ、メラニー・ロラン、ベレニス・ベジョの実力派女優を起用して19世紀末から続く上流階級の大家族に生きる女性たちを描いた愛と命の物語。

マーク・リン・ピンビンのカメラを始め、美術・衣装など当時の上流社会を再現、監督の美へのこだわりが隅々まで行き渡っている。

A・トトゥが演じたヴァランティーヌを17歳から老女までを一人で演じたが、彼女の一代記というより世代を超え命をつないでいく女性の喜びと悲しみをナレーションと音楽で綴っていく群像ドラマのトップランナー的存在。

従って結婚して6人の子供をもうけ7人目を生まれてスグ亡くし、20年目に夫を亡くすまでが美しい映像とともに流れるように描かれ、うっかりすると置き去りにされそう。

これは双子の息子が第一次大戦に出征して戦死するという深い悲しみが起こっても、娘が修道院へ入るときも同様で取り乱したり大声で泣きわめいたりしない。

中盤からヴァレンティーヌの息子アンリ(ジェレミー・レニエ)と結婚したマチルド(M・ロラン)と従妹のガブリエル(B・ベジョ)夫婦の物語へ。

マチルドはアンリと幼馴染で10人の子供を産み、ガブリエルは親が決めた結婚で理工系の秀才シャルル(ピエール・ドゥラドンシャン)と結ばれ愛を育んでいく・・・。

ユン監督の狙いは、喜びや悲しみを女優たちの感情に委ねるようなドラマチックな盛り上がりを望んでいないようだ。

そのため3人には調度品と同じような扱いに戸惑いもあって、とくに演技派を自負しているB・ベジョとは撮影中衝突もあったと聞く。

出来上がってみると<命には限りがあるが、生と死が繰り返される>という人間の根幹に触れる命の営みの偉大さが伝わってくる。

正直、ユン監督の哲学的な作風とは相性が良くないが、美しい映像とクラシックが流れるフランス100年の上流社会世界に浸ることができた。


「婚約者の友人」(16・仏/独 )85点

2018-04-20 16:16:21 | 2016~(平成28~)

・ 嘘をテーマにしたオゾン監督・脚本によるミステリー・タッチの人間ドラマ。




1919年ドイツとフランスを舞台に、戦死した婚約者の謎めいた友人と残されたヒロインによるミステリー・タッチの人間ドラマ。

モウリス・ロスタンの戯曲を映画化したルビッチ監督「私の殺した男」(32)のリメイクだが、フランソワ・オゾン監督が大胆に翻案している。

時代の雰囲気を出すためか35ミリフィルムのモノクロ画面とロマンティックな音楽が静謐な雰囲気を醸成してくれる。

ドイツの田舎町に住むアンナ。フランスとの戦いで婚約者フランツを亡くし、フランツの両親とともに悲しみに暮れる日々を送っていた。
ある日、フランツの墓前で花を手向け泣いている見知らぬ男を目撃する。

男はアドリアンというフランス人で、フランツの家に訪ねてくると問われるままに戦前のパリでフランツと知り合い親しくなったと言い、想い出を語り始める。その話を聴くうちアンナや最初は拒絶していた父親たちの癒しとなっていく。

だが、男には秘密があった・・・。

アドリアンはパリ管弦楽団のバイオリニストで、苦悩を抱えた繊細な芸術家タイプ。女性的な面や脆さを窺わせた風貌で演じたピエール・ニネが謎めいていて、ミステリー感満載だ。
筆者はてっきり彼の秘密は同性愛ではないか?と推測した。仲良くルーブル美術館を散策したり、彼の手引きでヴァイオリンを弾く回想シーンは色鮮やかなカラー画像となっていたからだ。

アドリアンにフランツの友人以上の感情を抱き始めたアンナにとって彼の秘密は驚愕そのものだった。その秘密を告白するためにドイツにきたという。アンナは、両親には自分が伝えるといってアドリアンを追い返してしまう。

アンナに扮したのはオーディションで選ばれた21歳のパウラ・ベーア。一途さと力強さを兼ね備えた可愛らしい瞳が印象的で、ヴェネチアの新人賞を受賞している。

ルビッチ作品とは違って、本作はドイツ人アンナの視点で描写される。そのため終盤までミステリー・タッチが生かされ、さらに当時のフランスを客観的に捉えている。アドリアンがドイツで受けた仕打ちは、後半パリに渡ったアンナが観た光景となって展開する。まるでナショナリズムが蔓延しそうな今のヨーロッパへの警鐘のようだ。

