アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
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少女誘拐暴行事件・玉城知事はなぜ米司令官に会わなかったのか

2024年06月29日 | 沖縄と日米安保・米軍・自衛隊
   

 沖縄嘉手納基地所属の米空軍兵長の男が昨年12月24日、16歳未満の少女を誘拐し、性暴力をはたらいた事件。県は27日、県庁を訪れた嘉手納基地のニコラス・エバンス司令官に抗議しました(写真右=沖縄タイムスより)。

 きわめて卑劣・重大な事件で、被害者のケアとともに、加害者への厳正な処罰、そして、米軍・米政府、日本政府の徹底追及が必要なことは言うまでもありません。

 ところが、県紙が報じた27日の県庁での抗議のもように疑問を禁じ得ませんでした。エバンス司令官に抗議したのが玉城デニー知事ではなく池田竹州副知事だったからです。

 玉城知事はなぜその場にいなかったのでしょうか。なぜ直接エバンス司令官に抗議しないのでしょうか。

 この日の知事の日程は、琉球新報、沖縄タイムスともに「終日事務調整」としています。終日県庁にいたわけです。それなのになぜエバンス氏に会わなかったのか。

 この日のエバンス氏との面会は、「米側からの申し出を受けて設定された」(28日付沖縄タイムス)ものです。エバンス氏が26日にその意向を電話で県に伝えました(同)。
 そして、池田副知事が読み上げた抗議文は、「玉城デニー知事名」(28日付琉球新報)でした。

 エバンス氏の来訪を事前に知っており、自らの名前による抗議文も用意しながら、なぜそれを自らエバンス氏に突きつけなかったのか。きわめて不可解です。

 私が読んだ限りでは、新報にもタイムスにもその理由は載っていません。両紙とも知事の不在を疑問に思わなかったのでしょうか。

 今回の事件では、逮捕(昨年12月24日)から6カ月、起訴(3月27日)からでも3カ月、県にまったく連絡がなかったことが、「信頼関係において、著しく不信を招く」(玉城知事、25日)と問題視されています。確かにそれも問題ですが、それは事件の本質ではありません。

 絶えることがない米兵による性暴力事件の本質は、「軍隊とは力による鎮圧や支配を前提とした組織」(28日付沖縄タイムス社説)であり、性暴力事件は「基地あるが故に繰り返される犯罪」(同)であるというところにあります。

 したがって、米兵による性暴力を根絶するためには、全ての米軍基地を撤去する以外にありません。
 27日県庁で記者会見した「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」など県内6団体が、「在沖米軍基地の撤去」を要求し(28日付琉球新報、写真中)、名護市では抗議する市民が「米軍よ沖縄から去れ」と書いたブラカードを掲げた(写真左=27日付沖縄タイムス)のはそのためです。

 しかし、玉城氏は米軍基地の存在を容認しています。朝日新聞のインタビューで、「当面50%の米軍基地は認めざるを得ない」(2月2日付朝日新聞デジタル)と公言しているのです(2月5日のブログ参照)。

 米軍基地の存在を容認する玉城氏が、米軍の性暴力根絶の立場に立てないことは明白です。27日の不可解な欠席(雲隠れ)はそれと無関係ではないと思います。

 さらに重要なのは、「在沖米軍基地の撤去」のためには、日米安保条約の廃棄が必要不可欠だということです。
 今回の問題で県紙2紙や朝日新聞、東京新聞などの社説は「日米地位協定の改定」を主張していますが、それでは基地はなくなりません。地位協定は安保条約による米軍基地の存在を前提に、その運用を定めたものにすぎないからです。

 米兵の性暴力根絶のためには、すべての米軍基地を撤去すること、そのためには日米安保条約を廃棄しなければならないことを幅広い世論にしていく必要があります。
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