ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

遍路 (33回)

2009年07月18日 | 思い出話
       平成14年10月2日 (木)  フェリーで帰宅


             宿毛 ~ フェリー ~ 帰宅

10月2日 17:35  ふじいさん  (送)
高知駅に居ます。三千院はもう紅葉でしたか?時間調整の為サウナに行きましたら、リニューアル工事で入れなかったので、仕方が無いので「くるりんバス」と言うのに乗り、図書館で新聞を読んで過ごしました。

17:48  ふじいさん  (受)
帯屋町のサウナ?残念でしたね。三千院はまだまだ紅葉早かったよ。1200年慶讃行事9月8日から10月8日までだったの。少し涼しくなるのを待ってました。お疲れ出ませんように。

21:45  かずよ  (送)
フェリーです。今回も無事済みました。四万十川が雨だったのが残念でしたが、でも一瞬だけですが薄日が差して雨が上り、写真が写せました。不思議でした。何度もメール有難うね。

21:50  ふじいさん  (送)
ハプニング続出の1日も終わりました。船も波穏やかで安心です。何時も有難うございます。感謝。

21:58  おちさん  (送)
フェリーです。有難うございました。今回もよい出会いがありました。嬉しいお接待も頂きました。又の日には宜しくお願いいたします。さようなら。

22:10  おちさん  (受)
こちらこそ有難うございました。次回も宜しくお願いいたします。


JR宿毛駅で時間待ちをしていると、偶然、宮地さんのご主人がこられました。奥さんがお遍路さんで、ご主人は今回の遍路の一部を同道されただけという事でした。
ご主人は山が好きで「信州の紅葉が私を待っている」と一足先にお帰りになるという事でした。昨晩は宿毛のビジネスホテルに泊まられたそうです。所が紹介されたそのホテルが昼間小火を出したとかで水が出なかった。風呂も隣で貰い風呂、都会なら考えられない事ですよねと大笑いしました。奥様がメールをされると伺い住所を交換していただきました。

奥様は足を痛められたのですが、続けて64番まで行くので、今そこで分かれてきたところと言われました。これが遍路の不思議なところです。もう一歩も歩けないと宿にたどり着いても、翌朝はしゃっきりと歩けるのです。皆様そのように言われます。何故でしょうか???

実はフェリーまで時間があるので、前回行ったサウナに行くつもりでした。所が着いてみますと、改装中でお休みでした。途方にくれました。3時間どうしよう?近所には映画館も無い。市役所に行けば座るところぐらいはあるだろうと、バスの車窓から見たその場所に向かってトボトボ歩いていきました。目の前に図書館が現れました。これは幸いと新聞を読んだり、書棚を見て廻ったりと時間を潰す事が出来ました。帰りは又「くるりんバス」と言う100円のバスに乗って高知駅まで帰ってきました。「くるりんバス」とは市内を東西と南北の2コースに別けて巡回し、何処までも100円と言うバスです。

バスといえば高知駅から高知港までのバスを待っていた時、20分も待ってやっと来たと思ったら、停まらずに行ってしまいました。そのバスしか港の近くに行かないのです。主人が次に来たバスの運転手に経緯を話して「あんたが悪いわけではないけれど…」といいながらも食って掛かりました。私が「椿のマークのついたバスでした」といいますと「会社が違いますが、私達の会社では必ず停まる事が義務付けられている…」と言いました。

私達と運転手の話を聞いていたお客さんの1人が「気の毒だから、終点まで行ったら、其処からタクシーを拾ってあげて」と千円をバスの運転手に言付けてくださったらしく、バスの終点で運転手がその事を私達に告げました。主人は又怒り出しました「私はごねているわけではない。バス待ちをしているのに停まらず行ってしまった事に憤慨している、そんなお金を受け取るわけに行かない。あんた気の毒に関係ないのに私に怒鳴られて、怒鳴られ賃にあんた取っとき」お金を運転手の手に残して、私達は次のバス(桟橋行きは1時間に1本だったから、停まらなかったバスの一時間後のバスと言う意味)に乗りました。

千円ものお金を私達に接待してくださった女の方に感謝しております。運転手さん、翌日の昼ご飯代になったでしょうか?


          10月2日  フェリー  (8泊目)

10月3日 5:48  ひろあき  (送)
お早う。間もなく南港に着きます。今晩から夕食ありです。

11:48  ふじいさん  (受)
お帰りなさい。私はXXさん(私)を目標に良い年をと何時も思って貴女に感謝の日々です。これからもよろしくお願いいたします。

19:25  ふじいさん  (送)
やっと落ち着きました。洗濯を済ませ、夕方までぐっすりと眠ってしまいました。夕食も終わりほっとしています。顔はまん丸、足は象さん、足の裏は犬のようにぷっくり腫れています。一生懸命に元に戻ろうと努力してくれている治癒力を助ける為に静かにしていますね。本当に有難うございました。では又。

19:27  ふじいさん   (受)
本当にお疲れ様。まだまだ若い回復力よかったな~。又ね。

19:59  うえきさん  (送)
無事帰宅しました。お心使い有難うございました。とても嬉しかったです。そちらは台風大丈夫でしたか?でも如何して私の携帯に?パソコンから?嬉しいと同時に不思議でした。

頂いたメールを始め、人の温かさにささえられ、今回も無事歩き終えました。

遍路の後半から咳が止まらず、帰宅して直ぐお医者様に見てもらいました。先生は私が年齢故に肺炎を心配され検査いたしました。その結果はシロとなりましたが、心臓に少々の肥大が見られる事、血圧が少々高い事が見つかりました。先生は「この度の風邪のお陰で体調の変化に気づいてよかった」といわれました。私もそう思います。普段は元気ですのでお医者様には風邪引きで1年に1度か2度ぐらい診て貰うだけですから、自分の体調の変化に気づかなかったと思います。

「血圧が遺伝するという事は解っていてもどのDNAががそれに当るのかはまだ解らず、東北大学でその研究がされたいるそうです。そのモニター(モルモットでしょう…私の心の声)になってくれませんか?新しく血圧に変化の出た人で無いとダメなんです。大学とパソコンで繋がった血圧計を差し上げますので(この器機にはHOMED-BP研究用これはあなた専用の血圧計です。他の人の使用厳禁)と書かれてあります。この器機で測った数値は全て貴女の数値となります」といわれました。OKしました。(現在も毎日の測定は欠かしません。アッという間に高血圧患者になって8年目に入りました。現在はお薬のお陰で安定しています)先生の次男(長男は、テレビで活躍している勝谷誠彦さん)もお医者さん(今年初めから代替わりして、今の主治医です)で現在は阪大病院に勤務だそうですが、彼の恩師の研究だそうです。朝晩に測り自分の為に記入し、2週間後お薬がなくなったとき、器機を持参し。コンピューターに接続して大学に送ります。すると表が返ってきて、薬などの指示が出されます。先生自身はコンピューターが触れませんので、隣の家に居る息子さんの奥さんが何時も呼び出されて(後には受付の方がされるようになった)接続しておられます。今ではもう慣れましたが、始はその器機を見ただけで、心臓がドキドキしていました。何でもなれるものですね。今では腕に巻く布の調節も上手くいくようになりました


   今回歩いた距離 (JR土佐佐賀 ~ JR宿毛駅)  151K 
   
     第1番札所からの第39番札所までの総距離数 616K


                              (1120回)
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 祇園祭 | トップ | 遍路  (34回) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

思い出話」カテゴリの最新記事