アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
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翁長氏はなぜ「和解協議」の「公開・議事録」を拒むのか

2016年03月12日 | 沖縄・翁長・辺野古

  

 辺野古新基地をめぐる国と沖縄県の「和解」について、翁長雄志知事が沖縄県議会で行った答弁(8日)で、もう1つ見過ごせない重要な問題があります。(以下、質疑の引用は9日付琉球新報より)

 日本共産党の渡久地修議員が「協議の場は公開してもらいたい」と要求したのに対し、翁長氏はこう答えたのです。

 「集中協議でも終わったときに私から全部公表している。今後の協議にしても申し入れをし、相手があることではあるが、県としてはしっかり公表していきたい

 昨年夏の「集中協議」と同じやり方でやるということです。これは協議の「公開」を拒否したことにほかなりません(「公表」と「公開」は違います)。
 翁長氏は「集中協議でも終わったときに私から全部公表している」と言いますが、翁長氏が「公表」したことが協議の「全部」だと誰が証明するのでしょうか。
 そもそも、菅官房長官と安慶田副知事が「極秘で」(6日付沖縄タイムス)会談を繰り返すような関係で、「公表」されたものが「全部」だと言われてどうして信用することができるでしょう。

 たとえば、集中協議の最終回(5回目、2015年9月7日)。初めて安倍首相が出席しました。「首相は普天間の危険性除去の必要性は県と政府の認識は一致していると強調した」(9月8日付沖縄タイムス)のです。
 ところが協議後の記者会見で翁長氏は、「総理がおいでになって今日までの努力のものを話をされていた」(9月8日付琉球新報の一問一答)と言っただけです。この「公表」のどこが「全部」なのですか。

 協議を「公開する」、オープンにするとは、メディアの取材を許可するということです。出席者による恣意的な「公表」など、「秘密協議」の隠れ蓑にすぎません。

 さらに重要なのは、協議の議事録を残すことです。歴史的な意味を持つ協議の客観的な記録を残すことは、政治的立場を超えた、後世への責任と言えるでしょう。

 ところが、8日の県議会でその議事録を要求した議員は1人もいませんでした。渡久地議員は「公開」の要求を翁長氏に拒否されてもそれ以上追求することもなく、まして議事録については一言も要求しませんでした。これが「オール沖縄」というものでしょうか。

 故・菅原文太氏夫人で辺野古基金共同代表でもある菅原文子さんは、裁判(判決)と「和解」の違いに触れながら、翁長氏にこう注文しています。

 「くれぐれも密室にならないことを願います。裁判の役割と意義の一つは、証拠、証言、プロセスが外部に開かれ明白になるところにあります。外交や軍事機密を政府側が持ち出しても、県サイドは外に向けてプロセスや内容をオープンにしてください」(5日付しんぶん「赤旗」)

 これは、「和解」への賛成・反対を超えた共通の要求ではないでしょうか。
 翁長氏は、そして「オール沖縄」会派は、この声に正面から応えなければなりません。


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