ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

遍路  (80回)

2010年01月23日 | 思い出話
               平成15年5月15日
             第73番 出釈迦寺と奥の院  



   距離:14K 宿~弥谷寺~曼荼羅寺~出釈迦寺と奥の院~甲山寺~善通寺(宿坊) (2)

第72番曼荼羅寺から 第73番 出釈迦寺 までは歩いてすぐ近くでした。
静かな道を歩きながら私はわださん(自宅も近く、唱歌の学校の友)に電話し
ました。昨日国道を歩いているときに電話が掛かり「車がうるさくて聞こえな
いので、夜掛けます」といいながら、夜は忘れてコテンと寝てしまったのです。

この道は静かなので掛けてみました。「高野山の声明」へのお誘いの電話で
した。何ヶ月か前、平野さん(唱歌の学校の友、もう何年か前に退学されまし
た)と「声明を聞きに行きたいが、どこかであると知ったほうがお互い知らせ
あおう」と話していたのです。私が出発前にネットで見つけたので、ひらのさ
んに渡してほしいとそのプリントをわださんに託していたのです。そのお返事
だったのです。「行くので、良ければ一緒にチケット買っておきましょうか?」
というお電話でした。もちろん「お願いします」と電話を切りました。


          

7月2日「高野山の声明」をひらのさん、わださん、私と3人で伊丹のいずみ
ホール聞きに行きました。

お坊さん20人の声明、確かに迫力はありました。黒い衣に白い袈裟、時に
は赤い房の小道具を持って、立ったり、片ひざ立てて座ったり演出満点でし
た。しかし「声明」はお寺で聞くものとつくずく思いました。

私は何年か前、奈良・吉野の奥の千本(桜)を見に行った帰りに、山のお寺
から聞こえてきた「声明」にしびれました。夕方のお勤めだったのでしょう。
もう一度「声明」を聞きたいと思っていました。そして、ネットで見つけた時は
本当にうれしかったのです。しかし舞台で行われる「声明」はあのときの感
激はありませんでした。

やはり「声明」は、仏様を感じる場所で聞くものだと思いました。それ以外の
場所で聞くとすれば、単独ではなく、いっそ何か他の楽器とジョイントした方
良いような気がしました。


これを打ち込んでいる時(7月10日)ショッキングなニュースが飛び込んできまし
た。「お遍路さん 実は11年前手配の男 NHK出演で発覚」「幸月(こうげつ)
さん」のことです。殺人未遂容疑、大阪府警逮捕。そりゃね、死ぬまで遍路する
というのですから、何かあるとは思っていました。でも容疑者とはね…思いませ
んでした。相手は亡くなっていないようですし、年も年ですから刑務所行きはな
いだろうと主人は結うのです。だたら、釈放された後どうするのだろう、遍路に
戻られるのだろうか?四国という土地は今まで通りやさしく迎えてくれるのだろ
うか?そうあってほしいと思いますが、24回周られるうちに罪を悔い、祈られ
たと思いますから。 



第73番札所 出釈迦寺 は弘法大師7歳のとき仏の道に志した場所として
有名です。

お参りを済ませ、納経所の前で休んでいますと、女の人が入ってきました。彼
女は言いました。「私は今から奥の院に行きますが行かれませんか?いつもな
ら歩いて上るのですが、今日は昨日の雨で道がぬかるんで車のほうが良いとい
われました。今、運転手さんがお昼ご飯なので待っています。今日は旧暦の4
月15日(今日は5月15日)でご縁日です。奥の院ではお接待の簡単なお食
事も出ます。私の母が来ていたのですが、足の具合が悪くて、私が代わりに来
ました。ご一緒しませんか?」とお誘いを受けました。私たちは今日は時間の
余裕もあるし、行ってみることにしました。



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