ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

世の中ズンズン変わっている

2014年10月15日 | 一寸そこまで

          「クレオメ」   丹波の古家     (14―10―3)







お寒くなりましたね。という感じです。まだ暖房は入れていませんが、もう欲しい
かな?敷き電気毛布は入れていますよ。温かいお布団に足を突っ込んだ時、ほ
わっと嬉しくなります。

私たち老齢には「冷え」が一番の大敵です。冷やすことによって、夏の間、影を
潜めていた「痛み」がにょろりと顔を出すんです。着膨れなんて、なんちゅうこと
ない、「暖」が故障から身を守る唯一の法方なんですよ。特に女性はね。


今朝のパンが最後の1枚だったものですから、大阪に買い物に行ってきました。
本当は、其の前に「美術館」に行くつもりだったのですが、まだまだ体が本調子
ではないので、そちらは、またの日に譲りました。

「昼は、おいしいサンドイッチにしようか」というので、まだ一寸時間も早いので
「ヨドバシカメラ」を覗きました。

今は50.60インチというテレビが出て来ましたから、その広い空間で見ますと、
我家の42インチといえども、小さく見えるんですよ。スクリーンは何処まで大き
くなるんでしょうね?

それから、色がとても鮮やかになりましたね。悔し紛れに言いますと、「毒々し
い」くらいです。それと「3D」っていうのですか?画像が飛び出してみえる?

大きな画像が二つ並んでいて、一つの画像が、私の乱視のように像がずれて
いるんですよ。電気店が故障をほっておくはずがないと思い側にいきますと、
前のテーブルに眼鏡が沢山おいてありました。「ハハ~ン」と思って、眼鏡をか
けてみました。

そうしますと、同じ映像ですが、右側はそのまま、ずれていた左側の映像が、
遠近があり、つまり「飛び出してきた」のです。未来のテレビはこうなるのか? 
と楽しみました。

美味しいサンドイッチを食べて、阪急の会員の満期、継続の手続きをして、8階
から地下まで直行、またまた、二人で両手に一杯の「食べ物」オンリーの買い物
をして、フーフー言いながら帰って来ました。


                     (第2430回)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台風一過

2014年10月14日 | 今日この頃

「芙蓉」  10年以上前、消えてしまったこの花 今年突然咲いて わが目を疑いました (14―10―5)







昨日(13日)は一日中、台風情報に振り回されました。13日の午後に近畿に
やってくる近年「過ってない大型台風」ということと、あまりにも大きくはっきりし
ている「台風の目」それの解説に振り回されて、いやがうえにも、心が揺れた
一日でした。

台風が速度を増し、午後3時ごろには「暴風圏」に入る、午後9時ごろは「近畿
を台風の中心が来る」と情報社会ゆえに、嫌でも耳に、目に入ってくる情報…。
やっぱり信じたくないけれど、信じてしまいます。其の時刻が過ぎると、ホッと
する、精神衛生的には過酷な一日でした。

それこそ、今まで見たことのない、「稲光と雷鳴」たった一度だけですが、飛び
上がりました。それ以外はあれよあれよという間に関東に去っていった19号。
ありがたいことだとは思いつつも、「あんまり心配させないでよ!」と予報のテ
レビに毒づいている私…。やっぱり昨日で、一寸、寿命が縮まった気がするよ。


読みました。

 

石原さんの、今までの航海の思い出。裏表紙は其の時の航海図の1枚。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宝塚歌劇100年展

2014年10月10日 | 一寸そこまで


        「ベニアオイ」 と 「シロベニアオイ」     武庫之荘・ウッディ     (14―10―7)

体調不良が前触れも無く、あっという間に突然やって来ました。熱っぽく、食欲
が無くなり、倦怠感でただ、寝ているよりありませんでした。今もまだ完全では
ありませんが、来週には完治していると信じています。

そこで、今まではお休みの予告をしておりましたが、これからは予告なしで、
元気なときに、一生懸命書き込むことにしようと思いました。今後ともよろし
くお願いいたします。



8日の日に書くつもりでした。宝塚歌劇100年展の最終日に行ってきました。
写真だけですが、綺麗ですので見てください。撮影禁止が多くて、所々いいとい
う所を写して来ました。視て楽しんでください。

    



















 





上はフィナーレに皆さんが手に持って振っているものです。「シャンシャン」でしたっけ?












売店です。







コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大人の社会見学

2014年10月07日 | 一寸そこまで

        「萩」     丹波並木道公園・茅葺の家の庭    (14―10―3)


今日は図書館に行きました。珍しく主人も行く(朝日新聞を見に)というので、一
緒しました。帰りに阪急で塚口に出て「イカリスーパー」で買い物をして帰りまし
た。

ノーベル物理学賞受賞なさったのですね。赤崎さん、天野さん、中村さんお三
方の受賞だそうですね。青色ダイオウドはとても難しく、世界で失敗続きの中、
赤崎さん達が発明されたとか。嬉しいことですね。最近は「慰安婦問題」等で
日本は謂れの無い事実で苦しんでいます。腹立たしさと同時に、やはり心は沈
みがちでした。そこにさ~っと光が差し、心が浮き立つ思いです。おめでとうご
ざいます。ありがとうございます。





