ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

富士山

2013年06月27日 | 思い出話

            「ノウゼンカツラ」   尼崎市・大井戸公園     (13-6-27)




今日も又チョンボしてしまった。明日が本の取置き期限だったので、「明日は唱
歌の学校があるし」っと思って今日行ったのに、図書整理の日で「休館」でした。
がっくり来ました。こんなに暑くなると、もう少し早く家を出て、9時の開館には着
くようにしないと、汗だくになるな~と思いつつ、テクテク歩いていったのに…。


昨日読み終えた本の1節に次のように書かれていました。

二人の男性の会話の一部です。夜の闇に青い山のシルエットがある。その中に
星より少し小さな光の粒が帯になり、空に向かって続いている。「あれは富士山
です。あの光はね、ご来光を拝むために登山者たちが夜、山道を登っている明
かりです」

一度書いたようにも思いますが、夏休みに、山中湖畔にある、会社の寮に宿泊
していたとき、夜、目覚めて窓から外を眺めた時、私も山肌に、1本の光の帯を
見たのです。はじめは何だか分かりませんでした。その頃の私は、ご来光を拝
むために、夜を徹して頂上を目指している人がいるとは知りませんでした。

昼の景色を思い浮かべると、真正面に聳えていたのは富士山です。その時は
不思議な光だな~、もしかして登山? 登山者が持った明かり? までは想像
しましたが、まさか、自分が、何年か後に富士山に登るとは考えもしませんで
した。

私も、ヘッド・ランプは持参しました。夜の山小屋で、トイレ(有料でした)に行く
とき、真っ暗でヘッドランプは必要でした。山小屋では着の身着のままで寝ると
言うこともしらず、寝巻きまで持参したのですから、今思えば、お笑いです。

山小屋に付いた時は、すでに軽い高山病に罹っていましたから、夕食(カレー)
は食べずに寝ました。その布団の、湿気て重くて、ひんやりしていたのを覚え
ています。心拍が指先で感じられる状態でしたから、明日頂上まで登れるかと
心配しながら、一夜を明かしました。

翌朝は8合目の山小屋で、日の出を迎えました。外は8月とはいえ、ガタガタ
震えるくらいの寒さでした。小屋の方が、ドラムカンに火を熾してくれました。

真っ暗な空にす~っと赤味が差して来ました。見る見る、お日様が顔を出しま
した。思わず、手を合わせて拝みました。ラッキーでした。中々1回目でご来光
を拝めることはないという話でした。

私はその話を聞いた時に、高校野球の8月15日の黙祷の事を思い出しました。
「その日が雨であった」と言う記憶がありません。だから8月15日に頂上に立
てば、日の出を拝めるのではないかと思い、プランを立てました。ドンピシャリ
と当たったわけです。

登りは高山病ですから、持参した「携帯用酸素ボンベ」をすいながら、登りまし
たが、帰りは大丈夫でしたが、足元が急勾配で、前につんのめらない様にと足
先に力を入れたものですから、帰宅後何日かして、鬱血で真っ黒になっていた
足の親指の爪がポロリと剥がれ落ちました。勿論下には薄紅色の軟らかい爪
が出来ていましたよ。

今年も4日後には富士登山の解禁日になります。世界遺産の富士山に沢山の
方が登られるのでしょうね。今朝、富士山のテレビを見たのですが、お店が一
杯あるのには驚きました。今は山梨側から登るのだそうですが、あんなにお店
が出来るほど、一杯の人なんですね。登山道も写っていましたが、数珠繋ぎで
した。

私は御殿場ルートからでしたが、お店は合目ごとにに小さな小屋が1軒だった
と思います。そこで、突いている杖に焼印を押してもらうのです。

どんなに多くの人でも、皆がルールを守って、あの「素晴らしい日の出」を拝
めれば良いな~と思っています。

そして自分のゴミは持ち帰る、世界に「美しい富士山」と認められたのですか
ら、ごみのない山・富士山にしましょうね。


コメント
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