昨日の学校に行かない子と親の会大阪25周年記念集会全体の印象ですが・・・。
まず、主催者側が「たぶん、よく集まっても50人」と言っていたところに、なんとまあ、77人も集まったとのこと。
用意していたイスがたりなくなるくらいでした。
たくさんの方に集まっていただき、ありがとうございました。
なにしろ例の「多様な・・・」法案関連で関東、中国・四国地方からも10人近く来られていましたし、また、昨日の朝日新聞の大阪市内版にでっかく集会の案内記事がでて、それを見てきたという方もおられました。
そして、私のツイッターを見てきたという方もけっこうおられましたね。
それから、この学校に行かない子と親の会大阪や、淡路プラッツや桜塚高校定時制に出入りしていた時期の私をよく知る人々が、これまた何人か集まってました。
まあ、みなさん、白髪のおじいさん・おばあさんになってましたけどね。
そうそう、司会の山田潤さんが私に娘がいて、もうすぐ中学生だと言うと、びっくりしてました。
でも、「25年」ってひとことでいいますが、私が大学生(3回生くらい)・大学院生・川西オンブズを経てうちの大学で働いて、結婚して娘が生まれて、その娘が来年中学生になるという、それだけの年月ですからね。
みなさん、白髪のおじいさん・おばあさんになりますわね(笑)
それと昨日、まさに20年ぶりくらいに自分の不登校経験の話をするとともに、学校に行かない子と親の会にも20年ぶりに出たわけですが・・・。
出てみて「何か、似てるな」と思ったのと、「20年も出てなかった気がしなかったのと、ふたつのことを感じました。
というのも、夜の交流会に出て気付いたんですが、「親の会」のつくりかたが、全国学校事故・事件を語る会や、約20年前の淡路プラッツの親の会、そして学校に行かない子と親の会の3つとも、どことなく似てるんですよね。
「とにかく自己紹介と近況報告だけで終わるかもしれないけど、何かひとことずつでも参加した人たちが発言して帰れるようにする」とか。
「正解を知っている誰かのお話をありがたく聴くとか、偉い誰かに答えを出してもらうのではなくて、自分がどうしたいのか、何を考えたいのかを大事にして、自分で答えを出す」とか。
そんな雰囲気というのか、会のつくりかたがどことなく似通っていて、「20年も出てなかったような気がしない」のでした。
ということは、自分のなかで確実に淡路プラッツや学校に行かない子と親の会大阪での経験が、今の学校事故・事件の被害者家族・遺族とのかかわりにつながっていること、そのことを示していますね。
やっぱりあのときの経験が土台になって、今があるんだなあと。
先月の全国大学人権教育交流会で桜塚高校定時制に出入りしていた頃にお世話になったみなさんと再会しましたが、なんだかこんここのところ、自分の過去を今とつなげる作業が続いていますね。
