リラハープは、「上手になったら聴かせましょう」ではなく、教則本の初めの一曲から、家族でも、友人でも、聴いて頂くようにします。
演奏は、聴いて頂くことで、人との音の会話が始まります。
一人ぼっちで楽しむのは、ひとり言をブツブツ言ってるのに等しいです。
わたしも、ひとり言は時々ありますが、思いは誰にも伝わりません。
リラの楽しみは多くの人と共有しましょう。
(写真は、大森リラ教室の発表会)
リラハープは、「上手になったら聴かせましょう」ではなく、教則本の初めの一曲から、家族でも、友人でも、聴いて頂くようにします。
演奏は、聴いて頂くことで、人との音の会話が始まります。
一人ぼっちで楽しむのは、ひとり言をブツブツ言ってるのに等しいです。
わたしも、ひとり言は時々ありますが、思いは誰にも伝わりません。
リラの楽しみは多くの人と共有しましょう。
(写真は、大森リラ教室の発表会)
久しぶりに、金沢のKさんから連絡を頂きました。
リラ工房が自宅から東京の街中に専用の工房を構えたころ、金沢に新幹線もなく、飛行機でリラ旅行に何度も行きました。
その一つ一つの情景が懐かしい思い出となり、特別な場所となっています。
館林に移住して2年、その金沢に、また、行く予感がして、嬉しいです。
今日はTさんのオンラインレッスン日でした。
今回は、ひざ当てを使っての初めてのレッスンでしたが、効果はバツグンでした。
一番は、リラを抱える高さがピッタリでした。
次は、楽器と演奏者が一体となり、指の力がロスなく弦に伝わるような弾き方になれば、劇的に演奏が変わると思います。
今日のレッスンは花丸でした。
祖母の家に着くと、母は湯の浜温泉に働きに出て、私と妹は、地元の家に預けられました。
一番良かったことは、毎日、何回でも、町営の温泉風呂に入れたことです。
凍れる冬でも、温泉で体を温めたら、朝まで暖房なしで眠ることができました。
夏は、家に帰らず、砂浜に建てた手製の小屋で過ごす日もありました。
一番の失敗は、私の不登校で、その影響で、今でも、漢字、九九が苦手です。
これが、その後のバンドマンにつながっているかな、、、?
NHKのテレビ番組「沁みる夜汽車」を時々見ています。
どれも、心に沁みるエピソードが、夜汽車と共に語られます。
同時に、小学2年の秋、二つ上の兄と別れ、母と妹と3人で、魚沼市から日本海にそって走る夜汽車に乗って、山形の鶴岡の祖母の家に逃げるように行きました。
いつまでたっても、その時の、夜汽車の様子が心に沁みたままです。
私は今日、市内の巨大なショッピングモールを歩き回り、とても疲れました。
そのため、今日のリラ練習は、あぐら弾きでしました。
これはお勧めはしませんが、この楽器は、弾き方の基本ができていれば、芝生の上や畳の上などで腰を下ろして弾くことも可能ですし、楽しめます。
ただ、リラハープの鳴らし方は独特です。
なので、最初は、椅子に座り、足台、ひざ当て、を使う「基本姿勢」で鳴らすことをマスターして頂きたいです。
これは、難しいことではなく、レッスンを受ければ、すぐに理解できると思います。
私がバンドマンを始めた頃、キャバレーのステージでは、ジャズよりも歌謡曲が喜ばれました。
その後、米軍クラブで、ルイアームストロング(サッチモ)風の演奏をしたら、兵隊さんも大喜びで、モダンジャズを聴く人はほとんどいませんでした。
ジャズは、本場アメリカでも、大衆向けではなかった、、、かな
楽器に最初に触れたのは、クラシックギターでした。
古賀政男の教則本を見て練習し、簡単な曲が弾けるようになったら、友達を呼んで聴かせました。
当時は、家で音楽を聴くことはまれで、私が「影を慕いて」を弾くと、中学男子がウットリとし、喜んでくれました。
その後は、あふれるように、ラジオ、テレビ、レコードから音楽が流れる時代となり、私のギターもどこかに行ってしまいました。
あの時の生演奏が懐かしいです。
リラハープは、いつが楽しいのでしょうか?
レッスンを受けた時、練習をした時、曲が弾けた時、難しい曲が弾けた時、発表会で弾いた時、、、?
実は、どんな時も楽しいと思う人が、一番上手になります。
なので、私は、毎日、楽しく弾いています。