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晴れ、ときどき映画三昧

映画は時代を反映した疑似体験と総合娯楽。
マイペースで備忘録はまだまだ続きます。

「メイド・イン・ホンコン」(97・香港 )75点

2018-09-25 15:53:41 | (欧州・アジア他)1980~99 

・ 中国返還に揺れる香港に住む貧しい若者たちの鮮烈な青春ドラマ。




97年の香港、複雑な家庭環境で生きる少年少女たちをスタイリッシュに描いた青春ドラマ。アンディ・ラウ製作総指揮、監督・脚本はフルーツ・チャン。4Kレストア・デジタル・マスター版で蘇った。

たった5人のスタッフによる製作費5万ドルの香港インディーズ。主演のサム・リーはスカウトされ映画初出演だったが鮮烈な印象を残し本作を機にスター街道を歩んでいる。

今年高速鉄道開通で中国本土と繋がる香港は、 1国2制度を前提に21年前中国返還された。当時の人が抱える閉塞感を背景に、社会の底辺に生きる人達の暮らしが投影されている。

筆者が香港に行ったのはこの数年前だったが、若者達は絶えず携帯電話で会話し、低空飛行の飛行機が高層ビルの谷間を飛び交い、車のクラクションが鳴り響き、そのエネルギッシュな街の騒音に驚かされた記憶がある。

蒸し暑く高層ビルが林立するそんな懐かしい街並みで繰り広げられた少年チャウ(サムリー)と16歳の少女ペン(ネイキー・イム)の純愛物語は、過酷な日々の連続でもあった。

飛び降り自殺した女子学生の遺書2通を拾ったロン(ウェンダース・リー)。知的障害のあるロンを弟のように可愛がるチャウは借金取りを手伝う不良少年だが、正義感が強く優しさもある。

そんな二人がベリー・ショートの少女ペンと出逢う。彼女が重い腎臓病で余命僅かと知り、危ない仕事を請け負い金策することを決意する。

フルーツ・チャンは、アンディ・ラウから4万フィートの期限切れフィルムの提供をもとに撮影。若者たちに2か月掛けてリハーサルを重ね自分たちの言葉で演技させている。粗さは観られるがとても臨場感があり、墓地の絶景や急勾配の路面電車など香港ならではのロケがとても効果的だ。

女子学生が残した2通のうち家族に宛てた遺書がペンとチャウの言葉で紡がれるラスト・シーンがとても哀しい幕切れとなる。

エンディングでラジオで流れる毛沢東の若者に向けたメッセージが空しく流れる。勿論中国本土では反体制映画として上映禁止である。



「ミッション」(86・英 )65点

2018-07-29 13:38:34 | (欧州・アジア他)1980~99 

・ 18世紀南米での殉教をもとにした壮大なスぺクタル。




18世紀スペイン植民地の南米パラナ川上流域で起こった「グァラニー戦争」をもとに、先住民へのキリスト教布教に従軍したイエズス会宣教師たちによる葛藤の物語。
監督は「キリング・フィールド」のローランド・ジョイでカンヌ・パルムドール作品。

キリスト教の教えを全世界に広めるため設立されたイエズス会。南米の奥地に派遣された神父のガブリエル(ジェレミー・アイアンズ)の前に立ちふさがっていたのは、巨大なイグアスの滝だった。

そこで出会ったのがスペイン入植者で傭兵のメンドーサ(ロバート・デ・ニーロ)で奴隷商人でもあった。

滝の上に住むインディオ達に決死の覚悟で這い上がり神の教えを伝道するガブリエルと、インディオ達をさらって土地の権力者に売りさばくメンドーサは仇敵となる。
ところが実の弟を嫉妬から殺してしまったメンドーサ。抜け殻のようになりガブリエルが救いの手を差し伸べる。

