リラを毎日弾いている人も、時には、リラに耳をあてて音色を聴いてみてください。
その際は、楽譜も弦も見ないで、弾いてみてください。
すると、音の減衰の様子や、他の弦を共振させる音や残響音も聴けます。
演奏者も聴衆も、これらの音すべてを聴き分けるのは難しいので、時にはリラの直接音も聴いてあげてください。
25弦リラを見直すかもしれません。
リラを毎日弾いている人も、時には、リラに耳をあてて音色を聴いてみてください。
その際は、楽譜も弦も見ないで、弾いてみてください。
すると、音の減衰の様子や、他の弦を共振させる音や残響音も聴けます。
演奏者も聴衆も、これらの音すべてを聴き分けるのは難しいので、時にはリラの直接音も聴いてあげてください。
25弦リラを見直すかもしれません。
ここ1週間、ひざに痛みがあり、今日、いつもの整形外科の先生に診てもらいました。
「太ももを強化をしてください」
との指導があり、正しいスクワットのやり方を教わりました。
「1日30回、2か月くらい続けてください」
「自転車は続けてください」
などなど、種々ご指導頂きました。
いい先生です。
25弦リラはチューニングができていれば、指一本でもメロディーを奏でることができ、演奏を楽しむことができます。
では、なぜ練習するのでしょうか?
表情豊かな音色を響かせたり、難しい指使いができ、楽譜を正確に奏でることができると、表現の幅が広がり、楽譜に込められた作曲家の思いや、その楽譜を使う演奏者の気持ちを、正確に深く表現できるようになるからです。
今日弾けなくてもガッカリしません。
できないことをできるようにおさらいすることが練習ですから。
今日のNHKのど自慢大会でゲスト出演の森昌子さんが合格ではなかった女性出演者に声をかけました。
「少し音が外れたけど、歌は、歌って気持ち良ければイイのよ」
私も同じ気持ちでした。
ヴォーカルも楽器演奏も、演奏技術をみがく楽しみもありますが、テクニックを競うのではなく、音楽を楽しむことを一番にしましょうね。
ヴァイオリン、ピアノ、ギターなどに名器と言われる楽器が存在します。
これは、長い歴史のなかで多くの演奏者に使われ、だれもが認める楽器の頂点に位置するものですが、楽器製作者が作ったというより、製作者と演奏者とその演奏を愛した聴衆との合作だと思います。
そして機械による大量生産品ではなく、たぶん、一台一台執念を込めて作った楽器という芸術作品だと思います。
リラ工房の午前中、いつものNHKFMから懐かしい音色の演奏が流れ、作業の手が止まり、思わず聴き入りました。
打ち込み音楽では聴けない、心に響く演奏は、金子雄太さんのオルガンにギターとドラムが加わった美しいアンサンブルでした。
そしてオルガンはハモンドのB3と聞き、納得しました。
オルガンブームが消え去った今でも、B3の存在感はまったく消えず輝いていました。
過去に三日坊主の日記を何度も手書きしました。
一度は英語で書きましたが、今読んでも意味不明です。
最近は手帳が、とても役立っています。
10年前の6月末に新潟市に行き、お世話になったピアノ講師の方に25弦リラを見て頂きました。
手帳には新幹線の到着時刻まで記入されていました。
懐かしく、昨日のことのように思い出されます。
手帳は良いですね。
新しいリラの音は弦が新しいこともあり独特で、私は青春の響きとかってに呼んでいます。
そして、しっかりと鳴らし曲を弾き続けると、音色も音程も、徐々に落ち着いてきます。
さらに、リラと弾き手が一体になるほど弾くと、愛着のあるイイ音になります。
その頃は、myリラがオンリーワンの楽器になっています。
朝、NHK・FMでショパンの革命をブーニンの演奏で聴きました。
この曲はピアノ発表会で何度も聴きましたが、この難しい曲が練習曲とは知りませんでした。
ショパンの「12の練習曲」の最後の曲なんですね。
今、辻井伸行とフジコ・ヘミングの演奏も聴きました。
この曲が弾けるには、いったいどれくらい練習するのでしょうか?
1度弾けたら、ずっと弾けるのでしょうか?
今も弾いてる方にお聞きしたいくらいです。
内館牧子さんのエッセイ(幻冬舎文庫)のタイトルです。
その中で「故郷のために」は地方都市の衰退とそれを見過ごせない筆者の思いがつづられています。
私もリラ旅行などで、各地を訪問した時、同じ思いになります。
国全体の問題として取り組まないと、地方消滅の危機が迫ります。