10月3日(金) 町会からの研修バス旅行で、丹波のほうに行ってきました。2
日続きなので、体力的に大丈夫かな~と思っていましたが、どちらも年一度の
行事ですし「来年行けばいいか…」という年齢でもないので、いけるときに行っ
ておこうと参加を決めました。

朝早かったですよ07:25集合07:35に出発でした。家から近い所まで、バス
が迎えに来てくれますから、いいのですが、40人の参加予定が当日は35人
になっていました。お互い年ですから「ドタキャン」は大いに結構ということです。
私のお仲間からも、お一人、ドクターストップがかかり不参加となりました。

バスは中国道・舞鶴道を経て、柏原藩陣屋跡と其の迎えにある田ステ女記念
館に着きました。

この句は学校で習ってよく知っていましたが、それが6歳の童女のものとは知
りませんでしたし、まして、わが兵庫県の人とは知りませんでした。

なにぶんにも石像が古くて、もう少し、手入れしていただけたらな~という感
想でした。










陣屋跡のほうは、何処も同じ?って感じで、あまり感激はありませんでした。
ただ、屏風の絵だけは、何となく良いな~、と思いました。

次に「丹波並木道中央公園」の見学だったのですが、このときは一寸時雨れて、
傘が必要でした。ここも、茅葺屋根の古民家は見慣れていますから、心沸き立
つものはありませんでしたが、一番上の「はぎの花」がとても綺麗でした。

この公園自体は見学というよりは家族連れ・グループ等で楽しむ場所のようで
した。何しろ、広大な面積で、恐竜の化石も発掘されたそうで、今も継続発掘
しているそうです。



次が一番の楽しみだった、「しいたけ狩り」です。バスの中で「雨が降っても、テ
ントの中ですから心配要りません」といわれていました。まったく其の通り、ビニ
ールハウスの中で、それも何故か真っ暗です。1畝だけ指差されて、「この畝で
取って下さい」といわれ、疎らについている「しいたけ狩り」でした。5分もいたで
しょうか、心待ちにしていた「しいたけ狩り」はそれだけです。

私が想像していたのは、うっそうとした森の根本に立てかけられた「しいたけの
木」に生えたしいたけを木漏れ日の元で採取するというものでした。まったく違
っていて、内心つまらないな~と思いでした。

    

初めにこのピンクの小さいかごを渡されて、是に入るだけととってもいいといわ
れました。自分の取ったものを食堂で焼いてたべ、残りはもってかえっていいと
いわれました。

私はぎゅ~ぎゅう~つめ込んで、形を壊すのが嫌で、結局6個取りました。3個
はその場で食べて、3個もってかえりました。

私の向かいの席のご夫婦の方は、かごにあふれんばかり取ってこられて、その
場では少し食べられて、後は下記の野菜やお肉を食べておられました。そして
「沢山あまったわ」とお持ち帰りでした。あまりにも見え透いた行動に、私はしら
けました。



次は「キリンビアパーク」見学と試飲です。私はアルコールはあまり飲まないの
ですが、ビール会社で、作りたてのおいしさは「アサヒビール」で経験していま
すので、楽しみにしていました。




    


                        材料の 「ホップ」と「淡色麦芽」です

まず材料と、作業工程の見学、といいましても、説明は大方、ビデオでした。




工場は、残念ながら、清掃日とかで停止していました。



案内人の方の指先を見てください、「キリ」という字が見えますね。「ン」はその
字を少し右に移動しましと、同じ位の位置(高さ)に反対向きの「ン」の字があり
ます。これは、偽造防止のためだそうです。家に帰って、虫眼鏡で、捜してみま
した。見つかりましたよ。



いよいよ試飲です。三杯まではお変わりできるそうです。ビールが駄目な人の
ために、「お茶」「ジュース」もあります。おつまみの小さな袋も頂きました。

2度目だったからでしょうか、あまりおいしいと思えなくて、半分飲んだだけで、
「お茶」を頂きました。是って、私の口には「キリン」より「アサヒ」が合うって言う
こと?



色々と写真を撮りましたが、「撮影は何処をとっても良い」といわれたからです。
ありがたかったです。

そうそう、小学生の見学が来ていたんですよ「何処から」と聞きますと「尼崎の
七松小学校、3年生」だったのです。

私を初め、皆さんの子供たちは「七松小学校」を卒業しています。「こんなこと
もあるのね~」と驚き、喜びました。機械が動いている日だったら、子供たちは
モット喜んだでしょうと思いました。今の学校は色んな所を見学するのですね。
「百聞は一見にしかず」ですね。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

心がほっこりと

2014年10月06日 | 一寸そこまで

        「タマスダレ」     あちこちにほんの少し咲きました       (14―9―20)


台風がそれてホッとしました。後すぐ19号が追っかけて来ているようですが、
如何でしょうか? 日本のほうに曲がらないで、直進して欲しいでしょうね。あ
れは、如何して日本近くで日本に沿って曲がってくるのですか? いつも恨めし
い思いで、天気図を見ています。


