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できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

子どもを入り口にした地域社会の人々のつながりの作り直し

2010-03-17 21:21:25 | いま・むかし

この3年間、大阪市の青少年会館(青館)条例廃止後の各地区の様子を追いかける調査プロジェクトをやっていて、一番思うのは、今日のタイトルに書いたこのこと。

本気で解放運動や人権に関する運動を今後も継続していくのであれば、「あらためて今、各地区で、子どもを入り口にした地域社会の人々のつながりの作り直し、これを一からやっていくしかない」と、このところ、つくづく思うのである。

もちろん、高齢者や在日外国人の取り組み等々、他の人権課題への取り組みがいらないという気はさらさらない。でも、あらためてそういった他の人権諸課題への取り組みを開始するにしても、その「土壌」となる地域社会の人々のつながりがなければ、根付かない。積極的に運動体の幹部層が「こんなこと、やろうや!」と旗をふっても、「そやそや、そのとおりや!」と賛同して、「いっしょにやろう!」と言ってくれる層が育ってこなければ、どのような立場にせよ、人権に関する運動の「持続可能性」は低くなる。

そういう地域社会の人々の「土壌」を耕す取り組みや、何かあったときに「いっしょにやろう!」と言ってくれる層を育てていく取り組み、これが今、大阪市内の各地区においては必要とされているのではないだろうか。

で、こうした取り組みの入り口になりうる活動が、私としては「子ども」に関する取り組みにはいろいろあるのではないか、と思うのである。

たとえば、身近な例で申し訳ないのだが、私の暮らす町内では、このところ、年1回の冬の餅つきと、夏休みのラジオ体操、秋の祭りの「子どもだんじり」に取り組んでいる。また、こうしたイベントがあるたびに、まだ幼稚園に通う5歳の娘を連れていく形で、私や妻が参加している。当然、そこに出て行けば、こうしたイベントの運営に携わっている町内の子ども会の役員や、他の子どもたちの親と、私たち夫婦もいろんな接点を持つことになる。また、イベントの手伝いに来ている近所の高齢者の方々とも顔見知りにもなる。そういうところから、町内の人々の人間関係ができあがり、何かあったときに話ができる仲がつくられることになる。

同じことは娘の通う幼稚園についても言える。幸か不幸か、我が家は共稼ぎで、私もいろんな形で妻の家事・育児に協力しつつ、同じ屋根の下に暮らす義父母の手助けも得る形でなければ、娘の幼稚園通いも成り立たない。そのことが幸いして、毎日の幼稚園の送り迎えに私、妻、義母がかかわるし、また、幼稚園の保護者参加型の行事にも、私、妻、義母が出入りすることになる。そうなると、幼稚園に通うほかの保護者(主に母親だが)にも、私たち一家の事情を理解してもらえることになるし、また、妻だけでなく、私もまた、同じ幼稚園に子どもを通わせているほかの保護者との交流がはじまる。そのようにして、地域社会に親どうしのつながりが生まれてくるわけである。

そんなことから考えると、今、各地区にある公立保育所での保護者参加の取り組み、保護者会の運営のあり方や、各地区での子ども会活動のあり方。ここから積極的に作り直していくことができれば、地域社会におけるおとなの人間関係が変わっていくことにつながるのではないか、と思うのである。

しかも、我が家は残念ながら一人っ子であるが、ふたり、3人と兄弟姉妹の居る家庭であれば、その保護者どうしの地域社会でのつながりは広がる。また、保育所で作り直された保護者どうしの人間関係は、やがて地元小学校・中学校へと広がっていくことになるだろう。こうやって活動を継続すればするほど、新たな層が掘り起こされてきて、地元でのさまざまな取り組みの「持続可能性」が高まるのではなかろうか。

そして、そんな取り組みを何年にもわたって続けていく中で、地域社会の諸活動に積極的にかかわるおとなが育ってきたり、そういうおとなの動きに影響されて、「自分も何かをやってみよう!」という子どもや若者が出てくれば、OKである。また、そんな取り組みのなかでいろんなスキルや感性を磨いた子どもや若者、あるいはおとなたちが、やがて就職や進学を機会に他の土地に出て行くことになっても、そこでまた、新たな人権関係の取り組みや地域社会を活性化させる取り組みをはじめればよい。

だからこそ、本気で今、各地区で解放運動や人権関連の運動を活性化していきたいのであれば、もう一度足元を見つめなおして、「子ども」に関する取り組みを入り口にして、地域社会の人々のつながりを作り直しを始める必要があると思うのである。

それが餅つきであっても、バーベキューであってもいい。ビール工場の見学に親子でいく活動であっても、いっしょに凧揚げする活動でもいい。子どもたちの宿題の面倒を見てあげる活動でもいいし、ハイキングに行くことでも、夏の夜、星空を見ながら花火をすることでもいい。若者たちのバンドでライブをしてもらう脇に、高齢者の三味線や太鼓のサークルが出る形でもいい。それぞれに、いろんな思いついたことからでいいので、はじめてみればいいだろう。

子どもに関する取り組みを入り口にした形で、「できることを、できる人が、できるかたちで」はじめて、それをタテヨコにつなぐ。それを何年も何年もやりつづけるなかで、地域社会の人々のつながりを作り直していく。そのことを地道に、こつこつとやりつづけていくような人が、各地区で現れてくることを願ってやまない。それが結局、解放運動や人権関連の運動の活性化(再建)につながるし、また、その運動の活性化(再建)ができれば、結果的に学校が地域社会に支えられ、学校もさまざまな教育活動に積極的に打って出られるのではないだろうか。

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