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できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

互いに「いいところどり」と「責任のなすりあい」が可能な組織

2012-05-04 11:42:40 | 受験・学校

本当であれば昨日の午前中、東京の宿で、大阪維新の会市議団が次の市議会に提出予定の「家庭教育支援条例案」の内容について、突っ込んだコメントをするつもりでした。ですが、途中まで書きかけたところでデータが消えてしまったうえ、東京から自宅に戻ってみると、なかなか書きなおす時間が取れませんでした。

また、その間に、たとえば下記の産経新聞のネット配信記事のように、維新の会代表の橋下市長からもコメントがでるとか、ツイッター上で橋下市長が自分はこんな条例案を市議団がつくっているなんて知らなかったというような趣旨のことを言っているとか、状況が少し動いているように思いました。

http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/120502/waf12050211390012-n1.htm (【激動!橋下維新】「市民に義務、好きじゃない」維新市議団の「家庭教育支援条例案」に橋下市長異論:MSN産経ニュース2012年5月2日付け記事)

http://blog.livedoor.jp/woodgate1313-sakaiappeal/archives/6508155.html (橋下氏の5月3日の一連のツイートを堺アピールのブログでまとめたもの)

そして、何人かの方は、すでにブログやツイッターなどで、下記の方のように、この「家庭教育支援条例案」に対する批判的なコメントを出しておられます。

http://www.kotono8.com/2012/05/03oyagaku.html

また、私が出したコメントも、下記の堺のブログのようにネット上ではそれ相応に知られるようになってきたようです。

http://blog.livedoor.jp/woodgate1313-sakaiappeal/archives/6436771.html

そこで今朝、この時点でわかっていることをもとにして、もう一度、「家庭教育支援条例案など、いらない」とはっきり言う趣旨で、このブログを書くことにします。ただし、今日のところは条例案の中身についての批判というよりも、橋下氏の産経新聞でのコメントや、堺アピールの事務局のブログでまとめたツイートの中身から見えてきたことについて、私のコメントをします。

まず、下記の文章を読んでください。これは橋下市長・大阪維新の会代表のツイートです。

「議員提案の条例となると、これは日本の地方自治制度の仕組みなのですが、議員間討論で決めて行くことになります。市長が間に入ることはありません。大阪維新の会は日本初の試みの政治団体です。首長が議員集団のリーダーになる。当初首長の独裁になる、議会のチェックが働かなくなると批判を受けました」

「そこで大阪維新の会の運営方針として、大阪府議会・大阪市議会・堺市議会をまとめた大阪全体の方針については僕が代表を務める大阪維新の会の執行部で方針を固めます。しかし各府政、市政においては、知事・府議団・市長・市議団が独立してやっていく集団にしています。」

これを読んで私が率直に抱いたのは、<知事・府議団・市長・市議団が、お互いにお互いの「いいところどり」と「責任のなすりあい」が可能な組織形態になっている>という思いです。

たとえば、中央政府の政策への対抗とか国政進出といったような事柄については、代表・市長や幹事長・知事は、維新の会の市議団・府議団の支持を利用する。また、市議団・府議団も「選挙の顔」として、代表・市長や幹事長・知事の知名度や発信力を利用する(特に代表・市長の知名度や発信力でしょうけど)。

一方、実際の日々の府市の施策については、首長と議会という「二元代表制」の建前を有効活用して、互いに「距離を置く」という態度をとる。そうすることで、表面的には代表・市長や幹事長・知事が出した政策提案に対して、維新の会市議団や府議団が是是非非の態度が取れるかのように装うこともできます。逆に、これも表面的には、維新の会市議団や府議団が出してくる条例案や政策提案に対しても、代表・市長や幹事長・知事が是是非非の態度をとることが可能になります。こうして、なにか問題が起きたときに、「あれは市議団(府議団)が勝手に動いたことだから」とか、「あれは市長(知事)の考えだから」とか、お互いに「責任のなすりあい」をすることが可能になります。

しかし実際の議会運営や市政・府政運営を考えたときに、首長が自分のやろうとする施策を支持してくれる府議・市議の意向を無視するでしょうか。逆に府議・市議の側も、自分たちの必要とする施策を実現してくれる首長の意向に、簡単にそっぽ向くでしょうか。そういうことはないですよね。たとえば、表に出ないところで方針のすりあわせをしたり、あるいは今までに公に出ている見解や政策提案などを手掛かりにして、首長と議員団との間で、ある条例案や施策についての支持とりつけに向けての調整活動が行われるのではないでしょうか。そうすると、一方で「距離を置く」態度をとりつつも、実際には互いが互いの「いいところどり」をすることも可能になるわけですよね、代表・市長や幹事長・知事と市議団・府議団との間で。

おそらく今回の「家庭教育支援条例案」についても、どのような条例になるのか、細部までは橋下氏に知らされていなかったのでしょう。それこそ、発達障害の子どものことに関するような話までは、知らされていなかったのではないでしょうか。

でも、維新の会市議団の責任において、この「家庭教育支援条例案」ような案が作成されて市議会に出ること自体は、趣旨的には代表・市長は、あまり否定的ではないと思われます。なにしろMSN産経ニュースの文面にあるように、市議団が必要なルールを条例という形で作って提案することはおおいにやってほしいわけですからね。

そこから考えると、たとえば、「代表・市長はこんなことを望んでいるのではないか?」と市議団側が察して、「自ら進んで」条例案のアイデアをどこかから引っ張ってきて、作ろうとすることは、十分に考えられることかと。また逆に、代表・市長の側からマスメディアなどでの発言機会を使って、「市議団がこんな風に動いてくれたらなぁ」ということを暗に匂わせたり、ということもありうるのではないでしょうか。

ただ、こうした地域政党の組織運営の在り方は、繰り返しになりますが、お互いがお互いの「いいところどり」をしたり「責任のなすりあい」をすることが可能になる形態。結局のところ、統制のとれていない組織になってしまうのではないでしょうか。

それゆえに、大阪維新の会としては、たとえば代表・市長や幹事長・知事が国政進出や新たな条例制定などの「仮想の利益」をぶちあげて「それを実現するんだ」と言ってみたり、公務員労組や教組などの「仮想の敵」を作り上げ、それを攻撃したり追及したりする。そういうことでしか、維新の会が組織としてまとまっていかない構造があるのではないでしょうかね。そして、「仮想の利益」や「仮想の敵」を次々に入れ替えていくことで、自転車操業的に自分たちの組織のまとまりと、市民からの支持を得ようとしているのでは・・・・?

しかし、彼らから「仮想の敵」にされてしまった人々にしてみると、このような動き方はほんとうに迷惑です。そして、今回の「家庭教育支援条例案」も学校選択制、「教育基本条例案」やその改正案も、こうした「仮想の利益」のひとつとして持ち出されたものであったら、大阪に暮らす子どもや保護者、学校の教員や子どもに関係する諸機関・諸団体の人たちも、たまったものではありません。いつも言うように、もうこれ以上、子ども施策や教育・福祉施策の領域で、大阪維新の会には何もしてほしくないし、代表・市長にも幹事長・知事にもこの領域では動いてほしくない。これが率直に今、私が思うことです。

次のブログ更新のときには、実際の「家庭教育支援条例案」の中身についてコメントをします。なお、「家庭教育支援条例案」については、次のところで見ることができます。

http://osakanet.web.fc2.com/kateisien.pdf


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