ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

平成22年の御正月 (3)

2010年01月06日 | 今日この頃

                  神戸・湊川神社の絵馬 (2010-1-4)


          私たちは「湊川神社」とは呼ばず「楠公さん」と呼んでいました
                 楠木正成公をお祀りしているからです


1月4日: 神戸の「楠公さん」と「生田さん」に初詣に行ってきました。
主人は自動車の中で3時間はしんどいと「橿原神宮」に行かなかったか
らです。

私は「生田さん」の氏子ですから、毎年行っているのですが、「楠公さん」
はお正月に行くのは初めてです。

でも「楠公さん」には思い出がいっぱいあります。「楠公さん」の道を隔て
た正面に、大きなお茶屋さんがありました。そこの末娘と仲良しだったの
です。彼女も私も校区外で、市電で通っていました。昔の交差点ではおま
わりさんが笛(ホイッスル)を吹いて市電の整理をしていました。

私たちは学校が終わると学校のある平野から彼女の家、まで歩いて帰り
ます。子供の歩く距離とすればだいぶあると思います。でもちっとも退屈し
なかったのです。彼女がとても話し上手だからです。見てきた映画や宝塚
(彼女は久慈あさみの大ファンでした)の事など話してくれるのです。私は
それがとても楽しみでした。

そのとき「楠公さん」を横切るのです。何のおまつりかは知りませんが、お
祭りのときは「屋台」「覗きカラクリ」や「見世物小屋」が並びます。その前を
一軒一軒覘きながら帰るのです。

彼女の家で一休みしてから、私はまた市電に乗って須磨まで帰るのです。
そこで出してくださるのが「グリン・ティー」なんです。さすがお茶屋さんで
す。今は当たり前の飲み物ですが、当時は一般には飲まれていなかった
と思います。

帰るという私を「もう少しもう少し」と引き止める日があります。それは「お茶
のお稽古」の日でした。お母さんが何度も呼びにこられます。「お友達がい
るから!」と彼女は行こうとしません。中学生だった彼女は「お茶のお稽古」
に興味がなかったのでしょう。今思えば、彼女のお母さんからすれば、私は
印象の悪い友達だったでしょうね。

今でも「同期会」とかメキシコのおゆきさんが日本に来られた時とかにお会
いする機会がありますから、友情は細々と続いていると思っております。

小学校時代の仲良しさんもお話の上手な方でした。本が好きな人で、読ん
だ本の話や、見た映画の話をしてくれました。

このお二人の出会いが私に「聞く」事の楽しさを教えてもらったと思ってお
ります。言い換えれば「想像力」が豊かになったということでしょうか?

戦後間もない、みんなが貧しい世の中でしたが、一人は神戸一大きなお
茶屋の娘さん、もう一人はお父さんが外国航路の船長さんでしたから、当
時としては豊かな生活だったと思います。その人たちから、私は「心の豊
かさ」を頂いたと思っております。それはその後の私の人生を「前向きに」
してくれたと思います。友の生活の豊かさを羨みもせず、僻みもしなかっ
た私も偉かった!と自画自賛で平成22年の正月を締めくくりましょう、 
ウフフフフ…。

コメント (2)
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