10月2日(木) 中学の同期会に行ってきました。1時に開会だったのですが、
12時に神戸駅で、珠ちゃんと待ち合わせて、「お茶」をしてから行きました。
ぎりぎりまで喋っていたので、大勢の方がすでに集まっていました。

4テーブルあったのですが、私たちのクラスは出席者が多かったので1テーブ
ルを頂きました。

司会者が、一人ずつ「現状報告」といわれたのですが「そんなんやめよ、話たっ
て病気の話ばっかりやで…」ということで中止になりました。良かった良かった。

年を取ると、「変化がないこと」こそ良い状態なんですよね。同い年の皆が、同
じように年を重ねて、あちこち故障があるようですが、それでも、こうして、皆
に会いたいと、集まってくださる、これこそ心身共に、健全な状態だと思うので
すよ。

私も心身共に衰えを感じていましたが、皆さんも同じなんだと感じ、なんだか心
が軽くなったような気がしました。是が、同期会のいいところですよね。








当日のお料理なんですが、固いもの、お肉が一切ありません。お魚も「すり身」
「練り」等々歯がなくても食べられるものばかりだったのですよ。「私たちの年齢
(80歳)を考慮してのお料理かしら?もう少し固くてもいいのに!」と思っていま
したら、男性がそのままずばりたづねてくださったのです「僕らが年寄りだから、
軟らかいもの?」って「そんなこと無いと思います…」とのお答えでしたが、ある
と思いますよ。何しろ物足りませんでした。軟らかすぎて!

               

こんなラベルのビール始めてみましたが、「傘寿の祝い」のつもりなんでしょうか?





会の終了後、私たちの学校が、他の学校と合併して、新しい中学になった、校
舎を見に行こうということになっていましたので、クラスの人と行きました。

「ひぇ~、これが中学?」立派な鉄筋コンクリートの建物でした。それも「冷暖房
付」だそうですよ。

私たちは戦後まもなくでしたから、木造の2階建て、校庭は石ころだらけで、放
課後、石を取り除くのが仕事でした。それはまだいいほうで、入学当時は校舎
もなくて、小学校に間借り生活、それも午前午後に分かれての2部授業でした。

校庭で部活のテニスをしている、孫より若い彼らを見て、「私たちも、あんなに
可愛らしかったのね~」と話しました。男の子に聞いてみました。「何年生?」
「2年です」「何回生?」「5回生です」「私ね~、合併前の中学の卒業生なのよ」
このおばあちゃん何?と怪訝そうな彼を見て、これだけ言って終わりました。
今は合併してはや6年目だそうです。

来年も又元気で会いましょうと分かれました。どうか、約束が守れますように!



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新幹線も50歳

2014年10月01日 | 思い出話

        「アプチロン」     小ぶりですが たくさん咲きました     (14―9―10)



東海道新幹線が、今日で50年だそうですね。早いものですね。今は2時間一
寸ですが、当時は4時間だったとはすっかり忘れておりました。

新幹線といえば十河総裁と頭にありましたが、それは開業1年前までのことで、
巨額の予算不足が明らかになり、十河総裁は責任をとる形で総裁職を辞任しま
した。鉄道技術者として、信頼、全てを任せていた鉄道技術者の島さん(すでに
退職されていたのを、十河総裁が呼び戻されたそうです)も、同時に職を辞しま
した。

だからと言って無慈悲と感じたのは、1年後の開通の晴れの舞台に二人は招待
されなかったというのです。

今では戦後日本が打ち立てた偉業の一つだと、誰もが疑わない、この事業を、
過っては無用の長物(万里の長城、ピラミット、戦艦大和)だと反対論も根強
かったそうです。



開通後1年ぐらい経ってから乗ったと思っていたのですが、開通が39年10月
1日ですから、2ヶ月もしないうちに、乗ったようですね。

切符は「記念にしたいから」と改札でお願いして、頂いて帰りました。



新幹線が開通して、小さかった息子たちは、オモチャの新幹線を持って、遊ん
でいました。乗せてやりたいな~、私も乗りたいな~と考え、運賃も高かったの
で、東京までは我慢して、親子4人「名古屋」まで新幹線に乗り名古屋まで1泊
旅行。「熱田神宮」「名古屋城」に行きました。

お昼は会社の名古屋支店の方が、名物「名古屋コーチン」のお店に連れて行っ
てくださいました。有名店らしく、一杯の人だったと記憶しています。その時初め
て「きしめん」を食べました。

年を重ねていますと、何事にも、思い出が一杯です。健康寿命を頂いて、懐か
しく思い出す事を積み重ねる今を、ありがたいことだと感謝しております。


読みました。

 

水上勉さんの息子さんです。若くて、貧しい頃に生まれたため母にひきとられ、
後に、窪島夫婦に貰われました。父・水上さんとは30過ぎるまで、面識がなく、
作者(息子)の方から、探し出した後には、親子として付き合いされたようです。
故に、実母、養母と二人の母がいたわけです。実の両親育ての両親のことを綴
ったものです。

       ☆  6日(月)までお休みします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする