アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
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「日本と朝鮮戦争の関係」いつ「決着」をつけるのか

2024年06月25日 | 朝鮮半島の歴史・政治と日本.
   

 今日6月25日は、朝鮮戦争が勃発(1950年)して74年です。1953年7月27日に朝鮮軍、アメリカ(国連)軍、中国軍の間で休戦協定が調印されましたが、戦争はまだ終結していません。

 この戦争の死傷者は、朝鮮軍52万人、韓国軍58万人、中国軍(死者)13万人、アメリカ(国連)軍13万人。民間人の犠牲者は「北」28万人、「南」36万人とされています(韓国国防部軍史編纂研究所統計、21日付ハンギョレ新聞)。

 日本人の犠牲者は統計上はありません。では日本は朝鮮戦争と無関係だったのか。とんでもありません。
 歴史学者のガマン・マコーマック氏(オーストラリア国立大教授)は、著書『侵略の舞台裏-朝鮮戦争の真実』(シアレヒム社発行・影書房発売、1990年)の「日本語への序文」で、「日本と朝鮮戦争の関係」を7点指摘しています(以下、抜粋)。

<第一に、朝鮮の分断、南北の対立、戦争に立ち至った悲劇の根源的理由は、朝鮮が長い間日本帝国の下に従属を強いられていたということと、もし日本にそのつもりさえあったら分断されない独立した朝鮮国家の樹立に手をかすという選択肢が残されていたにも拘わらず、またそれをなしうるだけの力が日本にあったにも拘わらずそうはしなかったということにある。

 第二に、日本に対するアメリカの占領が比較的寛大なものであったのにたいし、同じアメリカによる1945年の朝鮮分断とそれによってもたらされたこの国のその後の運命は苛酷で不当なものであった。侵略の犠牲者である朝鮮は分断され、逆に、侵略を犯した日本は分断をまぬがれたばかりか、政治体制、官僚機構の連続性さえが保障された。戦後の日本に降りかかって然るべきだった運命は、日本の上にではなく、朝鮮の上に降りかかった。

 第三に、日本は巨大な規模の間接的役割のみならず、直接的に重要な軍事的役割を果たした。日本は(国連軍)戦闘司令部の所在地であり、供給、通信、兵站の中心地であり、米軍(国連軍)将兵の休息と娯楽の場所であった。それのみでなく、極秘の軍事作戦にも直接関与した。

 第四に、戦後日本の経済復興とその後の高度成長は、その土台が、朝鮮戦争の「特需」によって据えられた。日産、トヨタ、いすず、その他のグループはすべて朝鮮戦争中、戦場から送りこまれてくるトラックや戦車の修理、組立からの巨大な利益を飛躍のバネとして成長した企業である。船舶、飛行機、制服、セメント、爆薬、ナパームその他数えきれない軍需品の生産でドルをかせいだ。

 第五に、日本は朝鮮戦争を絶好の機会として、日本に住む在日朝鮮人に対する差別を強化した。日本は朝鮮人に対するアメリカ軍の敵意を煽りながら、朝鮮系の組織、新聞、学校等に対し、解体、閉刊、閉鎖の手段で弾圧を加えた。

 第六に、日本がこの戦争中、開発した技術と蓄積した経験を通じて、アメリカが朝鮮に対して実験したと思われる細菌戦に寄与したのではないかという問題。真相が究明されなくてはならない。

 第七に、日本人は、少数の例外を別にすれば、隣国の朝鮮人が蒙った心の傷に対して無関心であり続けた。人びとは安易に、いずれにせよ朝鮮戦争は自分たちの力の及ぶ問題ではないと片付けてきた。>

 そしてマコーマック氏はこう結んでいます。

「大部分の日本人にとって、朝鮮戦争という隣人の悲劇は高度成長の春霞の中では見えにくいものであった。いつの日か日本はこの時代になしたこと、なさなかったことについて決着をつけるべき日がくるだろう」

 この指摘から37年。マコーマック氏が挙げた7点はどれも「決着」がついていません。
 日本人は、「見えにくかった」のではなく「見ようとしなかった」のです。「決着をつけるべき日」はとうに来ていたのに、決着をつけないまま今日に至っています。それどころか、「朝鮮戦争」を知らない日本人は増えるばかりです。

 「朝鮮戦争と自衛隊の関係」(23年6月26日のブログ参照)を含め、「日本と朝鮮戦争の関係」から目を逸らすことは絶対に許されません。だいいち、朝鮮戦争はまだ終わっていないのです。


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