ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

日本人の死に時

2007年10月25日 | 新聞から
              金木犀
          (見~つけた 塀越しに)

我家の金木犀が咲かなかったので、よそのお家で咲いていないかと、歩く道を変えながら探しました。ところが目に付きません。今年は駄目かな~と諦めました。何時もの道を歩いていますと「???」いい香です。見上げると金木犀が真っ盛りです。何時も通っている道なんです。だのに気が付きませんでした。今日は曇り空で空気も湿り勝ち、香も上らずに下りてきたのでしょうか?今年も見られて良かった。

先日、露天風呂に入って、風邪気味になってから敬遠していたので、久し振りに入ってみました。今日は熱めでいいお湯でした。1人の先客は薬の為に脱毛して、丸坊主の人でした。でも今日お会いすると頭の中央3cmばかり黒々と毛が生えてきました。人間の身体って凄いな~と思いました。薬気がなくなると元に戻ろうとするんですね。自然治癒力の素晴らしさを見ました。彼女はプールだけなので、たまにしか出会わないのですが、お会いするのが楽しみになりました。


医師で作家の久坂部羊(くさかべよう)氏が「日本人の死に時」と言う本を書いている。まだ読んではいないのだが、気にはなっている。内容的には病気の話が沢山出てくるのではないかと、気分が滅入りそうで手が出せない。

「そんなに長生きしたいのですか?」と言うサブタイトルがついているそうだ。「したいんですよ」と答える。「長生きは善である」と考える世の常識に鋭い一撃を加えていると言う。

日本一長寿の人がテレビに出て、その人が動いている時は「お目出度いな~」と思うが「寝たきりになっている」映像には、私だって「こんなになってまで・・・」と思う。でも考えてみれば、その方だって、寝たきりで100歳まで生きようと思ったわけではない。

久坂部氏はこの10年老人医療にたずさわってきた。そこで気付いたのが医療によって「死ねなくなった」現実だ。意識のないまま、治療を受けているために生きている。人としてにの行動は何一つ出来ないのに、生命維持装置で生かされている。家族にすれば、体温があるのだから出来ることはしてやりたいと思うのだろう。

脳血栓で倒れた義母が3ヶ月入院した時、その治療費の明細が送られて来た事がある。その金額は300万円に近かった。別にこれと言った治療を受けているわけではない、入院費、食事、リハビリと看護だけでなんでこんな費用が掛かるのかと驚いた。当時は寝巻きは自分のもので、私が毎日持ち帰っていた。

自宅看護になれば、往診代と薬代だけである。寝たきりの人間の看病による、精神的、肉体的な苦しみは身に沁みて解っているので、私が発病すれば病院に入れて呉れていいと思っている。ただ人様に医療費を負担して貰うのが心苦しいな~と言う気がする。

久坂部氏は「年を取ったら健康診断もいらないにでは」と言う。「人間ドックで異常が見つかったら、医師も本人も治そうとするでしょう。でも医療に頼らなくても直ってしまうものも多いし、逆にどうやっても治らないものもある。無駄な治療に苦しんだり、異常を知ったことがストレスになったりするくらいなら、知らない方がいい」と言う。

「健康診断に」に関しては同感である。異常を感じてからでいいと思っている。「早期発見」ではないので「手遅れ」だろうが、痛みと苦しみさえ除いてくれればいいと思っている。其れまでは「異常なし」のつもりで残りの人生を楽しんでいきたい。

この本もやはり読むのは止そう。ストレスになるような気がするから・・・。
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