アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

“辺野古密約”は許されないー「和解」協議の公開・議事録は最低義務

2016年03月07日 | 沖縄・翁長・辺野古

  

 辺野古新基地建設をめぐる安倍政権と翁長知事の「和解」(4日)は、一貫して非公開・水面下で秘密裏に行われてきました。

 翁長氏は「和解合意」は「まったく寝耳に水」(4日の記者会見、5日付琉球新報)と言っていますが、そんなはずはありません。

 「2月18日夜、東京都内のホテル。沖縄県で基地問題を担当する安慶田光男副知事が菅義偉官房長官とひそかに接触、和解について協議していた」(5日付中国新聞=共同)

 「2月18日夜、安慶田光男副知事が極秘で上京し、都内で菅義偉官房長官と会談した。関係者によると・・・政府と県が合意した和解案にある『訴訟の取り下げ』や『確定判決には従う』などの和解条項の確認作業を行ったといい、『電撃合意』への流れが明確になった」(6日付沖縄タイムス)

 報道されているだけでも、2月18日の「菅・安慶田極秘会談」で、「和解条項」の確認が行われ、「合意」は確実になったのです。

 そして翁長氏は3日午後から「軍転協(軍用地転用促進・基地問題協議会)」のため上京。4日午前には菅官房長官と会談しています。安倍首相が正午すぎに「和解受諾」を表明したのはその後です。3日夜から4日午前にかけ、翁長氏と菅氏の間で「最終確認」が行われたのは間違いないでしょう。

 こうした動きは一切隠されたまま、県民・国民が「和解条項」および多見谷寿郎裁判長の「和解勧告文」を知らされたのは、「和解成立」の翌日(5日)、沖縄タイムス、琉球新報の報道によってでした。

 「和解」をめぐる翁長氏の秘密主義は、「和解案」が示された1月29日から一貫しています。

 翁長氏は「和解案」が提示された時は「裁判所の指示によって現時点では内容を申し上げることは差し控えさせてもらいたい」(1月29日の記者会見)と裁判所のせいにし、裁判所に「前向き回答」した時も、「和解案の公表を(裁判所に)引き続き求めたところだ」(2月15日の記者会見)と述べてなおも隠そうとしました。それを加藤裕弁護士が「暫定案の大まかな中身については、裁判所から特に内密にということはなかった」(同記者会見)として明らかにしたのです。

 ところが顧問弁護士の竹下勇夫氏(写真右の翁長氏の右隣)は、暫定案の修正案が示された後の記者会見で、「(根本案については)公表をこちらから求めてもいないのかなと個人的には思っている」(2月29日の記者会見、3月1日付琉球新報)と述べ、和解案の公表を裁判所に求めているとしていた翁長氏の言明は(少なくとも根本案については)ウソであることを暴露したのです。

 その竹下氏は、今回同意した「和解案」について、「(和解協議で)きちんと回答するのであれば、そもそもこの案がどういうもので、というのは公表しないといけないわけだ」(2月29日の記者会見、同)と事前公表の必要性を認めていました。しかしこれもまったくで実行されなかったことは、以後の進展が示す通りです。

 翁長氏のこうした一貫した秘密主義の結果、政府と沖縄県の間でどういう「協議」がなされて「和解」に至ったのか、「和解条項」とりわけ第9項はどういう意味なのかなど肝心なことは何ひとつ分からないまま、「和解合意」という結論だけが事後報告されたのです。

 こうした秘密協議がこれからも続くなら、今回と同じように、「和解協議」の結果、「辺野古新基地問題は決着」という結論だけが押し付けられる恐れがきわめて大きいと言わねばなりません。

 これでは「沖縄返還」時における「密約」の再現、新たな“辺野古密約”ではないでしょうか。

 「和解条項」について直ちに説明責任を果たすとともに、今後の政府との「協議」はすべて公開し、議事録を残すこと。
 これは知事としての翁長氏の最低限の義務であり、それから逃れることは許されません。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする