できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

まずは「小さく、自分たちの手に負える範囲で」何事も動かしてみること

2020-03-14 12:13:44 | 私の「仲間」たちへ

新型コロナウイルス性の感染症への対応で、いまはなにかと各地の大規模イベントが中止や延期、規模縮小というご時世ですが。でも「だったら最大でも10人程度の小規模な学習会を、1回2時間程度の短時間で、あちこちでくり返しやってみようかな?」と思う今日この頃ですねえ。自分の本も売っていかないといけないですし…(笑)

なんか今は「人数は小規模、時間は短時間」「活動形態はすぐにはじめて、すぐにやめられるかたち」「長続きしなくてもいいや、別に単発イベントでいいじゃん」みたいな感じで、いろんな活動を継続したり、新たに始めてみる。そういうかたちで社会の活力を維持できればなあって思ったりもします。

大きい単位でまとまって人々が動くのは無理なら、自分たちで制御可能な範囲にまで小さい単位に分割して、それで動かせるものを動かす。とにかく小さくても人・モノ・お金・情報がネットだけでなく実体面でも動かないと、社会の活力維持できないし、経済も止まってくるでしょうね。

この際だから徹底的に「集権」よりも「分権」、「上への権限集中」ではなくて「下々への権限移譲」でいきたいところですね。そのほうが何かとリスクは分散されていくような気がします。どこかがダメでもどこかが動いている状態がつくれたほうが、社会全体のダメージは小さくなるでしょうし。

まあしかし、この臨時休校中にマクドナルドでタムロしている中高生を「ほめる」くらいにならないと、バーチャルな世界はさておき、人・もの・お金・情報が実体的には動かないでしょうねぇ。あの子たちはそれぞれの地域社会で、小さいながらもそれ、動かしてますからね。

あの子たちを「臨時休校中なのに、その趣旨を守らないけしからん子」と見るのか。それとも「自分のお小遣いの範囲内でいまをしたたかに生き抜き、その結果、地域経済をなんとかまわそうとしている子」と見るのか。それによって、ずいぶん今後の取り組みは変わってきますね。私は後者です。

【追記】

1:先ほどツイッターで連続してつぶやき、また、フェイスブックにも掲載した内容に修正・追記を加えて、こちらのブログ記事にもしておきました。

2:昨日、新型コロナウイルス感染症対策で、特に「緊急事態宣言」を出すような対応が可能になるように・・・という趣旨で、新型インフルエンザ感染症対策関連の法律が改正されたようですが。

でも、どれだけ法改正をしても、これまでのこの日本社会における感染症対策の基盤自体が弱かったり、あるいは、今の新型コロナウイルス感染症の対策に関する研究自体がすすまなければ、やはり当面「打つ手なし」の状況は変わらないでしょうね。

となれば、その「打つ手」が見つかるまでのあいだ、一方で感染拡大をできるだけおさえつつ、他方で、なんとか今の社会の活力を維持する方法を考えないといけません。

となればこのたびの臨時休校のように「全国一斉に」なにかをするよりも、それこそ、社会のなかで「動きを止める部分と継続する部分」を何かの基準で分けて、「ひとまず動かせる部分は動かしていく」ということが必要ではないか・・・と思います。

いまは「感染症拡大の危機が迫るなかでも、ひとまず何と何と何は、この社会のなかで最低限、動かし続けなければいけないのか?」を考えるような、そんな政府の対応が必要だと思うのですが・・・。

3:そして「こういう非常事態、危機的な状況でも、それでもなおこの社会が失ってはならないものとはなにか?」とか、あるいは「こういう危機的な状況でも、人間が人間として生きていく上で何が大切なのか?」とか。そういったことを過去の文献や資料などを手がかりにして、現場を見て、自分のあたまで考え抜いて、ことばを発する営み。これこそがまさに「人文学」の営みではないかと思います。

また、たとえば医療や公衆衛生等々、感染症対策に必要なさまざまな営みも、その感染症対策のために生じる経済や社会の動きの抑制や、それに伴う損失からの補てん・回復等々の営みも、そして、これらの営みに関するマスメディア経由での情報発信の営みも…。上述した「人文学」的な視点からのさまざまな点検や修正があって、はじめて適切なものになりうるように思います。

いまこそ「この危機を乗り切るなかでも、人間が人間として生きていく上で、なくしてはならないものはなんなのか」とか、「この危機的な状況にあっても社会が失ってはならないものはなにか」とか。そういうことを考えられる強靭な知性が求められている時期はないように思います。