アンナは嘘をつくことで神に赦しを請いフランツの両親を救うが、アドリアンはアンナを傷つけたことに気づくのがあまりにも手遅れだった。
彼女はルーブル美術館で<若者が仰向けになっているマネの絵>を観ることで生きる勇気が沸いてくるという。

歴史はさらに過酷な第二次大戦を迎えるが、アンナには新しい人生を生き抜いて欲しいと願わずにはいられないエンディングだった。

40代の最後で、成熟した大人向け映画を作ったオゾンに拍手を送りたい。










「ドリーム」(16・米)70点

2018-04-07 13:35:51 | 2016~(平成28~)

・ 二重の差別にメゲズ頑張った女性賛歌の痛快エンタテイメント。




62年米国有人宇宙飛行計画(マーキュリー計画)で、初めて地球周回軌道を飛行した宇宙飛行士ジョン・グレンの功績を陰で支えたNASAの黒人女性スタッフたちの、知らぜざる事実に基づく痛快エンタテイメント。

監督は「ヴィンセントが教えてくれたこと」(14)のセオドア・メルフィ。3人のヒロインにはタラジ・P・ヘンソン、オクタヴィア・スペンサー、ジャネール・モネイが扮し、ケヴィン・コスナー、キルスティン・ダンスト、ジム・パーソンズ、マハーシャ・アリ、グレン・パウエルらが脇を固めている。

天才的な数学の才能を持つキャサリン(T・P・ヘンソン)を中心に、計算部の実質的管理職ドロシー(O・スペンサー)、エンジニア志望のメアリー(J・モネイ)の3人。

この時代の南部での有色人種への差別は激しく、おまけに男女格差は当たり前の社会であることを全編で知らされる。

トイレが黒人専用で研究所から40分もかかる場所しかなく、ティポットも別々。今では当たり前のコンピュータによる解析も計算手と呼ばれるチームが存在しそこには優秀な黒人女性たちが担い手だった。

最先端技術の粋を集めたNASAにおいてこのような事実があったとは思えないが、フィクションによってより明確になった差別を乗り越える彼女たちが軽快な音楽に乗ってポジティブに描かれ、現在も色濃く残る米国への警鐘ともなっている。

なるほどと思ったのは、無自覚な男女差別。筆者も含め<女の割りに優秀だ>と思って思わず言葉に出してしまうジム・ジョンソン(M・アリ)やメアリーの夫など人種とは無関係に男たちの本音が描かれる。

偏見のないハリソン本部長(K・コスナー)でさえ、差別に気づいていない現実は現代社会でもよるあることだ。

60年代の華やかなファッション、ビンテージ・カーが登場し、米国が頑張っていた時代。NASAという象徴的存在の裏に誇り高い彼女たちが時代の先駆けになって活躍していたのを改めて知る想いだ。

ちなみにこの撮影監督は数少ない女性であるマンディ・ウォーカーである。






「ダンケルク」(17・米)75点

2018-04-02 16:27:54 | 2016~(平成28~)

・ 観客を巻き込む臨場感溢れるドラマに挑んだC・ノーラン監督の意欲作。




「ダークナイト」(08)、「インセプション」(10)のクリストファー・ノーラン監督による第二次大戦での救出作戦<ダイナモ作戦>をもとに描いたサバイバル・アクション。

1940年5月仏北部の港町ダンケルク。若き英国兵のトミーはビラが舞い落ちる無人の街中で突然銃撃を受け、必死で逃げ回っていた。ひとりだけ生き残りたどり着いた海岸には、大勢の兵士たちが救助の船を待っていた。

英首相チャーチルが英・仏連合軍40万人の救出に向け、輸送船・駆逐艦そして民間船舶も動員した作戦のエピソードを陸の一週間、海の一日、空の1時間の同時進行で描いた群像ドラマのスタイル。

英国人のノーマンにとって、<陸海空において神が我々に与えた全ての力を用いて戦う。決してあきらめるな!>というチャーチルの名言はダンケルク・スピリットとして深く身に沁みついていることだろう。

当然感動のドラマとして描くことはできたが、それを避け映像で観客を巻き込み戦場にいるような極限状態での臨場感を味わうことで、戦時下での人間の無力感や生きることの大切さを実感してもらうことに全エネルギーを注いでいる。

