今週は帳簿付けや国に提出する書類やデータの整理などに追われ、珍しく製作作業ができない日が1~2日ありました。が、今日はいつもの日常が戻りました。
いつも工房では一人で仕事をしていて、厳しい上司がいるわけではないので、自分に言い聞かせるモットーがあります。
それは、「製作の手を止めるな」!そして「演奏は日々の楽しみ」!です。
でも、疲れた時は、「寝るのも仕事」かな、、、、、?
失礼しました。
今週は帳簿付けや国に提出する書類やデータの整理などに追われ、珍しく製作作業ができない日が1~2日ありました。が、今日はいつもの日常が戻りました。
いつも工房では一人で仕事をしていて、厳しい上司がいるわけではないので、自分に言い聞かせるモットーがあります。
それは、「製作の手を止めるな」!そして「演奏は日々の楽しみ」!です。
でも、疲れた時は、「寝るのも仕事」かな、、、、、?
失礼しました。
毎日弾いている人は感じていると思いますが、日によって気持ち良く弾ける日と、日によって音を外したりで、上手く弾けず、すっきりしないことがあります。
原因は仕事疲れやストレスなど、いろいろだと思いますが、そんな時試して欲しいと思うことがあります。
それは事情が許せば、10分でも20分でも良いので昼寝し、もう一度弾きなおしてください。
私の実験結果では、明らかに弾き方が違ってます。
これは私が昼寝好きだからではないですよ。(笑)
NHK「小さな旅」のテーマ曲が好きで、何年も前からリラハープで弾いていますが、いまだに上手には弾けません。
この楽譜はNHKに切手を添えてお願いし、無料で送って頂きましたが、ピアノの楽譜のように2段譜でびっしりと書かれています。
その音符の一部を削って、今は28弦リラ・情熱で弾いていますが、出来栄えは、、、?
でも、飽きることもなく今日も弾きました。
リラハープは2007年の25弦リラ発売から小さな改良を繰り返しながら、現在の25弦リラ・やすらぎ、28弦リラ・情熱に至っていますが、多くの皆様の励ましと応援が大きな支えとなりました。
ありがとうございます。
このリラハープが変わったことの一つは耐久性です。
長く弾いて頂くと消耗品の弦は切れて交換することはあっても、定期的な楽器の調律・整調を行えば、長く使えると思います。(まだ歴史が浅いので立証はこれからです)
そして表面にニスを塗っていますが、傷ついたり、劣化した場合は、塗り直しも承ります。
演奏家の魂が込められたmyリラが再び光輝くと信じています。
(写真は、初期の25弦リラです)
今年はステイホームの呼びかけもあり、自宅と工房の往復の日が続きましたが、それで終わってはいけない。と、思っていたら、GoToトラベルが始まりました。
そこで行きたい場所をチェックしたら、格安で行けそうです。
天気の良い日、リュックに28弦リラ・情熱を入れ、寒さ対策をして出かけます。
自然豊かなところ空気の澄んでいるところを探すのも楽しいことです。
近場ですが、久しぶりのリラ旅行になりそうです。
今年2月、62年続いた新宿歌舞伎町の最後のキャバレーが閉店しました。(NHK ドキュメント72hours)
このキャバレーがあったビルには何度も行ったこともあり、62年の歴史とその重みを実感します。
逆に、音楽人生で、短かったと思うのは、グループサウンズ、電子オルガン、一時のピアノブームなど、これらは夢のように消え去りました。
今は、それほど目立たなくても、自分で奏でる音色が、心をうるおし気持ちを豊かにする、そんな楽器演奏を長く楽しんで頂きたいと願っています。
今日は久しぶりの工房レッスンを行いました。
コロナの影響もあり自重してましたが、マスク、アルコール消毒などの対策をして行いました。
やっぱり、音楽レッスンは対面の個人レッスンが基本だと思いますが、オンラインレッスンにも手ごたえを感じていて、これからは一人一人の事情によってどちらも必要だと思っています。
これまでmyリラに触れることができなかった人も、また、一歩一歩リラ弾きの楽しみを取り戻しましょうね。
先日、テレビで細川たかしが「イヨマンテの夜」を歌うのを聴き、その迫力に圧倒されました。
今、この歌を今完璧に歌えるのは、ひょっとすると細川たかしだけかなと思うくらいの歌唱力で、何度でも聴きたいと思いました。
この歌の歌詞はアイヌ民族の熊にまつわる儀式を歌っているようですが、そのファンタジーの世界は聴く人の魂を揺さぶるような広がりを見せます。(作詞:菊田一夫、作曲:古関裕而)
細川たかしの歌に込めた熱い思いを、多くの人に聴いて頂きたいです。
新潟から東京に来て19歳の時初めて受けたレッスンがジャズベースの個人レッスンでした。
このジャズスタジオは今も続いていて、多くのジャズメンを世に送り出しています。
私の先生はプロジャズベーシストとして活躍し教則本も出版していたことで、指導をお願いしました。
それが音楽人生の始まりとなりとても感謝してます。
レッスンはベースの弾き方はもちろん、それと並行してピアノの練習も続けるよう指導して頂き、それは後になってとても大事なことだと気づきました。
今思うのは「音楽との関りは長く続けることで得られるものがとても多い」です。
今日の読売新聞夕刊に、このタイトルのノンフィクション小説が紹介されてます。
そのころ、私はある事情で新潟(魚沼)から母と妹と一緒に祖母の家(山形県鶴岡市)に行き、暮らしていました。
ある日、ラジオから洞爺丸の事故の様子が時々刻々と流れ、大人たちの顔から緊迫した様子が伝わり、子供も震えていました。
それは1954年の台風で起きてしまった青森と函館を結ぶ青函連絡船の海難惨事でした。
今は飛行機も新幹線もあり、その当時を知る人もだんだん少なくなりましたが、忘れてはならない海難事故です。