ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

納棺夫日記

2010年04月13日 | 読みました

              八重咲きの「カランコエ」新しい品種だそうです 
           昨年 花市で挿し芽をしたばかりの小さな苗を買いました



今日一日だけ暖かくて、明日からは又寒くなり、暖かくなるのは週末だそうで
す。私は風邪気味になってしまいました。急いで風邪薬を飲みました。我が家
では「カイゲン」は常備薬です。夏風邪で使うことがありますから。

             納棺夫日記   青木神門

映画「おくりびと」を見に行って、それがこの本からだと知って、図書館に申し
込んでから、1年後にやっと順番が廻ってきました。

すらすらとすぐ読める本だと思っていたのですが、案外難しかったです。本木
雅弘さん(主役俳優)がこの本を読んで、感動し、実現した映画と聞いており
ます。この本のさりげないせりふから一つの筋書きを造った、脚本家の方もす
ごいな~と思いました。第81回アカデミー賞外国語映画賞を貰われたときは
本当に嬉しかっただろうと思いました。

映画では舞台が山形県になっておりましたが、青木さんが住んでおられるの
は富山県なんですよね。映画でバックに映っていた山は「鳥海山」は本当な
ら「立山連峰」なんです。

「鳥海山」といえば私が蔵王に上ったとき「あそこに見えるのが鳥海山ですよ。
一冬の間でも、こんなに綺麗に見えるのは1・2回程度ですよ」と遥か彼方の
山を指差して見知らぬ人に教えられて、初めて知った山の名前です。

納棺夫という仕事は、死者に直接触れるものですから、やはり世間では「おぞ
ましい」という感覚だと思います。それが判っているので、妻にも隠していた。
何時しか妻に知れ、『穢らわしい、近づかないで!』と言う場面が映画にもあっ
たが、真実らしい。さもありなんと思います。私がその立場にあったとしても、
やっぱりそう思うだろうと思います。実際に無くてはならない職業ではあっても、
それは他人であって、自分の夫で無い方が良いと思うのです。

私が難しいと思ったのは、宗教的な描写の場面があるからです。本木さんは
インドの旅行で、ガンジス川のほとりで、人の死から宗教に興味を持ち始め
たから、この本が、一気に心を打ったのだと思います。息子世代の彼なのに
深いな~と思いました。

こんな描写がありました。『鉛色の空からは、絶え間なくみぞれが落ちてくる。
このみぞれに濡れたうら寒いモノクロ風景こそが、この地方特有の貌なので
ある。気象が風土の貌をつくてゆく。道元禅師が言うように、山に雪が降るの
ではなく、雪が山をつくっていくのだ。みぞれが降り始めたら。北陸に住む人
々は冬が来たと実感する』

本木さんが一番感動した場所がP45にありました。腐乱死体にうごめく「蛆」
についての描写です。『蛆も生命なのだ。そう思うと蛆たちが光って見えた』

私が一番心に残ったのはP50~P51です。
『…老人の死体は、遺骸という言葉がぴったりで、何となく蝉の抜け殻のよう
な乾いたイメージがあった。
しかし、わが国経済の高度成長とともに、枯れ枝のような死体はみられなくな
っていった。今日では事故死や自殺以外は、ほとんど病院死亡である。昔は
口から食べ物が取れない状態になったら、枯れ枝のようにやせ細ってゆくし
かしかたがなかったが、今では点滴で栄養が補給されるため、以前のような
極端にやせ細った状態にはならない。

点滴の針後が黒ずんだ痛々しい両腕のぶよぶよ死体が、時には喉や下腹部
から管をぶら下げたまま病院から運び出される。どうしても、生木を裂いた様な
不自然なイメージが付きまとう。晩秋に枯葉が落ちるような、そんな自然な感じ
を与えないのである』

私がこの部分に心を打たれれたのは、姑を家で看取ったからだと思う、姑は4
年寝たきりの間にだんだん肉をそぎ落としていった。だから枯れ木とまでは行
かなかったが、小さく、生きる為に必要な部分だけを残した体で旅立った。

私は姑は幸せだったのだと確信している。私自身はやはりこんな死を迎える事
は無いだろうという覚悟はしている。病院で枯れることなく、ぷよぷよと…



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