The Last ward from Southen Cross to my future

目の前にある林檎は本当に林檎なんだろうか。その林檎は腐っているから林檎だって気づかないだけかもしれない。

日本国は誇りを持って現実に適した憲法と移民政策改正をやろう

2013-12-16 13:30:27 | Weblog
憲法9条は継続しつつも、同盟国においての武力衝突にはしっかりと支援できるように憲法を改正したい。戦争放棄だとしても、侵略された場合は放棄できないし、同盟国としての責任を担うとなれば勿論武力衝突においても支援して当たり前だ。これのどこが、問題なのかが自分は理解できない。一方的に自分の都合による利益を受ける姿勢は、平等とは言えない。こんな常識が通じない日本国こそおかしな国だ。日本は近隣諸国に惑わされることなく、自国に誇りと自信を持って、憲法と移民政策を改正したい。

朝鮮半島からの特別永住許可は廃止し、一般永住許可、または一時滞在ビザに更新する。勿論、一般永住許可の場合、年金受給については放棄するか、受給を希望する場合は、しっかりと年金を納めた分のみ受給ができるようにする。一般永住許可については、年金をどうするのか、より明確に法的に定め、納めた金額によっては受給できる金額がいくら、中途解約時には課税して引き出せる金額はいくら、とわかるようにする。
国籍条項に制限をつけないのなら、敵国という定義も明確に定め、課税した上での引き出しとする。

さて、感情で好きとか嫌いで考えてはいけないのが移民政策。少なくても帰化については、保留期間を定め、選挙権、国家公務員への適用については身上書などで思想的、宗教的に問題がない人のみ可能にする。それとも取り消し可能にする方がいいのか。日本国籍保持者でも刑罰で国籍取り消しという処分があってもいい。これぐらい厳しくしても、それでも日本国籍保持を目指すなら、それなりの教育を施し、教養試験を課す。日本だけないってのもおかしな話だし、せめて義務教育レベルの一般常識は必須とする。もし、知的障害などがある場合のみ例外と認める。

日本国を安全、安定した平和が維持するためには、人を選抜するのが相当のはず。だから義務教育を定めている。宗教、思想の自由があれども、責任を担わない自由は存在しない点も教育したい。これは日本人も同じ。言いたい、やりたい放題を許される国など地上にはない。あるのは、責任を伴う自由だけだ。国家への批判は自由だが、社会不安を引き起こしたりする場合はしっかりと処罰しても構わない。民主主義の自由とは、民主主義の下で生活する仲間への迷惑が許される訳ではない。もし、他人への配慮もなく、御身第一だけの目的による言動なら、それは一種のテロ行為とも言える。誰も社会不安など望まないし、ましては騒々しい騒音、恐怖を感じる大規模デモなど、多くの日本国民や日本に滞在する外国人は心地よいとは感じてない。労働や地域における不平や不満は、訴える窓口が用意されており、そういった手順で外国人でも意見を伝えることはできる。
ただし、あまりに非常識な意見なら、誰も真剣に取り組まないのは当たり前だ。ここに自己中心的な意見なのか、広く多くの人への利益が生まれる意見や提案なのかというしきい値が存在する。これが差別だとか不平等という人こそ、単なる御身第一の自己中心的な思考だと気づいて頂きたい。不平や不満を訴える場合、言動の中に過激な言動も含まれる。実行している側はうっぷん晴らしで気持ちがいいのだろうが、第三者として見ている側からすれば双方とも醜いだけだ。デモの人数制限、時間制限、騒音制限は法的にしっかり整備することだ。また、外国人による政治運動は日本国内でいっさい禁止を徹底して取り締まって頂きたい。ゆえに外国人組織や集団による政治的関与も取り締まりを強化頂きたい。また、外国人による政治的、思想的運動の来日には不許可を願いたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする