アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
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「自衛隊・安保条約肯定」に立った「安保法制反対」の違和感

2016年03月31日 | 日米安保体制と平和・民主主義

  

 安倍政権と自民、公明両党が、昨年末憲法(53条)を踏みにじって臨時国会召集要求を握りつぶしたのに続き、今度は野党が提出している戦争(安保)法制廃止法案を審議すらしないというのは、多数のおごり、国民無視も甚だしく、絶対に許されるものではありません。

 29日施行された戦争法制は、あらためて国民的議論を巻き起こし、廃止しなければなりません。

 その際、見過ごすことができないのは、「戦争法制反対」や「安倍政権批判」の論調の中に、自衛隊や日米軍事同盟(日米安保条約)を肯定するものが少なくないことです。

 例えば、「『違憲』の法制、正す論議を」と題した29日付の朝日新聞社説は、「幅広い国民の合意を欠く『違憲』法制は正さねばならない」としながら、「法制の中身を仕分けし、少なくとも違憲の部分は廃止する必要がある」「問題は…自衛隊の海外活動に一定の歯止めをかけてきた『9条の縛りを緩めてしまったことだ」といいます。これは自衛隊・安保条約自体を肯定したうえで、憲法9条は「自衛隊の海外活動」の「一定の歯止め」にすぎず、安保法制の「違憲」性も部分的なものだという立場です。

 「安保法施行 思考停止せずに議論を」という29日付の毎日新聞社説はもっと露骨に、「日米同盟は重要だ」と言い切ったうえで、日米防衛協力の新ガイドラインも評価し、「だが、同盟強化一辺倒では、国際秩序の大きな構造変化に対応できないだろう」として、「外交と防衛のバランス」を点検する「議論」を求めているにすぎません。

 しかし、戦争法制は「国民の合意を欠く」から違憲なのではなく、また従来の「政府見解」を変えたから「立憲主義」に反するのでもありません。憲法の9条や前文に照らせば、自衛隊という軍隊そのもの、他国との軍事同盟である日米安保条約自体が違憲です。戦争法制は「違憲の部分」があるのではなく、丸ごと違憲なのです。

 憲法学者の横田耕一氏は、「『安保法制』に反対する運動に関していくつかの『違和感』を持たざるをえない」として、こう述べています。
 「現在の反対運動のなかでは…反対論の依拠する出発点は『72年内閣法制局見解』にあるようで、それからの逸脱が『立憲主義に反する』として問題視されている。したがって、そこでは自衛隊や日米安保条約は合憲であることが前提とされている。過去の『解釈改憲』は『立憲主義に反しない』ようである。
 けれども、『72年見解』等は、憲法前文の趣旨が示す『武力によらない安全保障』から『(個別的自衛権の行使を含む)武装による平和保障』への質的転換を意味するものであるから、『安保法制』は『72年見解』の延長線上にある量的変化と見做すべきものである(『周辺事態』から『重要影響事態』への改変が量的変化であるように)」(「靖国・天皇制問題情報センター通信」2015年11月号)

 違憲性は「量的変化」(「安保法制」「重要影響事態」)ではなく「質的転換」(「72年法制局見解」「周辺事態」)に表れ、そこにこそ着目すべきだという指摘です。
 憲法違反の自衛隊・日米安保を肯定しながら、「日米同盟の強化」を前面に出してくる安倍政権の戦争法制や米軍基地強化と正面からたたかうことができるでしょうか。
 戦争法制廃止へ向けた議論・運動の中で、いまあらためて、自衛隊・日米安保自体の違憲性を問い直す必要があるのではないでしょうか。

 そんな中、「シールズ琉球」の元山仁士郎さんの記事(写真右)が目を引きました。
 「元山さんは…自衛隊配備に多額の予算が付けられていることを批判した上で『沖縄は3人に1人が貧困状態だと言われる。防衛予算額をより多く貧困家庭や待機児童、福祉などの予算に充てるようにするべきではないか』と語った」(29日付琉球新報)

 「防衛予算を福祉に」。いまや日本共産党からも聞かれることが少なくなったこの言葉が、若い元山さんから聞かれたことがうれしく、そして頼もしくてなりません。
 軍事費タブー、安保条約・自衛隊タブーを打ち破って、その違憲性を根本から問い直す学習・議論が、若い人たちの間で広がることを願ってやみません。

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