エンニオ・モリコーネの音楽とクリス・メンゲスのカメラが壮大なスぺクタルを醸し出し、なかなかな迫力だ。

地上の楽園が崩壊するキッカケはスペインとポルトガルの覇権争いから。覇権拡大と布教活動の一致はあるところから矛盾してきて悲劇が起こる。

グァアラニー族の住む一帯はスペイン領となるがインディオたちはポルトガル領へ退去を命じられる。

抵抗するグァラニー族に再び剣を取るメンドーサとそれに同調するガブリエルの弟子フィールディング宣教師(リーアム・ニーソン)。

ガブリエルは「力が正義なら愛の居場所はない、それが現実ならそんな世界は生きられない。」と死を恐れず運命を神に委ねる。

結果は歴史が証明するように無抵抗な女・子供・年寄まで容赦なく銃殺した連合軍だった。

地上の楽園で殉教したイエズス会の伝道者たちと多数の犠牲者を出したインディオたち。アルタミラーノ枢機卿は<人間が作ったのだよ。こういう世界を。>とつぶやく。

J・アイアンズとデ・ニーロの熱演が光る宗教映画だったが、クリスチャンではない筆者には本当の正義とは何か?矛盾だらけの作品としてのモヤモヤが残った作品だった。


「台北ストーリー」(85・台)80点

2017-09-14 12:29:53 | (欧州・アジア他)1980~99 


・ 台湾ニューシネマのE・ヤン長編2作目が4Kデジタルで本邦初公開された。




台湾ニューシネマの雄エドワード・ヤン監督。生誕70年没後10年を記念して、代表作「クーリンチェ少年殺人事件」(91)とともに長編2作目の本作が4Kデジタルで蘇った。原題は「青梅竹馬」(幼なじみ)。斬新な作風が当時の台湾の観客には受け入れられず4日間で打ち切りとなった曰くつきの作品でもある。

家業の布問屋を継いだ元リトルリーグのエースだったアリョンと不動産ディベロッパーのキャリアウーマンのアジンは迪化街で育った幼なじみのカップル。
二人は同居のため新しいアパートへ下見にきていた。積極的なアジンに対し、どことなく乗り気がしないアリョン。
80年代経済成長で変貌を遂げる台北を舞台に、栄光に囚われた男と過去から逃れ未来に想いを馳せる女のすれ違いを描いたラブストーリー。

主人公アリョンを演じたのは盟友ホウ・シャオシェン。家を抵当に入れ本作のプロデューサーでもある。

ホウ・シャオシェンの推薦でヒロイン・アジンに扮したのが人気歌手ツァイ・チェン。

決して美男美女のラブロマンスではないが、方向性の違う訳アリの2人がすれ違うサマはとても切なく心に沁みる。

ラブストーリーの定番は2人のすれ違いを、異国情緒豊かな街並みや、彼らを取り巻くを人々の生き遣いが見え隠れする様子が背景に映し出されること。

お手本である米国や日本のカルチャーが混在する台北。ヤン監督はコンクリートのビル街やネオンで変貌する街並みを光と影で切り取って行く一方、西の古い街並みの迪化街に住むアジンの両親・妹やアリョンの後輩でタクシー運転手・アキン一家の暮らしぶりを通して経済成長に取り残された人々を捉えている。

蒋介石総統の肖像と中華民国万歳というネオンの前を若者たちのバイクが爆音を立て疾走するシークエンスが時代の象徴でもある。

人生の再出発には相応しい土地かもしれないカリフォルニアも、ベクトルの違う2人には到達点にはなりそうもない。

ヨーヨーマの奏でるタイトル・バック(J.S.バッハ無伴奏組曲2番ニ短調)で始まるドラマは、富士フィルムの屋上ネオンをバックに流れるBGM(ベートーヴェン チェロソナタ3番イ長調)が二人の未来を暗示しているようだ。

「ラストエンペラー」(87・伊/中国/英) 70点

2017-08-13 14:24:50 | (欧州・アジア他)1980~99 

 ・ 清朝最後の皇帝・溥儀の生涯を描いた、壮大なエンタメ作品。


溥儀自伝「わが半生」をもとにベルナルド・ベルトリッチ監督がマーク・ペプローとの共同脚本により清朝最後の皇帝・溥儀の人生を壮大なスケールで描いた歴史劇。
歴史的事実よりも大胆な創作を織り込んだエンタメ作品で、この年のアカデミー賞作品賞など9部門を受賞している。

1950年国共内戦終結とともに満州国が崩壊、ソ連に抑留された皇帝・溥儀が中国に送還され戦犯として帰国した。ハルピン駅で自殺を試みるが失敗。
意識が朦朧とする中で思い出したのは幼少の頃。僅か2歳で清朝皇帝に即位した紫禁城での暮らしは、何不自由ないものの激動の生涯の始まりだった。

