アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
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「米兵暴行事件抗議集会」-翁長知事はなぜ参加しないのか

2016年03月22日 | 沖縄・翁長・辺野古

  

 米兵女性暴行事件に抗議する沖縄県民の緊急集会(21日、辺野古)は、予想を大幅に上回る2500人(主催者発表)の参加で、大きな力を示しました。

 集会では、「米海軍兵による性暴力を許さない緊急抗議集会決議」が大きな拍手で確認されました。「決議」は、「もはや再発防止策や綱紀粛正などの実効性のない対策ではこのような事件は防げない。すべてが基地があるが故に起こる事件・事故であり、抜本的対策は米兵の沖縄からの撤退と基地の撤去以外にない」と強調しています。

 「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」の高里鈴代共同代表(写真右)は、「新基地建設は当然反対だが、もはや基地の存続自体を拒否する声を出していこう」(22日付琉球新報)と訴えました。
 「ヘリ基地反対協議会」の安次富浩共同代表も、「根本的な解決は沖縄にある米軍基地を全てなくすことだ。そういう運動をみんなでつくっていこう」(同)と呼びかけました。
 参加者のプラカードにも、「全基地撤去」の文字が目につきました(写真中)。

 いっこうになくならない「米兵犯罪」に対し、「綱紀粛正」などのびぼう策ではなく、全基地撤去という根本策を求める声が、辺野古新基地反対とあわせて強まっているのことを、抗議集会ははっきり示しました。

 その画期的な県民集会に、翁長雄志知事の姿はどこにもありませんでした。
 参加しなかったばかりか、「メッセージ」すら寄越しませんでした。
 
 この日の「知事日程」は、新聞発表されていません。ということは「公務」はなかったということです。県民が怒りのこぶしを挙げているときに、翁長氏はいったいどこで何をしていたのでしょうか。
 米軍の「謝罪」(14日)に対し、翁長氏は「強い憤りを覚えている」(15日付琉球新報)と言いました。その言葉がまことなら、県民集会に参加する、少なくとも「メッセージ」を送るのが当然ではありませんか。あの「憤り」は何だったのですか。

 「普天間返還」約束のきっかけとなった1995年の「米兵少女暴行事件」。その抗議に8万5000人(主催者発表)が集まった県民総決起大会で、大田昌秀知事(当時)は挨拶の冒頭でこう述べました。「行政を預かる者として、本来一番に守るべき幼い少女の尊厳を守れなかったことを心の底からおわびしたい」。翁長氏とのなんという違いでしょう。

 翁長氏の〝現場嫌い”は今に始まったことではありません。「辺野古は最重要」と口ではいいながら、知事就任以来1年3カ月余、「辺野古」には1度も行っていません。「高江」はもちろんです。辺野古や高江の現場でたたかっている人たちがいくら「翁長知事を支える」と言っても、翁長氏の顔は現場には向いていないのです。

 翁長氏が21日の集会に参加もせずメッセージも送らなかったのは、たんに〝現場嫌い”だからではないでしょう。県民の声が高まっている「全基地撤去」は当然日米安保条約=軍事同盟廃棄につながります。日米安保堅持が持論の翁長氏は、その根本において相入れないのです。

 すべての米軍基地撤去を望む人たち、団体、政党・会派が、日米安保堅持の翁長氏を「支持」し続けるのは、大きな錯誤と言わねばなりません。


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