小学英語 半数近く反対…教員、授業増を懸念 (毎日新聞2016年9月17日配信)
http://mainichi.jp/articles/20160918/k00/00m/040/057000c
おはようございます。まずはこちらの記事、紹介します。
最近の教育改革談義を見てますと、「もう何も詰められないくらい詰まっているお弁当箱に、あれも食べさせたい、これも栄養があるから入れたいといって、まだタコさんウインナーとかプチトマトとか無理につめようとして、かえって、もとのお弁当自体がぐちゃぐちゃになってしまってる」感でいっぱいです。
すなわち、今のカリキュラムですら学校現場の教職員も子どもも、十分に消化しきれているとはいえない。
また、次から次へと、「あれがいい」だの「これをやってみろ」だの、言う方は「学校を変えたい」「子どもたちをなんとかしたい」という「善意で」教育改革の提案をして、それを政策化して、学校現場におろしてくる。
それへの対応で、もう各校の管理職も教職員もアップアップ。
そんなところに、多少「リーダー教員」だの「中核教員」だのをつけるとかいいつつ、まだプラスアルファで、小学校英語の教科化、道徳の教科化等々、新たな課題を持ち込むわけです。
「もうええわ、こんなもん・・・」「こんな改革いらんわ、もううんざり・・・」と思う方が学校現場に多くなっても、当然です。
それこそ、あれもこれも詰め込み過ぎて、かえってぐちゃぐちゃになっているお弁当見て、食欲わきますか?
食べられる量以上のごはんやおかず詰まっていたら、食べ残しする人もでますよね?
教育改革だって、それと同じことなのでは?
もうちょっと、お弁当箱のサイズがどんなものなのか、一度に食べられる量ってどんなものなのかを考えてお弁当を詰めるように・・・。
教育改革のメニューも、学校現場で子どもや教職員がきっちりと消化しきれる量を考えて、内容を整理してほしいものです。
※追記
今の学校に問題がないとは思いませんし、現実にいろいろと起きている諸問題もある以上、その是正策は一定必要です。
でも、その「いろいろと起きている諸問題」が、もしかしたらこの何年かの間、「学校を変えねば」とか「子どもたちにとってよかれ」と思って、「善意」の人々が主張してきたことがきっかけになって生まれているとしたら、その「善意」はいま、あらためて問い直されてしかるべきかと思います。