50年、戦犯期から遡って08年、幼少時代の皇帝即位・紫禁城内での暮らし、24年、北京事変による追放、32年、満州国執政から皇帝即位、そして晩年の文化大革命までをカットバックによる溥儀の波乱に満ちた運命をドラマチックにダイジェスト版で描写した163分。

ベルトリッチは中国の協力を得て世界初の故宮(紫禁城)のロケを敢行し、太和殿での荘厳華麗な即位式など圧巻な映像美で魅了。
中国現代史を背景に、近代化の波に揉まれ孤独な人生を送らざるを得ない悲劇の主人公として観客を誘導している。実在の溥儀はもっと強かで生命力に長けた人物だったが・・・。

主人公の溥儀を演じたのはジョン・ローン。結婚した15歳から晩年までを独りで演じ分けている。

台詞が英語である不自然さを感じさせないのは、 ピーター・オトゥール扮する英国人家庭教師レジナルド・ジョンストンが登場してから。流石に西太后や宦官らが英語を話すのは不自然で、坂本龍一が演じた敵役甘粕大尉が日本語だったのは一安心。

秀逸なタイトルバックのオープニングから、語り草となっている坂本龍一のテーマ音楽が流れるエンディングまで、エンタメ作品として完成度が高い。
メクジラ立てても仕方がないが、当時の中国が製作に加わっているので当然だが、敵国日本の扱いにはあたかもこれが全て真実だと思って観る日本の若者や世界中の人々が大勢いると思われるのが残念!
史実とは違う側面もあることを念頭に置かなくてはならない。




「ニキータ」(90・仏)70点

2017-08-04 14:25:17 | (欧州・アジア他)1980~99 

・ L・ベッソンの出世作は<マイ・フェア・レディの女殺し屋版>。




本作が出世作となったリュック・ベッソンは、90年代フランス映画界で最も勢いのあった監督で、ヒロインは当時結婚していたアンヌ・パリロー。

警官殺しで終身刑となった麻薬中毒のニキータ。不良少女から秘密工作員へ美しく変貌して行くニキータは、一般社会人として暮らしながら次々とくる指令により人を殺す生活に、心身ともに苦悩する。

劇画チックなストーリーだが、有無を言わさず引っ張って行くパワフルでスタイリッシュなストーリー・テリングはベッソンならではの魅力。

当時30歳のA・パリローは、ボーイッシュなスタイルで19歳から23歳のニキータを演じ魅了して行く。

ニキータを不良少女から秘密工作員へ仕立てた生みの親は上官のボブ(チェッキー・カリョ)。指導者でもあり冷徹な上司でもあるが、心の隅には恋人的役割を意識している。

もうひとり、母親的存在に先輩教育係のアマンドがいる。このほど89歳で逝去した大女優ジャンヌ・モローが扮し、出番は少ないが圧倒的な存在感は前半見せ場のひとつ。

「ルージュを引くのよ本能のままに・・・」「どう振る舞えばわからない時には、微笑みなさい。知的に見えなくても相手に好感を与えるわ。」「私の手を見ているの?昔はキレイだった。今はシワだらけだけど。」などの台詞はJ・モローならではの説得力。

23歳の誕生日、着飾ってボブと初めてレストランへ出かけるシーンが前半最大のハイライト。プレゼントは拳銃で、ここで起こる殺人指令の卒業試験はとってもスリリング。

後半はマルコ(ジャン=ユーグ・アングラード)との出会いで束の間の幸せを味わうが、優しい恋人とのヴェネチアへの旅行も殺人指令がついて回る。

傷つきながら自由を求め苦悶するニキータにきた次の指令はソ連大使館にある機密文書の入手。

想定外のことが起こり派遣されたのが4年後の「レオン」のモデルともなったジャン・レノ扮する掃除屋ヴィクトル。その猪突猛進ぶりは凄まじく、全てをさらってしまう。

<マイ・フェア・レディの女殺し屋版>といってもよい本作のラストシーンは、如何にもフランス映画らしい余韻のある終焉だった。


「あの子を探して」(99・中国)75点

2017-03-19 12:05:03 | (欧州・アジア他)1980~99 


  ・ チャン・イーモウ監督の優しさ溢れるドキュメント風感動作。


    

 「紅いコーリャン」(88)でベルリン金熊賞を獲得以来、欧州の映画賞を総なめにしてきた中国のチャン・イーモウが、パートナーのコン・リーと別れ新作に挑んだリアルで感動的なドキュメント風作品でベネチュア映画祭グランプリを獲得。同年にチャン・ツィイー主演の「初恋のきた道」がある。

