アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

「3・11」と天皇② 自衛隊機で移動し、基地で会食

2016年03月15日 | 震災・天皇

  

 天皇・皇后はあす16日から18日まで福島、宮城を訪れます。
 「3・11」以後、二人が最初に「東北3県」へ行ったのは、次の日程でした。
 2011・4・27=宮城県 5・6=岩手県 5・11=福島県
 その移動手段は、すべて自衛隊機でした(写真左)。

 「これまでは、乗用車によるお出ましであったが、東北三県については、いずれも自衛隊のU-4型輸送機によってそれぞれの県の空港まで飛ばれ、そこから自衛隊のヘリコプターによって被災地に入られ、夕刻に現地の空港を発たれ東京に戻られるという御日程である」(川島裕侍従長―当時、「文芸春秋」2011年8月号)

 震災のため、他に交通手段がなかった、わけではありません。
 「ちょうど東北新幹線の修復工事が完了し、仙台までの運転が再開された時期」でした。しかし、「余震により運転が中断される可能性が高い」(川島氏、同)からだと言います。

 4月27日、宮城へ向かう天皇・皇后を乗せた自衛隊輸送機が着陸したのは、仙台空港ではなく、航空自衛隊松島基地でした(写真中)。
 仙台空港が使えなかったわけではありません。「津波により大きな被害を被った仙台空港もようやく再開されていた」(川島氏、同)。にもかかわらずなぜ松島基地へ降りたのか。川島氏はその説明はしていません。

 自衛隊松島基地で天皇・皇后は村井宮城県知事らと昼の会食をしました。出席者は知事のほか、県議会議長、東松島市長、県警警務部長、そして陸上自衛隊東北方面総監です。

 5月6日の岩手、11日の福島もほぼ同様のパターンです。岩手・花巻空港での会食には、陸上自衛隊第9師団長が同席しました(福島空港での会食には自衛隊幹部は同席しなかったようです)。

 松島基地では、「女性自衛官3人を急きょ接遇役に仕立てた。教官を呼び、お茶の入れ方などの作法についての訓練を3日間受けさせた。杉山(松島基地司令・杉山政樹―引用者)らは、両陛下の基地来訪を記念する何かを残したかった。・・・考えついたのが箸だ。前年にブルーインパルス50年記念で作った若狭塗りの箸を用意した。・・・両陛下が使った後、記念に保存しようと考えた」(朝日新聞2014年4月26日付)
 天皇・皇后を迎えた松島基地の歓喜の姿が見えるようです。
 「昼食後、皇后が『これは何ですか』と尋ねた。ブルーインパルスについての説明を聞くと、両陛下は『それはいいですね』と、箸を大切に持ち帰ってしまった」(同)

 それから5年。

 「防衛省は11日、集団的自衛権の行使を含み、今月施行される安全保障関連法を初めて全面的に反映させる自衛隊最高レベルの作戦計画策定に関し、これまで背広組防衛官僚が中心の内局が担っていた権限の一部を、制服組自衛官が中心の統合幕僚監部に移譲したと発表した」(12日付中国新聞=共同)

 さらに、こんな動きも。

 「防衛省が自衛隊の最高幹部である統合幕僚長や陸上幕僚長の地位向上策として、任免にあたって天皇による認証(写真右)が必要とされる『認証官』への格上げを検討している」(1月4日付しんぶん「赤旗」)

 大日本帝国の「天皇の軍隊」と違い、自衛隊の最高指揮・監督権者は内閣総理大臣です(自衛隊法7条)。しかし、「自衛隊のなかには、内閣総理大臣のために死ぬというのでは隊員の士気があがらないので、ふたたび天皇を忠誠の対象としようとする動きがあり、天皇と自衛隊との結びつきは、特に一九六〇年代以降、深まっている」(横田耕一氏、『憲法と天皇制』)

 その「天皇と自衛隊との結びつき」は、「3・11」を契機に、新たな段階に入ったと言えるでしょう。

 次回は「福島原発放射能汚染」と天皇の関係をみます。


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