そのためIMAXのフィルムを使用し、リアルな大音量と途切れない緊張感を醸し出すタイマー音などが効果的だ。

出演した俳優もトミーに扮したフィオン・ホワイトヘッドを始め若手は無名に近い俳優を起用、ケネス・ブラナー、キリアン・マーフィー、マーク・ライアンス、トム・ハーディなど著名な俳優を随所に配した鉄壁なキャスティングだ。

随所に英国賛歌が織り込まれJ=ポール・デルモンド、C・ドヌーブ主演の同名映画「ダンケルク」(64)のフランス兵の悲劇とは大分趣きが違っている。

なかでもスピットファイア戦闘機は本物を使ての空軍パイロットの大活躍ぶりや民間船舶で救助に向かうさまは英国賛歌そのもの。

感動のドラマを避けたかったノーマンには商業映画として成功するための葛藤が見え隠れする作品ともいえる。

「メメント」(00)以来、筆者を惹きつけてやまないノーマン監督。これからもその多才ぶりで驚かせて欲しい。




「夜空はいつでも最高密度の青色だ」(17・日) 70点

2018-03-25 16:13:44 | 2016~(平成28~)

・ 詩からストーリーを起こし映像化した石井裕也監督・脚本によるラブ・ストーリー。




「舟を編む」など若手邦画界をリードしている石井裕也監督が、最果タヒの詩集から東京の片隅で孤独を抱えながら懸命に生きる若者同士の繊細な恋愛模様を映像化。17年キネ旬邦画部門のベスト1に輝いた。

看護師・美香(石橋静河)は言葉で表せない不安や孤独を抱えながら、夜はガールズバーで働いている。
日雇いの工事現場で働いている慎二(池松壮亮)は死の予感を胸に直向きに暮らしている。
そんな二人がガールズバーで出会い、その後運命的な遭遇によって心を通わせて行く。

12本目というハイペースで映画化している33歳・石井監督が、詩からストーリーを組み立て映像化するという実験的な試みに挑んで、リアリティとファンタジーの融合が巧みに絡み合っている。

途中アニメーションに変わったり詩が流れたりするのに戸惑いはあったが、 インテリだった老人の孤独死や出稼ぎ労働者の喜怒哀楽をみながら、現在の様々な世相を反映した時代を切り取ったラブストーリーに仕上がっている。きっと20年後本作を観て、この時代の渋谷や新宿を懐かしむ人も多いことだろう。

美香を演じた石橋静河は、父・石橋凌に面影がそっくりで母・原田美枝子のような演技力には及ばないが、監督の演出によって不安と孤独を抱えながら懸命に生きる女性にピッタリ。

慎二の池松壮亮は監督お気に入りの俳優だが、今回はこんな若者が現代の底辺を支えているのでは?と想わせるイメージぴったりの役柄で最高の演技を魅せている。

もうひとり監督の常連である慎二の同僚に扮した松田龍平、同じく同僚で独身の中年・田中哲司が個性豊かな存在で脇を固め、市川実日子、三浦貴大は友情出演的な役割りで目を引いた。

<透明にならなくては息もできないこの街できみをみつけた>という詩のように、都会で暮らす不器用な二人が、希望をもって生きて行ける社会であることを願わずにはいられない。

「幼な子われらに生まれ」(17・日 )75点

2018-03-20 13:44:09 | 2016~(平成28~)

・ 血縁だけではない<家族とは何か?>を問う人間模様。




作家・重松清と脚本家荒井晴彦が21年前約束した映画化を三島有紀子監督で実現した。

バツイチ同士の田中信(浅野忠信)と奈苗(田中麗奈)夫婦。信の元妻・友佳(寺島しのぶ)と奈苗の元夫・沢田(宮藤官九郎)。4人の不器用な大人たちが繰り広げる、本当の家族とは何か?そして血縁関係の有無だけでは決められない現代の家族の在り方を問う人間模様を描いている。

奈苗の妊娠があって小6の薫(南沙良)が本当の父親と会いたいと言い出し、平穏だった田中家の歯車が狂い始める。
奈苗は元夫の沢田がDV常習者だったため猛反対するが、信は薫の辛辣な言葉に傷つき疲れ果ててしまう。考えあぐねた末、沢田に面会し対面させようとするがお金を要求される。