 中国の過疎化が進む(水泉村)で代用教員になった13歳の少女ミンジと28人の生徒との交流物語。

 ハイライトは母親の病気で出稼ぎのため都会に出た腕白少年ホエクーを追って、連れ戻そうと探しに出るが行方不明となり、必死に探し求めるミンジの姿をドキュメンタリー的手法で描いているところ。

 主演のミンジやホクエーなど子供たちはオーディションで集め、村のチャン村長やカオ先生も本名で出演した素人。脚本を渡さずに順を追って演技させたという。そのため子供らしい素朴な言動が画面に躍動している。

 日本人の道徳観とは違和感があるのは大人も子供もお金が動機で行動する拝金主義。ミンジはカオ先生が親の病気療養で1か月休むため50元で雇われたが、その間ひとりも生徒が辞めなければ報奨金が出ると言われ必死になってホエクーを連れ戻そうとしている。

 それでも周りの大人には温かい目で見守る人もいる。バス代捻出のためレンガ運びをした子供たちにお金を渡した工場長や都会に出て迷子になったホクエーに食べ物をくれた食堂のオバサンなど・・・。

 監督は、赤いほっぺで笑顔を見せない危なっかしいミンジにも優しい眼差しでカメラを向けて行く。いつしか彼女のホエクー探しがお金のためではなく、弟を探す姉のような愛情溢れる姿へ変わって行くさまを息づかせている。

 躍動感溢れる都会の暮らしとはかけ離れた泉水村の暮らし。子供たちはチョークの大切さ、初めて知るコーラの味に驚く姿は微笑ましい。

 監督は否定しているが、高度成長期の現代中国における都会と地方の格差をやんわりと警告しているように映る。制作時から15年以上経過した現在、その格差は益々拡がるばかりだ。 

「ガンジー」(82・英/印) 75点

2017-03-14 15:32:32 | (欧州・アジア他)1980~99 


  ・ ガンジーを壮大なスケールで描いたR・アッテンボローと成りきったB・キングズレー。


   

 「インド独立の父」マハトマ・ガンジーの青年期から78歳の生涯を壮大なスケールでその足跡を描いた歴史ドラマ。

 監督は「遠すぎた橋」(77)のリチャード・アッテンボローで20年来の企画を実現させた渾身の作。

 ガンジーは非暴力不服従の活動家として英国領だったインド帝国の独立運動の担い手として知られる英雄。本作では史実をもとに、人間ガンジーの人となりの様々なエピソードを淡々と描いている。

 何といってもガンジー役を筆者と同い年であるベン・キングズレーが、南アフリカの青年弁護士時代から78歳で暗殺されるまでを一人で演じきったのが最大の功績だ。

 ’93南アで有色人種として列車から放り出される人種差別を受け、アシュラム(共同農場)建設、インド人労働者結束を呼びかける。

 ’15ボンベイへ帰国すると英雄として迎えられる。祖国では宗教の違いを超え民族自決の精神を唱え英国への経済依存からの脱却を試み、投獄されながらも抵抗運動を続け断食という手法で訴え続けて行く。

 一介の弁護士から活動家・宗教家への軌跡が崇高に描かれ、英国製の織物を焼き捨て、塩の大行進をするなど反英国の行動は無抵抗主義とは違う行動のひとであることが分かる。

 映画なので事実では描かれない「カースト制度容認」や「禁欲主義の実態」は省かれているが、マザー・テレサと並ぶインドが生んだ偉人であることは紛れもない。

 何より民衆に慕われたのがその証で、その要因にマスコミ操縦の巧さや知識人を味方にする人間的魅力があった。

 南ア時代はNYタイムズ記者(マーチン・シーン)や英国人牧師(イアン・チャールソン)が居たし、晩年はライフ誌女性記者(キャンディス・バーゲン)が世界中に彼の日常が伝えられた。

 そして周辺にはカストゥルバ夫人やネルー(インド初代首相)、パテル、ジンナー(パキスタン建国の父)などがいた。

 ガンジーが願っていた「ヒンズーとイスラムが融合したインド」は成立しなかったが、忍耐と信念の人で断食という武器を使わない手段で平穏な世の中を実現しようとした英雄であることは本作で充分伝わった。

