アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
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認知症介護は「地域・社会の問題」ではなく「政治の問題」

2016年03月03日 | 介護・認知症

  

 認知症患者のJR事故に対し、最高裁第3小法廷(岡部喜代子裁判長)が1日、家族に賠償責任なしとしたことは、もちろん妥当です。
 しかし、判決内容はけっして手放しで評価できるものではありません。というよりきわめて重大な問題点を含んでいると言わねばなりません。
 
 判決は今回のケースについては「責任なし」としながら、今後、介護者に「監督義務」があるかどうかを「総合的に考慮する際の主な要件」として4点挙げました。その中の次の2点が問題です。
 ①患者との同居の有無
 ②患者との日常生活での接触状況
 つまり、認知症患者と同居していたり、日常生活でよく接触しているほど「監督義務」は重い、事故が発生した場合に賠償責任が生じる可能性が大きいとしたのです。

 最高裁のこの判断は何をもたらすでしょうか。2つのことがすぐに予想されます。
 1つは、認知症患者と同居する家族がますます少なくなること。
 もう1つは、施設に預けている最中に事故が発生した場合、「日常的に接触」している介護施設職員の責任が問われかねないことです。その結果、介護職員になる人はますます少なくなり、人手不足はさらに深刻になるでしょう。

 これは、9年後(2025年)には約700万人(65歳以上の5人の1人)と推定される「認知症社会」への逆行と言わざるをえません。

 今回の判決に対し、「問われるのは社会だ」(2日付朝日新聞社説)、「社会全体が自分の将来なのだという自覚を持つべき」(2日付東京新聞社説)、「地域や社会で支えていくことの大切さ」(2日付毎日新聞社説)など、「地域・社会」の問題に還元する論調が流布しています。
 
 はたしてそうでしょうか。認知症介護は「地域・社会の問題」なのでしょうか。

 「社会や地域で支える」と言うのは簡単ですが、現実問題としてはきわめて困難です。ただ難しいだけでなく、患者・家族の意思・意向やプライバシーの問題があり、けっして単純ではありません。へたをすると患者や家族の人権侵害にもつながりかねません。

 では、事故の発生を極力少なくする認知症介護の決め手は何でしょうか。そして来る「認知症社会」のカギを握るのは何でしょうか。

 それはズバリ、介護施設・職員の拡充です。

 親がなんらかの介護施設にお世話になっている家族は、日々、職員のかたがたへの感謝の気持ちでいっぱいでしょう。私もそうです。同居していても、まして離れていれば、親が安心できる施設で温かい介護を受けることを何よりも望んでいるはずです。

 ところが現実は施設が不足し、待機期間は果てしなく長い。そして、職員のなり手がなく、現在の職員の過重労働は日常化し、やめて行く人が後を絶たない。この悪循環の理由ははっきりしています。給料が安いからです。

 介護職員の給料が安いのは、介護という仕事、それに携わる人をその程度にしか評価しないという、歪んだ、非人間的な日本の社会の反映にほかなりません。

 介護施設を増やし、職員に平均以上の給料を払い、社会的に尊敬の念を表して人材を確保すること。これこそが認知症介護の決め手です。

 そう言うと、それは絵空事だ、財源はどうするんだ、という声がすぐに聞こえてきそうです。
 そうです、まさにそこが肝心なところです。
 財源はあります。国には160兆円を超える財源があります。国民はそれだけの税金を払っています。問題はそれを何に使うかです。
 それこそがこの問題の中心です。それは「自己責任論」にもつながりかねない「地域・社会の問題」ではなく、まさに「政治の問題」なのです。

 真っ先に手をつけるべきは、5兆円を超える巨額な軍事費(防衛費)です。

 例えば、安倍政権が米ボーイング社から購入する予定の空中給油機KC46Aは1機約208億円します。防衛省はこれを3機購入する予定です(2015年10月24日付中国新聞)。これだけで624億円で。
 単純計算ですが、600億円あれば介護職員の年収を300万円に引き上げても2万人分の給料が賄えます。アメリカの兵器産業からKC46Aを買うことをやめるだけで、2万人の介護職員が新たに確保できるのです。

 ところが、メディアも「識者」も、アベノミクスがどうの、消費税軽減税率がどうのという話はしても、この軍事費という巨大な巣窟に手を入れるべきだと主張するものは皆無です。これはきわめて異常なことです。

 福祉・教育予算を削る一方で軍事費を膨張させるのが、戦争の常道です。
 深刻な「認知症社会」「超高齢化社会」への決め手は、そして諸外国と平和共存するほんとうの安全保障の道は、軍事費を大幅に削り、予算を福祉・教育へ振り向けることです。
 その世論を高めていくのが、「日本の社会」に生きる私たちの責任ではないでしょうか。

☆以前書いた「天皇・皇后訪比」についての計4回のブログ(1月23日、2月1日、2日、4日)に、乗松聡子氏(「ピース・フィロソフィー・センター」代表)が質量ともに大幅に肉付けしてくださったものが、共著の形で英文オンラインジャーナル『アジア太平洋ジャーナル:ジャパンフォーカス』に掲載されました。乗松さんに深く感謝し、お知らせいたします。
http://apjjf.org/2016/05/Kihara.html

 


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