アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

今に続く大相撲と天皇制の深い関係

2016年03月26日 | 天皇制と日本社会

  

 大相撲春場所はあす千秋楽を迎え、琴奨菊の優勝も横綱昇進もなくなりました。
 1月の初場所で琴奨菊が優勝したときは、「日本出身力士として10年ぶり」と大騒ぎされました。

 その初場所初日の1月10日、奇妙な光景をテレビの中継で見ました。
 大相撲の結びの一番では、行司の木村庄之助が「この相撲一番にて本日の打ち止め」と言うのがしきたりです。ところがこの日、庄之助は「…本日の結び」と言ったのです。「打ち止め」ではなく「結び」。なぜこの日に限り決まり文句が変わったのか。

 理由は、この日が天皇・皇后のいわゆる「天覧相撲」だったからです(写真中)。
 「天覧相撲」だとなぜ「打ち止め」が「結び」になるのか。アナウンサーは何やら「説明」していましたが意味不明でした。後で調べても分かりませんでした。確かなことは、「天覧相撲」では特別の言葉が使われる、ということです。

 大相撲と天皇制はきわめて密接な関係にあります。その一端を挙げてみます。

 ★「天皇賜杯」と「御下賜金」…優勝力士に優勝杯(「天皇賜杯」)(写真右)を贈る習わしができたのは1926年、ときの皇太子(後の昭和天皇)が観戦し、相撲協会に渡した金(「御下賜金」)で製作したのが始まりです。さらにこれを機に東京と大阪に分かれていた相撲協会が合併し、「大日本相撲協会」が設立しました。天皇裕仁の観戦と資金提供が今日の相撲協会の原型をつくったのです。

 ★土俵の屋根と伊勢神宮…現在の土俵の屋根(屋形、写真左)の様式は神明造といいますが、それまでの入母屋造(法隆寺金堂など)から変わったのは、1931年、裕仁の「天覧夏場所」からです。神明造は天照大神を祀る伊勢神宮・神明社の様式です。
 「賜杯の製作が…相撲協会合併の決定的な契機になったこともあり、天皇とのより強い結びつきを示し、国技の地位を盤石にする意向がなかったとは言えまい。そのために、皇室ゆかりの伊勢神宮の形にならったということは十分に考えられる」(内館牧子氏、『女はなぜ土俵にあがれないのか』)

 ★「国策」推進の一環…戦前・戦中の大相撲は天皇制大日本帝国の「国策」推進の道具でした。新田一郎氏の『相撲の歴史』によれば、当時相撲協会の会長・理事長には軍人が就くのが習わしでした。『武道としての相撲と国策』(藤生安太郎衆院議員著)では、相撲を素材として「日本民族の優秀性」を説き、「聖戦遂行」「国民総動員」の「国策」に沿った「相撲道」の振興が説かれました。台湾、満州には植民政策の一環として「相撲の普及と標準化」が図られました。
 「ナショナリズムの高揚が相撲人気の活況と連動するという現象は、明治末期と共通するが、この、昭和十年代の相撲ブームの場合には、それが単なる社会現象としてでなく、『国策』の一環として演出されたものという性格を強く併せ持っていた点に特色がある」(新田氏、同著)

 「賜杯」や「屋形」さらに冒頭の行司の言葉など、大相撲は天皇制との深い関係の歴史を今も受け継いでいます。天皇制が無意識のうちに日常生活に入り込んでいる例です。
 今日の大相撲は、「ナショナリズム」や「国策」とどうかかわっているのでしょうか。

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