亡くなられた中村勘三郎さんが言った「型があるから型破り、型がなければ形無し」
形(型)とは、広辞苑に「武道・芸能・スポーツなどで、規範となる方式」と書かれています。
音楽にも通じることのように思います。
例えば、正確なリズムとテンポで弾けてこその、自由な表現かもしれません。
私はまだまだです。
亡くなられた中村勘三郎さんが言った「型があるから型破り、型がなければ形無し」
形(型)とは、広辞苑に「武道・芸能・スポーツなどで、規範となる方式」と書かれています。
音楽にも通じることのように思います。
例えば、正確なリズムとテンポで弾けてこその、自由な表現かもしれません。
私はまだまだです。
今日もオリンピック会場のことが話し合われて、一部座席数を減じる案が決まったようです。
理由はいろいろあると思いますが、観客の立場で言えば、大きすぎる会場は競技する選手が遠すぎて一体感が乏しくなります。
コンサートや芝居なども、2000席以上のホールは敬遠したくなります。
座席数と見やすさのバランスも考えて欲しいです。
村上龍の小説です。
以前読んだものをまた読んでいます。
☆もう一度人生をやり直したい人々の背中に寄り添う「再出発」の物語。
60歳前後に、転機がおとずれる人が多いのかもしれません。
身につまされるストーリーでもありますが、それまでどう生きたか、これからどう生きるか、、
今と、これからが大事ですね。
このところ葛飾北斎の特集をテレビでよく見ます。
子供の頃から88歳で亡くなるまで、一日として絵筆を離したことはないと言われています。
普通の人ができることではないですが、毎日ピアノやヴァイオリンなどの楽器を、一日も欠かさず弾いている人は、珍しくはないです。
他の分野でも専門家は日々、その道を歩み続けていると思います。
北斎は、続けることでしか、究めることはできないと、教えているのかもしれません。
磨き抜かれた技術と演技力で最高のパフォーマンス目指して戦っていると思います。
が、全ての演技者がミスなく良い出来栄えで終わるわけではなく、多分、力を出し切れず、悔しさの残る人も多いように見えます。
次元はまったく違いますが、楽器演奏者も似た経験をしていると思います。
でも、最高のパフォーマンスを目指し、戦っている姿は皆美しく輝いています。
東京では観測史上初の積雪のようです。
こんな日に地元の警察署主催の古物商の講習会があり、私はお手伝いで、この後行きます。
今日は工房には行かず、今は家で楽譜作りなどしてます。
安全第一で「行ってきます」
メトロノームを使っての練習は、ある程度指が動かせるようになってからで良いと思います。
私の場合、最初はメトロノームに合わせて弾くことが、まったくできませんでした。
今は、弾きなれた曲は、メトロノームのリズムに乗れるようになりました。
リラは左右の指の組合せで音符を鳴らすので、まず、その弾き方に慣れることが大事だと思います。
NHKBS1で全日本大会を見て圧倒されました。
少年時代から練習を重ねた努力の結果だと思いますが、これには若さも必要ですね。
音楽家の鍛錬も似たところがありますが、音楽を楽しむのは年齢にかかわらず歳を重ねてからも十分可能です。
熟年世代でリラを楽しんでいる人は決して珍しくないです。
世代を越えて楽しみましょう。
1年がどんどん短く感じるようになりました。
昨年の今頃が昨日のように思い出されます。
はちきれんばかりの若さも、だんだん落ち着き、熟年となります。
音楽も時の流れに乗って語り掛けます。
今鳴った音色も瞬間的に次の響きに変わります。
演奏者は次の時を自らの意思で彩っているかもしれません。
技術はその道具、、?