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できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

3年前の「3月31日」のことを、私は忘れない。

2010-03-31 20:51:10 | いま・むかし

ちょうど今から3年前、2007年3月31日は、大阪市内の青少年会館事業の「最後の日」。

この日、私は当時2歳だった娘を連れて、日之出青少年会館での子どもたちの「お別れ会」に出席した。そのときのことは、このブログの過去の記事を見てもらえればわかると思う。

あの頃はまだ紙おむつをしていたような、そんなうちの娘が、もう5歳。いよいよあした4月1日から、幼稚園の年長組である。この日之出青少年会館での「お別れ会」の日は、よっぽど居心地がよかったのか、娘はいただいたおやつを食べるのもそこそこに、会館のソファーの上でスヤスヤと眠ってしまった。そんな娘を見ながら、会館に集まった子どもや保護者のみなさん、地元の方々、そして館職員のみなさんとともに、当時の館長さんの閉館の挨拶を聞いていたような記憶がある。そんな「あの日」から、もう3年が経過したのである。

2006年秋に、一連の不祥事後の施策見直しの流れのなかで、一部事業を除いての大阪市内の青少年会館事業の「解体」と条例廃止、市職員の引き上げが決まった。このことに対して、当時、青少年会館で行われていた「ほっとスペース事業」に深くかかわってきた私は、仲間の研究者や知り合いの子ども関連のNPOの人たちとともに、署名運動を行ったり、事業「解体」反対のイベントで講演をしたりと、いろんな形で反対の声をあげてきた。しかし、結果的にはその声はとどかず、その流れを食い止めることはできなかった。

2007年3月末の事業「解体」・条例廃止後も、仲間の研究者や地元の解放運動の関係者、あるいは青少年会館の元職員の方などとともに、「暫定利用」が可能となった「もと青少年会館」で、ひきつづき、子ども会・保護者会や識字教室、中学生や高校生の学習会、音楽その他のサークル活動に取り組む人たちの様子を、最近に至るまで追いかけ続けた。

私は当時、上記の現状把握の作業をある研究団体の研究プロジェクトの活動として取り組みながら、その取り組みのなかで、今後、青少年会館所在の各地区で、「子育て・子育ち運動」をどのように立ち上げていけばいいのかを、実際に活動中の人々と共に考えていきたいと思った。そのことくらいしか、条例廃止を迎えた各地区のみなさんに対して、自分の「できること」は「ない」と思ったし、また、そのことが一番、当時、各地区のみなさんが求めていたことのように思ったのである。

もちろん、この研究プロジェクトのとりくみも、いろんな紆余曲折があって、一筋縄ではいかなかった。正直なところ、「もっと、こうすればよかった」とか「あんなことができていれば」と思うところも多々ある。ただ、3年をメドに報告をまとめようという趣旨で始めたプロジェクトなので、今年の夏でいったん、終了する事を予定している。そして、その報告書準備の作業に今、大学での仕事や家事・育児などに追われつつ、なんとか時間をキープしてとりかかっているところである。

しかし、このプロジェクトが終了したとしても、私は3年前の2007年3月31日のことは、決して忘れない。また、このプロジェクトの取り組みを続ける中でであった各地区のみなさんのことを、決して忘れない。そして、何かにつけて、たとえばこのブログで自分の思いや最近の各地区での取り組みの様子について発信を続けたり、あらためて各地区をまわったり、いろんな取材や研究を通して考えたことを論文等々の形で書き続けたり・・・・という形で、この3年間の経験を次につなげていきたいと思っている。もちろん、どこまでやり続けられるかは、私のコンディション次第というところも大きいのだが。

それから、以前、このブログにも書いたとは思うが、古い解放教育関係の文献を読むと、学校関係での取り組みと同じくらい、解放子ども会や親の会、識字教室や青年たちの学習会など、学校外での取り組みが重視されてきたことがわかる。

その歴史的経過に立ち戻って考えるならば、ある意味、いつまでもしつこく、しつこく、大阪市内各地区の子ども会や保護者会、識字教室、青年たちの学習会等々の取り組みに注目しつづけることは、解放教育の「原点」「源流」を守る取り組みと言ってよい。少なくとも、私はそう考えている。他の解放教育や人権教育、あるいは子どもの人権関連の研究者や実践者が、どう思っているのかは知らないが。

また、状況がどれだけ苦しくても、私たちがその「原点」「源流」に何度でも立ち返って、そこから何度でも出直す意志を持ち続けている限り、解放教育の運動の「再生」「再建」が、その「出直し」の場からはじめられると思う。

少なくとも私としては、解放教育や人権教育、あるいは子どもの人権に関する取り組みについては、今ある文科省の施策や、大阪府教委・大阪市教委の施策にひっかけて、何かをやろうという動きからでは、たぶん、「出直し」や「再生」「再建」にはつながらないと考えている。結局、そこに「ひっかけて、何かをやろう」としているうちに、何が「原点」「源流」だったのかが見えなくなりそうに思うからである。

なにしろ、この3年前の出来事でわかると思うが、行政側は何かあれば、今まで長年、地元の人たちとともにつくりあげてきた青少年会館事業という財産を、たった数ヶ月間でなくしにかかるような、そんな存在なのだから。行政施策や行政サイドの動きに対して、今後は常に批判的な感性や警戒心を抱きながら、自分たちにとってほんとうに必要なところだけを使っていく・いらない施策は拒否するのでなければ、後々、とりかえしのつかないことになりかねない。

だから今は、私たちが今よりも少しでもよい生活の場、学習の場を創出していくために、ほんとうに信頼できる行政施策や当局側の人が誰なのか、そこを見極める私たち自身の感性や知性を磨く作業。ここから今一度、それこそ「原点」「源流」に立ち返って、私たち自身がやりなおしていかなければいけないと思うのである。

もちろん、その「原点」「源流」に立ち返ってはじまる「出直し」の道が、楽な道だという思いはまったくない。この「出直し」の作業は、最初はひとりひとりの地道な、もしかしたら「孤独な」作業からはじまるのかもしれない。あるいは、金も物も人もない、ほんとうに「なんにもない」ところからはじめるしかないのかもしれない。そして、「出直し」のための活動を続けていく中で、いろんな考え方や、その活動が向かうべき方向性に関する意見の違い等々があって、仲間と離れたり、別れたりすることも多々あると思うし、いろんなことを訴えても誰も耳を傾けてくれない時期、協力が得られない時期が続くかもしれない。

でも、それでも私は、何度でもこの「原点」「源流」に立ち返って「出直す」意志を、ひとりひとりがしっかりと保つこと。それこそが、今後の各地区での解放教育運動を、子どもの人権を守るための取り組みを、そして、各地区でさまざまな学習課題や生活課題を抱えた人々とともに歩む営みを、しっかりと支えていくと思う。

そのためにも、「3年前、2007年3月末の大阪市の青少年会館でのできごとを、忘れずにいる」ということが、今、一番大事なのではないだろうか。少なくとも、私はこのことを、できるだけ長く、忘れないでいたい。どれだけ他の人が忘れ去ってしまったとしても・・・・。

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