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3月8日放送分のプリキュアの話です。

2020-03-14 10:07:33 | プリキュア話

おはようございます。

3月8日にもプリキュアを見たのですが、コメントをまだ書いていなかったので・・・。

あらためて先ほど録画を見返して、この日の放送分へのコメントを書いておきますね。

(1)さて、シリーズのタイトル(ヒーリングっとプリキュア)からもわかるように、今年のプリキュアのメインストーリーは「癒し」や「回復」ということ。これから主人公ののどか=キュアグレースを中心に、ちゆ=キュアフォンテーヌ、ひなた=キュアスパークルのそれぞれの「回復」や「癒し」の物語が描かれると思います。

(2)ただ、「回復」や「癒し」の物語の前には、どこかに「喪失」や「悲嘆」「傷つき」の物語があるはずです。そういうまなざしで前回までの放送分を見ると、ちゆ=キュアフォンテーヌの家(温泉旅館)には父親が、ひなた=キュアスパークルの家(兄の営む動物病院、姉の営むカフェ)には両親が不在であることに気付きました。そのことが、もしかしたら今後の物語の展開の「伏線」になっているかもしれません。

(3)その上で、今回の物語について書きます。今回は、のどか=キュアグレースの「回復」の物語ですね。といっても、かつて病気で長期入院していたのどかが元気になり、中学校に通えるようになったことで、のどかの母親が職場に復帰できるようになるという話です。のどかは朝、「お母さんといっしょに出かけられるようになったのがうれしい」と語りかけます。

(4)ちなみにのどかの父親は家のリフォームを手掛けるデザイナー、母親はトラックの運転手。もともと母親は長距離トラックに乗っていたようですが、のどかの病気で一度退職。のどかが学校に通えるようになったので、地元の運送業者に再就職という設定です。また、ちゆ=キュアフォンテーヌの旅館を幼い頃から知っていたようなので、どうやらのどかの母親はこの街出身のようですね。同じ年頃の娘がいるということは、年齢的にも近いと考えると…。もしかしたら、のどかの母親とちゆの母親にも接点があるのかもしれません。

(5)さて、のどかの母親が仕事に出るようになると、家には子犬のラテ(=ヒーリングアニマル)と妖精のラビリン(=地球をお手当するお医者さん見習い)だけが残されることになります。そんなラテとラビリンの様子を見守るために、ニャトラン・ペギタンという別の妖精もやってきます。ただ、退屈していそうなラテを庭に出そうと窓を開けたら、ラテがいきなり走りだし、家の外へかけだしてしまいます。あわててラビリンたちが追いかけるのですが・・・。どうやらのどかの母親のいる運送業者に向かった様子。ラビリンがのどかたちを呼び、運送業者前で無事にラテを見付けます。ラテはどうやら、ずっと自分のことをよしよししてくれたのどかの母親に会いたかったようです。そんなのどかの母親は、妖精たちから見ていると、ラテの母親=ティアティーヌに似ているようです。

(6)一方、収穫されたイチゴの出荷のために、のどかの母親はイチゴ農園までトラックで出かけていたのですが、そこにダルイゼンとメガビョーゲンが現れます。「お母さんをたすけたい」というのどかたちがかけつけ、プリキュアに変身して、メガビョーゲンを退治しようとします。このとき、ダルイゼンとメガビョーゲンは、イチゴ農園の土を蝕んでいき、それに変身後のキュアグレースが足をとられてうごけなくなります。「なぜそんなことするの?」と問うキュアグレースに、ダルイゼンは「俺は人間じゃないから人の心はない」「俺は(土が蝕まれているほうが)居心地がいい、自分さえよければいい」と語りかけます。でもまぁ、プリキュア3人でメガビョーゲンを退治して、ダルイゼンも去っていくのですが。

(7)メガビョーゲンとダルイゼンが去ったあと、プリキュアたちは「実りのエレメントボトル」を手に入れます。妖精さんたちの話では、花・水・光の3つのボトル(=プリキュアの変身に必要なボトルでもありますが)以外のボトルは見たことがないと。この「実りのエレメントボトル」も、プリキュアたちの持っている「お手当」道具の入ったバックにしばらく入れておくことになりましたが・・・。いまでボトルは4つ。どうもそのバックにはあと5つ、ボトルが入りそうです。

(8)ラストの場面では、のどかの母親がちゆ、ひなたに対して、「のどかが学校に復帰して、仲良しの友達が早くできたことがうれしい」と語ります。また、ラテの母親・ティアティーヌが「ビョーゲンズの気配が消えた。ラテもいい人間にめぐりあえた」と喜んでいる姿も描かれます。

(9)来週は予告を見る限り、どうやら毎年のプリキュアで必ずといっていいほど出てくる話。「自分たちの正体が学校でバレないように、どうするか?」という物語のようですね。のどかがいろいろと疑われるようですが・・・。まあ、こんな感じで、しばらくは穏やかな物語が続きそうです。


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