被災地・被災者には「5年目」の節目などなく、キャンペーンが終われば「通常」に戻るメディアにも違和感がありますが、私自身、日頃心にとめることが不十分なことを自戒しながら、書きます。
増加する震災関連死・孤独死、内部被曝の脅威、深刻な検査結果を示す子どもの甲状腺異常、深まる生活苦、地域コミュニティの崩壊、大幅に遅れている住宅・産業の復旧などなど、課題は文字通り山積していますが、ここでは、東京電力福島第1原発による放射能汚染からのいわゆる「自主避難者」について考えます。それは、原発・震災被害をめぐる国家権力と被害者、そして「一般市民」の関係を象徴的に示すものだと思うからです。
国が決めた「避難指示区域」以外の避難者が「自主避難者」と呼ばれています。「指定区域」の内と外で、同じ避難者でも賠償額をはじめ、補償・支援に大きな差別が、制度的につくられています。
その実態を、田並尚恵さん(川崎医療福祉大准教授)の論稿(8日付中国新聞)などからみます。
県外避難者を支援する制度の1つに災害救助法がありますが、それが「自主避難者」を対象にするかどうかは避難先の自治体の判断に任されており、「自主避難者」が受けられる支援はかなり限定的です。
「3・11」以後に成立した原発避難者特例法(2011年)は、対象を「避難指示区域」からの避難者に限定し、「自主避難者」は除外しました。
議員立法で成立した原発事故子ども被災者支援法(2012年)は、支援対象を「放射線量が一定の基準以上である地域」とし、「自主避難者」への支援の拡大が期待されましたが、実際に支援が拡大されたのはわずか33市町村にとどまりました。
昨年、国と福島県は県外避難者の支援方針を転換。福島県は「自主避難者」を対象にした仮設・借り上げ住宅の供与期間を来年3月末で打ち切ると発表しました。
さらに国は、来年3月末までに「避難指示」を解除する方針です。解除されれば避難者はすべて「自主避難者」とみなされ、支援は大幅に削減されます。
以上の実態は何を示しているでしょうか。
国は補償・支援制度に大きな差別を設け、さらに支援制度の打ち切りによって強制的に避難者を被災地域に「帰還」させようとしているのです。それは、2020年の東京五輪・パラリンピックなどへ向け、「復興」を装う国家戦略にほかなりません。
こうした国家戦略と両輪のように、市民レベルでは、避難者(子ども)が避難先でいじめ、差別に遭い、とくに「自主避難者」は元の居住地からも異端視され、みずからも故郷を「自主的に」離れたことに「うしろめたさ」を感じなければならない。
国家が被害者を差別し、それが市民同士の「反目・差別」を生む。これこそ「戦争賠償・恩給」や「公害補償」などでも使われている、国家権力による国民・民衆の分断支配の常套手段です。
それがいま、福島原発被害において実際に進行している事実を、私たちは凝視する必要があります。
「自主避難者」というと、なにか自分で勝手に避難している、という誤った印象を与えかねませんが、実際はまったく逆です。
「自主避難者」は、実態が未解明な放射線被害から子ども、家族を守るため、国策に抗い、多くの困難・差別とたたかいながら、健康と生活を守っている人たちです。それは、日本国憲法第11条の「基本的人権」、第22条の「居住・移転の自由」、第25条の「生存権」を守る先頭に立っている人たちです。
「自主避難者」とは、原発・放射能被害とのたたかい、憲法擁護のたたかいの最前線に立っている「先駆的避難者」である、と言えるのではないでしょうか。