 

 

「サン★ロレンツォの夜」(82・伊) 75点

2016-06-05 12:38:08 | (欧州・アジア他)1980~99 

 ・「知っているだろう?恋と咳は隠せない」

                    

  '44イタリア・トスカーナ地方、ナチ占領軍から逃れ連合軍を探しに出たリーダーのガルヴァーノ(オメロ・アントヌッティ)が、旅の終わりに伯爵夫人コンチェッタ(マルガリータ・ロサーノ)へ伝えた言葉。

 ナチ傀儡政権を支持するファシスト・黒シャツ党とレジスタンスとが争う悲惨な状況にも関わらず、当時6歳のチェチリア(ミコル・ギデッリ)にとって、連合軍を探す旅はまるでピクニックに行くようなウキウキした気分だった。

 スイカを食べたり、大切な生卵に腰掛けたり、米兵からガムやコンドームの風船をもらったりハプニングを体験しながらの旅は続く。

 時には追跡してきた黒シャツ党がカルヴァーノ一行を銃撃する恐ろしい目にあったりするが、母親イヴァーノから教わった呪文を唱えると、突然ローマ軍騎士団が現れ槍で串刺しにして征伐してくれた。
 
 パオロとヴィットリアのタヴィアーニ兄弟が製作したドキュメント「サン・ミニアード'44年7月」を寓話風にリメイクした本作は、「父パードレ、パドローネ」(77)と並ぶ代表作。2人の体験を基にしたこのドラマのチェチリアは分身であり、ガルヴァーノは父親がモデルとなっている。

 聖堂に避難した村人たちが爆破されたり、顔見知り同士が敵味方となっての銃撃戦など、それぞれのエピソードはリアルに描かれ、あっけなく命を失うその悲惨さや虚しさばかりが浮き彫りにされてしまう。

 そこで、チェチリアの視点でロレンツォに捧げる8月10日<流れ星がたくさん見られるときに呪文を唱えると願いが叶う>という諺をもとに描くことによって、いくらかでも緩和させる役割を果している。

 バックに流れる二コラ・ピオヴァーニの叙情豊かなメロディとともに、このヒューマニズム溢れるストーリーは終焉を迎え、お天気雨のラストシーンはあらゆる人々の喜怒哀楽を洗い流してくれそうだが多大な犠牲を伴った内戦は<覆水盆に返らず>。

 ガルヴァーノの述懐は「これが40年前だったら良かったのに。今は歯がないんだ。」これもまた<覆水盆に返らず>だ。

 
 
 

 


               

「バベットの晩餐会」(デンマーク・87) 80点

2016-03-10 18:34:27 | (欧州・アジア他)1980~99 

 ・ 料理と芸術は人の心を豊かにしてくれる。

                     

 19世紀、デンマークのユトランドを舞台に、牧師の父親とその遺志を継いで伝道師となった姉妹の半生を描いた小品だが心に染み入る大人の寓話。ガブリエル・アクセル監督・脚本によるアカデミー外国語映画賞受賞作。

 原作は自伝的小説「愛と哀しみの果て」(アフリカの日々)のカレン・ブリクセン。

 寒村で慎ましく暮らす人々を導くプロテスタント牧師一家は父と美しい姉妹の3人家族。そんな処へやってきたスエーデンの若い士官ローレンスは姉・マーチネに好意を抱く。後ろ髪を引かれながら別れを告げ、恋は実らなかった。

 パリの人気歌手パパンは、不安な気持ちを静めるためにユトランドにやってきて、妹・フィリパの美声に驚き父親にレッスンを申し入れる。「ドン・ジョバンニ」のデュエットがもとで傷心のままパリへ戻っていく。

 1871年パパンの手紙を携えた女性が、初老となった姉妹の家を訪ねてくる。2人はパリ・コミュンで身寄りのない女性・バベット(ステファーヌ・オードラン)を家政婦として受け入れる。

  清貧な暮らしの姉妹は、干しカレイを湯で戻し乾パンをビールに浸して食べるのが日課。バベットはコンビーフに塩を買う余裕ができ、姉妹が感心するほどのやりくり上手だった。

