今日は名古屋で1時間半の講座を担当させていただきました。
朝早く東大和市を出発し午前中に名古屋の中心部にある会場に到着しました。
集まった30人くらいの方々から暖かいまなざしで迎えていただき無事に講座を進行することができました。
また、このような機会を頂けたら、さらに良い講座ができるようガンバリマス。
受講していただいた皆様、本当にありがとうございました。
今日は名古屋で1時間半の講座を担当させていただきました。
朝早く東大和市を出発し午前中に名古屋の中心部にある会場に到着しました。
集まった30人くらいの方々から暖かいまなざしで迎えていただき無事に講座を進行することができました。
また、このような機会を頂けたら、さらに良い講座ができるようガンバリマス。
受講していただいた皆様、本当にありがとうございました。
リラを弾く人の年齢はさまざまで、二十歳未満の人から60代70代の方もおられます。
時々年齢を気にされる方もおられますが、私自身も世間的には高齢者ですが、年齢によるハンディは感じたことはありません。
年齢とともに目が衰えると言われますが、弦を見つめて弾くのではなく、指での感覚で弾くようにしますので、目の衰えがあっても大丈夫です。
それから、使っている能力は長く衰えないとも言われていますので、どんどん弾いて若さを維持したいと思います。
そして、若い人は、練習を続けることで自分の音楽的可能性を感じて欲しいと思います。
長く歌舞伎などの芸術を見てきたNHKのアナウンサーが言ってました。
「芸は時間のかかるものです。今の時代、すぐ結果を求めるような風潮もありますが、芸をみがくことは時間をかけてやることです」という趣旨の話をされました。
本当にそうですね。
リラの練習も続けることが大事ですね。
東京の寒さは、空気が乾燥しているせいか、肌を刺すような寒さです。
昨日今日と東京でも氷点下の時間もあり、とても寒く感じます。
思えば2週間前、マイナス7℃以下の札幌の街を歩き、寒いとは思いましたが、冷たさがおそってくるような厳しい感じはありませんでした。
たまたまそうだったのかもしれませんが、今の東京は寒いです。
リラブログを毎日読んでいただいてる方には本当に感謝です。
たわいない話がほとんどですが、リラを毎日少しでも弾いていただいてる方にお礼の気持ちもあって続けているものです。
リラ仲間の一人ひとりは年齢も立場も環境も様々です。
そんな方々が一日の生活のなかで、リラを演奏する時間を少しでも持って、心をいやしていただけたら嬉しい限りです。
今、大きな会社が「1万人規模の削減へ」というニュースで見ました。
これは、1万人の人が職を失って、新たな働き口を探さなくてはならないということですよね。
大変なことですね。
新聞などで時々このような記事を見ますが、職を失うことは規模の大小ではなく、一人ひとりにとって大変つらいことなので、経営者はどうか社員を大事にする経営をよろしくお願いします。
今日のラジオで話題になってましたが、アメリカでは家の中でも靴を履いているようです。
靴を脱ぐのはベッドに入るときと言ってましたが本当でしょうか?
文化の違いとは言うものの、日本で生まれ育った私には想像がつきません。
岩国の米軍基地で仕事をしてたころ、市内で暮らすアメリカ人の家に遊びに行ったときは靴を脱いだように記憶してます。
島国に暮らしていると多様な文化に触れる機会が少ないようですね。
リラで曲を弾くとき、今覚えているメロディーを弾いてみることも良い練習になりますが、楽譜を見て弾くことも多いと思います。
そのさいは、まず最初のワンフレーズを何度も弾いて指と音で覚えます。
そしてまた、次のフレーズを弾いて覚えます。
その繰り返しで、まず、短い曲を楽譜を見ないで弾けるように練習します。
けっして長い曲や、難しい曲に最初から挑戦することはしません。
楽譜を見ないで弾ける短い曲のレパートリーを増やしていけば、リラ奏者としての力がいつの間にかついてきます。
楽譜を見るのは、その入口です。
リラを弾くとき、左右の手は同じような動きをします。
それは、ピアノを弾くことと同じです。
リラの上手さは、左手の使い方の上手さに比例すると言う人もいます。
これらのことから、リラは特別な理由がなければ、右利きの人も左利きの人も同じリラを弾いていただけたらと思います。
昨日はなれない原稿書きをしましたが、芥川賞をとるような作家は毎日机に向かって文章を書いてるんでしょうね。
次から次へと書くべき内容が文章となってあふれ出てくるのものでしょうか?
それとも苦しみのなかで創作活動をしているのでしょうか?
私にとっては寒い日の外での仕事も大変ですが、頭脳労働も厳しいです。
先日の芥川賞受賞のインタビューを見て、なんとなく凡人にはうかがいしれない精神闘争があるのかなと思いました。