できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

私はこの意見には納得しかねます

2018-07-07 08:59:34 | 受験・学校

(私の視点)「指導死」の定義 虐待と使い分け明確化を 喜多明人

https://digital.asahi.com/articles/DA3S13574387.html

全くダメだわ、何も分かってないわ。

ことばの定義や使いわけでどうにかなる問題じゃないからなあ、この問題。

学校内の虐待といういいかたしても、今度はどのラインが虐待という話が出るだけ。
また、指導死につながる多くのケースは、教職員たちはみな善意で熱心に指導していたりするわけ。

だからこそ、「指導」の内実を深く問う言葉がいるわけ。

そして、この記事が最悪と思うのは、ようやく指導死という言葉を重く受け止めて、遺族と市民、教職員や研究者・専門職がつながり始めたのを分断するかのような流れを、ことばの定義や使いわけを問うようなスタイルで作っていること。

きちんとした課題意識のある教職員は、指導死という言葉を重く受け止めて、自らの日ごろの指導の内実や子ども理解のありようをを問うことはあっても、けっして萎縮なんかしないよ。

ほんとうに、許せない。今後の付き合い方考えます。


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