表面的には普通の人だが、実は一筋縄では行かない役柄に定評がある浅野忠信が、等身大の父親役を演じている。監督が最初から彼をキャスティングしていたのは、観客の予想を裏切ってのことか?
ここでは、仕事より家庭優先のため出向して慣れない倉庫作業を強いられ、家庭では妻に頼られ長女にパパは一人でいいと詰られる気の毒な男。
前妻と実の娘沙織(鎌田らい樹)、妻と二人の娘の5人を相手に、終始受けの演技に徹しながら表情ひとつで微妙な感情の変化で魅せる。

田中麗奈の夫を頼り平穏な家庭を築くことが生き甲斐の専業主婦。寺島しのぶの大学准教授役とは両極だが、ふたりとも現代女性の在り方を象徴していて期待どおりの好演。

宮藤官九郎扮するダメ男ぶりが役得だった。家族に束縛されるのはまっぴらで暴力を振るうDV男だが、長女と対面するとき髭を綺麗に剃り髪を整えたスーツ姿でションボリとベンチで座る姿が愛おしい。

大人たちに交じって3人の子役が大活躍。小6の薫と沙織は思春期の悩みを夫々のキャラクターで演じ、次女の幼い恵理子(新井音羽)の、まるで演技している感じがしない自然な言動は、改めて天才子役であることを証明した。

ドキュメンタリー出身らしく即興演技を巧みに演出した三島監督、21年前書き下ろした原作・重松清の先見性、荒井晴彦の巧みな人間の心理描写によるトライアングルが<家族とは?>を観客に問いかけてくる。



「シェイプ・オブ・ウォーター」(17・米 )60点

2018-03-11 16:58:18 | 2016~(平成28~)

・ 第90回オスカー作品賞は、時流に乗ったサブ・カルチャー版「美女と野獣」。




サブ・カルチャーの奇才ギレルモ・デル・トロが製作・監督・脚本を手掛けた第74回ベネチア金獅子賞作品のファンタジー・ラブストーリーが、第90回オスカー作品・監督賞など4部門を受賞した。

62年冷戦下の米国・ボルチモアにある極秘研究所に不思議な生き物(半魚人)が運ばれてくる。幼いころ声を失ってしまった女性イライザ(サリー・ホーキンス)は半魚人が解剖されるのを知り、何とか海に逃がしてあげたいと行動を起こすうち心を通わせて行く。

種族を超えた者同士が魂を通わせ、かけがえのない存在として愛し合うファンタジー・ラブストーリーといえば「美女と野獣」を思い起こす。

本作は若くて美しいヒロインではなく、言葉というコミュニケ-ション手段を持たないハンデキャッパーで清掃員のイライザで異色のヒロイン。
演じたS・ポッターは失礼ながら決して美人ではないアラフォー女優だが、地味ながら演技派で筆者には「人生は時々晴れ」(02)、「17歳の肖像」(09)、「ブルー・ジャスミン」(13)などで記憶に残る助演女優。
監督は彼女をイメージしてシナリオを書いたという程、心優しいイライザ役にピッタリ。

いきなりスレンダーな裸身を晒しバスタブでの自慰行為から始まるヒロイン像は、<美女と野獣への対抗心>がありありと感じられる。

半魚人は、監督が幼い頃観たアマゾンの秘境で神として崇められていた「アマゾンの半魚人」のキャラクター。スーツアクターを演じたのはダグ・ジョーンズだが、これも<美女と野獣>とは違って王子様の化身ではない。

異色のカップルを暖かく見守るのは隣人の老画家ジャイルズ(リチャード・ジェイキンス)と、清掃員のゼルダ(オクタビア・スペンサー)の二人。ゲイであることを隠しているジャイルズと、黒人なるが故貧しい生活を強いられているゼルダは、何れもマイノリティである。

対して敵役のスクリックランド大佐は、マイノリティを抑圧する横暴な白人で、早く現状から脱出して出世街道を走り続けようとする傲慢な男。
演じたマイケル・シャノンは、やることなすこと憎々し気な60年代の白人男性の象徴的存在で現大統領のイメージと重なってしまうのはうがち過ぎか?愛読書が「パワー・オブ・シンキング」というのも同じ。暮らしを豊かにすることを最優先し、愛車はティールカラー(淡い緑)のキャデラック。

時代を反映したポップスが流れ、青緑と赤をアクセントカラーにした美しい映像が際立ち高次元の演出と卓越した演技でサブカルチャーの存在を主張した怪奇映画へのオマージュともいえる本作。本国ではその暴力とセックス描写がR18以上指定になってしまった。

筆者はオスカーを獲らなかったら映画館へ足を運ばなかっただろうが、再度観る機会があれば新たな発見があるかもしれない。