ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

再び、沖縄戦

2007年11月06日 | 新聞から
              コスモス
            (武庫川河川敷)
         数少ない白とチョコレート色

雨の一日のはずが朝方に雨は止んだ。お寺さんも早く来られた。去年から広済寺では、若いお坊さんを3人ほど雇って檀家参りを手伝わせている。若いお坊さんはお経が長い。今日は一寸早く入れすぎてお茶が冷えてしまった。勿論同じ日蓮宗なのだが、読む箇所も所作も人によって異なる。初めは違和感があったが今では夫々違うのも又良いかなと思っている。

雨上がりで雑草が取り易いと思ったので、少し本を読んでから草取りをしようと、ソファーに寝転んで本を読んでいた。ド~ンと凄い音がして突き上げられるような感じを受けた。地震はユッサユッサと振れて、物の揺れる音がするものと思っていたが、この頃の地震はド~ンと言う音と縦に突き上げられる感じが多くなった。震源地は奈良だったそうだ。


「沖縄集団自決 検定前に戻してはならない」の記事。
沖縄戦の集団自決を巡る教科書検定問題で、複数の教科書会社が日本軍の強制性を復活させる内容の訂正申請を行った。これを受け渡海文部科学相は教科書検定審議会に再審査を要請した。

教科書訂正申請は教科書検定規則13条で認められているものの、誤記、誤植などの限られ、検定意見に関わる訂正は許されていない。

「集団自決は軍命令である」と言う記事を削除するなと言う、沖縄集会の11万人(実際は2万前後)と言う数に、唯驚き反応した渡海文部科学相の行動の責任は重い。

「沖縄集団自決はなかった」の記事に差し替えるには、色々と調べたのではなかったのか。其れをいとも容易く再度変更しようとする、教科書会社は自身では何も調べもせず、調べた会社に付和雷同しただけなのか。

決行の日付けさえ間違っている当時の記事を鵜呑みにして、現地を一度も訪れる事無く、転記したと思われる大江健三郎氏(だんまりを決めているのは、取材拒否か?)と現地に何度も足を運び、「軍の命令と言う証拠はなかった」と本を書いた曽野綾子氏。私は勿論後者を信じる。


3日の「浜村淳の映画の話」は「ひめゆり」と言う沖縄のひめゆり部隊のお話だった。監督が12年の歳月をかけて撮影した長編ドキュメンタリーだそうだ。自主上映で流石沖縄では何度も各地で上映されている。残念な事に大阪、神戸での上映は済んでいた。唯、来年1月の半ばに京都で上映されるらしいので、是非行って見たいと思っている。

沖縄の女学校、師範学校の16歳~20歳までの乙女が野戦看護婦として、傷付いた兵隊さんを世話するのである。彼女達の一番初めの仕事は、自分達の住む為の壕を掘る事であった。

沖縄に旅行した時、その壕の一つが見学のコースに入っていた。地下に掘られた小さな暗い洞穴だった。「こんな所に・・・」(当時の私はその穴が乙女達の手で掘られたとは知らなかった)と覗き込んでいた。その時、俄にスコールの様な雨が降ってきた。壕はたちまち水浸しになった。当時の凄まじい生活空間、足りない食糧の中、乙女達は兵隊の世話を続けたのである。

ひめゆり部隊を題材にした映画は昔見たことはある。しかし私も若かったからか、余り心に残っていない。今度京都に見に行ったら、しっかりと胸に刻み付けてこようと思う。今の私達の平和は乙女達や戦争で亡くなった人たちの犠牲の上に成り立っているのだと。

若者に街頭で聞いていた。「ひめゆり」を知っていますか?見当違いの答えが帰ってきた。「ひめゆり部隊」を風化させてはいけない。
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