 十数年後、バベットが宝くじで1万フランが当たったという手紙が届き、姉妹はバベットとの別れを予感する。

 村人たちも年を取り我儘や愚痴が多くなり布教も儘ならない姉妹は、亡き父の生誕百年の会開催を思いつく。コーヒーとパンだけのつもりだった会を、バベットは仕切らせて欲しいと願い出る。
 
 バベット一世一代の晩餐会の料理は姉妹にとって魔女の料理だった。

 前半の小さな漁村の質素な暮らしを淡々と描いて後半は対照的にフランス料理の調理と晩餐会の様子を丁寧に描き、料理とは?心の豊かさとは?幸せとは?を問いかけてくる。

 バベットの料理が如何に素晴らしいかを将軍になったローレンスが解説してくれるのが楽しい。一流シェフの料理はワインの選定から、おもてなしの心遣いまで全てが芸術なのだ。

 プロテスタントの食事は概して慎ましく、黙々と食べることが当たり前のようで、美味しいは禁句のよう。それでも村人たちは美味しさが顔に出て、いがみ合っていた人々が和やかになっていく。

 バベットの晩餐会は人々を幸せにして、自身の芸術心を満たしてくれるものだった。

 来月デジタル・マスターズ版がロードショー公開されるが、大画面で見るとその幸福感が倍増するかもしれない。
 
 

 

「バクダッド・カフェ」(87・独) 80点

2015-04-10 16:57:44 | (欧州・アジア他)1980~99 
 ・ テーマ曲がぴったりで不思議な癒し系の名品。

                   

 「シュガー・ベイビー」(84)のパーシー・アドロン監督が脚本も手掛けたオリジナル。ドイツがまだ東西に分かれていた頃の作品で、94・完全版、08・ニュー・ディレクターズ・カット版と再編集したほどの惚れこみよう。

 2年後日本で公開されミニシアター・ブームを呼び、映画好きにはレジェンド的存在。上映された渋谷シネマライズは今も健在だ。

 ラスベガスから240キロ離れたモハーヴェ砂漠にあるバクダッド・カフェは、モーテル兼カフェ兼ガソリンスタンドだが寂れていて立ち寄るひとも殆どいない。

 そこに現れたのが、旅行中夫と喧嘩別れして歩いてきたドイツ人のジャスミン。おまけに引き摺ってきたトランクは夫の物だった。

 カフェを切り盛りしていたのは、ブレンダでグウタラの夫を追いだし、息子は子持ちなのにピアノを弾いてばかりで、娘は男と遊び廻って帰ってこない。

 こんなジャスミンとブレンダが出会って、家族・従業員・常連客を巻き込みながらギスギスした雰囲気から少しずつ癒されて行く感じが何ともいえない心地良さ。

 客といっても長逗留しているのは謎の女刺青師デビーだけ。あとはラスベガスから流れてキャンピング・カーに寝泊まりしている自称画家のルーディやテントを担いで敷地内でブーメランをする青年と、たまにガソリンを入れに来る長距離ドライバー。

 カフェといいながらコーヒーメーカーが故障して、ジャスミン曰くポットで入れる茶色いお茶しかない有様。

 キッカケは掃除好きのジャスミンが頼まれもしないのに事務所や店を片付けたこと。そして決め手となったのは、<マジック>。手持無沙汰のジャスミンは見事な手さばきでマジックをして、みんなを和ませる。

 ローゼンハイムからやってきた太っちょのジャスミンには監督お気に入りのマリアンネ・ゼーゲブレヒトが演じ、いつも不機嫌なカフェの女主人にはCCH・パウンダーが扮している。まるっきり正反対に見えた2人だが、少しづつ共通の孤独感を癒す心の交流が観客を引き込んで行く。

 熟年画家・ルーディにはジャック・パランス、女刺青師にはクリスティーネ・カウフマンがそれぞれイワクありげな役でメリハリ感を醸し出す。

 そして何よりイメージを膨らませているのは音楽。序盤で息子が何故かJSバッハのプレリュードばかり弾いていたり、終盤ミュージカル・シーンとなって<ブレンダ・ブレンダ>と歌い踊ったりするのもあり得ないと感じながらも、全体の不思議さに溶け込んでいる。

 ジェヴェッタ・スティールが歌うテーマ曲「コーリング・ユー」は癒しの最たるもの。これほど映画にマッチしたテーマ曲はなかなかないほどぴったりだ。のちにホリー・コールやセリーヌ・ディオンが歌ってスタンダード・ナンバーとなったのも頷ける。