ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

遍路 8

2009年04月19日 | 思い出話
  平成13年12月16日 (土曜日)   22番  平等寺

おちさんが「お先に」の挨拶と共に先発されました。次に私達が、マイカー遍路さんは後でしたが、間もなく追い越していかれました。

今日の後半も山の遍路道でよかったのですが、「マムシに注意」の大看板には参りました。時期的には、土の中でお寝んねとは解っていても、いい気持ちはしませんでした。足は知らぬ間に急いでいました。   



竹林はなんとも幽玄で美しいものでした。写真を撮っていると反対の方から男性が現れました。その人は手に8ミリを持ち見回りの方の様な感じでした。後で主人に「あの人は警備の人かしらね?」と言ったら「そんな人に会わなかった」と言う答えです。一本道なのに? ではあの人は何処から出てきた? 上の崖から飛び降りたのか? 下の竹林から這い上がってきたのか?(遍路道は山頂から谷への中間に作られているので、右も左も急傾斜なのです) いやはや、私は如何して人の見ないものを見るのだろうか?ヘビといい、人といい。


私の左奥の屋根の下に「万病に効く霊水」が涌いています。  勿論飲みましたよ。

22番 平等寺は最近手入れされたという新しい感じのお寺でした。幅広い階段を数段登ると其処に納経所と万病に効くといわれる霊水「開運鏡の水」(弘法さんが掘られた)があります。お水は其処から又登る階段の左手に埋もれるような形であるのでわかりにくかったです。勿論飲ませていただいたし、ボトルにも汲ませていただきました。


お寺の隣に「山茶花」と言う食堂があったので、少し早いが昼食を取ることにしました。始は私達だけだったのですが、少しして地元の男子高校生が二人入ってきました。焼肉定食を頼んで、備え付けの漫画本を読み始めました。私達は朝ごはんをたっぷり頂いてきたので、プチホットケーキセットと言うものを注文しました。それは丁度たこ焼きの様な形をした小さなホットケーキでした。ホットケーキ大好きな私は満足しました。


JR新野(あらたの)まで1時間ほどで着きました。駅舎で遍路装束を脱ぎました。電車が来るまで小1時間ありました。ホームに出るとおじさんが話しかけてきました。「秋とか春とかの季節のいいときはお遍路さんは多いけれど、今頃歩く人は珍しいね。昨日は焼山寺は雪だったそうだよ。1月2月はお山は雪で、つるりと滑るよ」だって。1時間30分で徳島駅到着。買っていたバスの時間を変更していただいて、予定より2時間ばかり早く神戸に着きました。三宮駅はルミナリエを見に来た人でごった返して居ました。主人は「序でに見て帰ろか?」だって。とんでもない。帰心矢の如しです。


1回2回はこのような思い出をつずるつもりもありませんでした。しかし3回目から書き始めますと「1.2回の分も書いたら? 途中からでは惜しいよ」と言う主人の要望にこたえて思い出しつつ今日(平成14年8月7日)やっと書き終えました。

どうしても思い出せないお寺もありました。名古屋の植木さんがダビングして送ってくださったテープを見ても「こんなとこだった?」と頼りないことです。年の所為かしら?それもあるかもしれませんが、私の心構えの所為だと思います。

何年も前から主人が「遍路に出たい」と言っておりました。主人が言い始めたその年に私もなって「行ってもいいかな?」と言う気持ちが芽生えました。

私も年金をもらえるようになって、それを「小さな二人旅」としてツアーに参加してみました。何かしっくりこない感じなのです。そこで「歩き遍路」と言う選択が出てきました。だから私としては「一緒に行ってあげている」と言う気持ちが強かったのです。

2回目を終えたとき、行くだけではつまらないのでは? と思い始めました。では想い出を書き留めておきましょうという気持ちになり、パソコンの活用にもなるし、それならデジカメの写真も入れてみようかしら…。そうすれば書くだけではなく割付のお勉強(元の冊子では写真もさまざまな大きさがありますし、文章の位置も変化がありますし、このブログのように一定ではありません。しかしブログで同じにするのは私には難しく、1本調子ですが、この形にしました)にもなるし、カメラの活用にもなる。希望通り1号1号自分では進歩してきたように思います。遍路の楽しみが2倍3倍に膨らんできました。周りをしっかり見ようとしますし、カメラに収めようともします。

「一気打ち」「一国打ち」「区切り打ち」それぞれの良さがあるでしょう。私達は「区切り内」をするので、良い点といえば、四国の四季を身近に見れるという事でしょうか。

花好きのわたしは鉢にちんまりと大切に育てている花が、自然の中で逞しく群生する姿を見て驚きと同時に強い喜びを感じました。その花の出自を知ることで、それからその花との接し方も適切なものになりました。遍路の効用の可能性は計り知れません。

しかし自分から求めなければ何も得られないのです。始の一歩が無ければ結願が無いが如く…。
    1冊目終わり         (1030回)
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 遍路 7 | トップ | 上坂冬子さん »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

思い出話」カテゴリの最新記事