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できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

雑誌を読んでいて気づいたこと(その2)

2009-05-05 13:33:09 | 受験・学校

昨日の続きで、最近読んだ2冊の雑誌の中身から、気づいたことをまとめておこうと思います。ちなみに、その2冊の雑誌とは、『解放』の610号(増刊)「解放研究第42回全国集会報告」と、608号(増刊)「解放・人権入門2009」の2冊です。また、私が気づいたことというのは、主に解放運動にかかわる研究などにおいて、「学校教育」の領域で扱われたり論じられたりしていることが、他の領域でのそれと「ズレ」が生じ始めているのではないか、ということです。

さて、610号掲載の記念講演「地方財政の現状と私たちの取り組み」(澤井勝さん:奈良女子大学名誉教授)を読むと、この何年かの「三位一体改革」の進展のなかで、地方自治体の財政がだんだん苦しくなってきていることがわかります。また、この講演のなかで、自治体の「職員数削減はすでに限界に来ている、という認識が必要」とか、「非正規職員に正規化の道をつくる」こと、「都市としてどこに責任を持つか、ビルドの方向性を明示する」といった、財政再建に関連して行われる地方自治体の改革のあり方に対して、批判的なコメントも行われています。

ただ、今の地方自治体の改革のあり方を批判する一方で、澤井さんは「新しい公共性を担う市民をつくる」ことや、「みんなのために働く、みんなのために出資する、そういう市民として活躍する人を増やしていくこと」という提案もしています(610号、p.28)。また、澤井さんは、「みんなのために、こうあるべきだ」ということを議論して提案する「市民的公共性」、これを育むためのサロンやコーヒーハウス的なものの役割と、それを作ることの必要性も主張されています(同、p.28~29)。そして、澤井さんからは、「地域の相互扶助組織を再生する。自治会、町内会、子ども会の活性化を図る」ことや、「NPOをつくる」「各地域で、財政の問題を考えるグループをつくる」といったことも提案されています(同、p.29)。

こういった澤井さんの提案を読んで、私などは「これこそまさに、社会教育・生涯学習の課題じゃないの?」と言いたくなります。もちろん、私もこれまでの大阪市内や大阪府内の青少年会館にかかわる活動をしていて、澤井さんと似たような思いを抱くことも多々ありました。「子ども会の活性化」なんて、まさにそうですよね。また、「みんなのために働く、みんなのために出資する、そういう市民として活躍する人を増やしていくこと」の「下地」になる取り組みは、私としてはまさに「学校教育」の担うべきではないのかな、と思ってしまいます。

あるいは、608号の「自己の権利を学ぶことの意味」(阿久澤麻理子さん:兵庫県立大学)では、心情や思いやり、市民の相互理解のあり方に的を絞るような人権教育ではなく、「人権を実現するためには市民が国家や政府に対して訴えかけていくことも必要」(608号、p.191)という視点に立った人権教育のあり方について論じています。

「人権は重要な基準ですが、人権は市民が行動したり、政治的な現実をくぐったりしなければ実現しません。どのように私たちが行動できるのかということを学ばなければ、実現できないのです。」(同、p.192)

阿久澤さんはこのように述べておられるのですが、このことは、例えば「NPOをつくる」「各地域で財政の問題を考えるグループをつくる」「地域の相互扶助組織を再生する。自治会、町内会、子ども会の活性化を図る」といった、澤井さんの提案ともつながるところがあると思います。

こういう講演記録や報告などを読んでいて私が思うのは、これから人権を守る各地域での取り組みを活性化したり、今までの取り組みを方向転換して、新たな運動を創りだして行くためには、学校教育や社会教育・生涯学習の場などを通じて、新たな人々のつながりを生み出したり、今までとは異なる学習課題に取り組んだりすることが必要不可欠なのではないか、ということです。

では、今、学校教育の領域ですすめられている「学力」向上策や、「教育コミュニティ」形成のための取り組みが、はたして人権を守るための各地域の取り組みを活性化したり、新たな運動を創りだすための取り組みへとつながっているのでしょうか?

また、学校を核にした「教育コミュニティ」形成の取り組みが決してダメだという気はないのですが、その営みが、はたして「市民が国家や政府に対して訴えかけていくこと」のような営みにつながっていくのか、それとも、教育を含む行政当局の施策の「下支え」の営みにつながっていくのか。そこも気がかりなところです。

もっとも、行政当局の施策に市民にとって意味あるものが含まれているのであれば、それを「下支えする」のも意味があるところです。ですが、それ以前に、「行政当局の施策」のあり方を、市民が自らの目で点検したり、検証する機会をどのように確保すればいいのでしょうか?

こういった点で、解放運動をめぐって、学校教育以外の領域で論じられている諸課題と、学校教育の領域でのそれとが一度、どのような形でつながっているのかを、きちんと整理する必要があるのではないか・・・・と思った次第です。

今、熱心に活動をしている人の善意を否定する気はないのですが、でも、まじめに取り組んでいることの目指す方向性が、ほんとうに今、取り組まなければいけないことからズレはじめているのなら、やはり、軌道修正は必要なのではないか・・・・と思うのです。

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