「アプチロン」 小ぶりですが たくさん咲きました (14―9―10)
東海道新幹線が、今日で50年だそうですね。早いものですね。今は2時間一
寸ですが、当時は4時間だったとはすっかり忘れておりました。
新幹線といえば十河総裁と頭にありましたが、それは開業1年前までのことで、
巨額の予算不足が明らかになり、十河総裁は責任をとる形で総裁職を辞任しま
した。鉄道技術者として、信頼、全てを任せていた鉄道技術者の島さん(すでに
退職されていたのを、十河総裁が呼び戻されたそうです)も、同時に職を辞しま
した。
だからと言って無慈悲と感じたのは、1年後の開通の晴れの舞台に二人は招待
されなかったというのです。
今では戦後日本が打ち立てた偉業の一つだと、誰もが疑わない、この事業を、
過っては無用の長物(万里の長城、ピラミット、戦艦大和)だと反対論も根強
かったそうです。
開通後1年ぐらい経ってから乗ったと思っていたのですが、開通が39年10月
1日ですから、2ヶ月もしないうちに、乗ったようですね。
切符は「記念にしたいから」と改札でお願いして、頂いて帰りました。
新幹線が開通して、小さかった息子たちは、オモチャの新幹線を持って、遊ん
でいました。乗せてやりたいな~、私も乗りたいな~と考え、運賃も高かったの
で、東京までは我慢して、親子4人「名古屋」まで新幹線に乗り名古屋まで1泊
旅行。「熱田神宮」「名古屋城」に行きました。
お昼は会社の名古屋支店の方が、名物「名古屋コーチン」のお店に連れて行っ
てくださいました。有名店らしく、一杯の人だったと記憶しています。その時初め
て「きしめん」を食べました。
年を重ねていますと、何事にも、思い出が一杯です。健康寿命を頂いて、懐か
しく思い出す事を積み重ねる今を、ありがたいことだと感謝しております。
読みました。
水上勉さんの息子さんです。若くて、貧しい頃に生まれたため母にひきとられ、
後に、窪島夫婦に貰われました。父・水上さんとは30過ぎるまで、面識がなく、
作者(息子)の方から、探し出した後には、親子として付き合いされたようです。
故に、実母、養母と二人の母がいたわけです。実の両親育ての両親のことを綴
ったものです。
☆ 6日(月)までお休みします。