ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

遍路  (79回)

2010年01月10日 | 思い出話
               平成15年5月16日
       第71番札所 弥谷寺  第72番札所 曼荼羅寺 



距離:14K 保し屋旅館 ~ 弥谷寺 ~ 曼荼羅寺 ~ 出釈迦寺 ~ 甲山寺 ~善通寺(宿坊)  


5月15日2:59  こばやしさん  (送)
今「ほし川」にいます。近くに大きな運動施設があるそうです。小~大学生の合宿に使われ
るようです。ゆえにそれなりの施設、料理です。今夜は私たちだけですが、昨夜はお遍路さ
ん6人だったそうです。そのうちの一人の人が荷物を置いていて「掛け軸」を置き引きされた
そうです。遍路も終わりに近づくと置き引きにあうからと聞いていましたが気の毒ですね。
宿賃は遍路割引500円で5000円です。今夜善通寺に止まります。そのために昨日今日
は短距離です。昨日は雨だったのでそれが幸いしました。3時前に宿に着きまた。

9:07  こばやしさん  (受)
私たちの大事な人が歩いているのに傘マーク落ち着きません。雨の日も風の日もあっての
遍路かもしれないと思いつつですが、風邪を引きませんように、転びませんように、今日も
気をつけてお参りしてください。置き引きの件そんなひどいこともあるのですね。今日はいよ
いよ空海の生誕の地ですね。がんばってください、

  
  
                 うどんを打つ為に「麦」でしょうか

20:59  やすながさん  (受)

お元気ですか?雨に濡れて…体調は大丈夫ですか?○○産(私)がたつ前のほうがこちら
の川の可動式の橋が一時通行止めになるほどの水嵩でしたよ。女体山?とか…にも向か
ったでしょうかしらね。

23:35  やすながさん  (送)
雨は昨日降りましたが、2ヶ寺廻りますときは降っていませんでした。宿に向かいますときに
降りました。今日は時々時雨れただけでした。5ヶ寺廻りましたが曇りでした。女体山は88
番直前の山ですので秋になります。明日5ヶ寺回れば予定終了です。


                  第71番札所 弥谷寺(いやだにじ) 山門
    
    
                山門からの石段は500段以上あります。

第71番札所 弥谷寺 は山に向かって登りつめ、そこからまた階段を500
段以上登ったところに本堂があります。太子堂が多宝塔がそれぞれの小さな
平地に建っています。その平地を結んでいるのが階段です。太子堂は屋内に
あり、靴を脱がなければりませんでした。主人が、鈴を落としてしまい、寂しい
から新しいのを買うといい、ここで求めました。(結局、この鈴もまた落とすの
ですが…)弥谷寺への要り口の手前に「道の駅」があったので、帰りはよって、
食事をしようと言っていたのですが、相当の距離を登ってきたような気がしま
すし、お坊さんが72番曼荼羅寺へは俳句茶屋を出外れたところに左側に遍
路道の入り口があるので、その遍路道を行くようにと教えてくださったので教
えられた道を行くことにしました。




                        参道途中の「俳句茶屋」

俳句茶屋に「あんこもち」があったので、2つはその場で食べて、残りはお3時
にでもしようと買いました。お茶を入れてくださってお餅を食べていますと、青
年が降りてきて隣に座りました。店の亭主がお茶を接待してあげました。彼は
自転車遍路だそうです。今回で2度目で、本当は歩きたかったけれど、会社の
休暇が2週間しか取れなかったので自転車にしたこと、ほとんど野宿であるこ
となどを話しました。

お3時にでもと残してあった「お餅」を彼にお接待しました。四国路は接待され
たり、したりと心を通わす温かい道です。「情けは人の為ならず」いよいよ「四
国病」の気配濃厚なりや???




教えられてとおり遍路道に入りました。竹やぶの木漏れ日の差すいい道でし
た。前日の雨が竹の汚れを洗い流し、静かに、清く私たちを迎えてくれました。
四国は竹林の多いところで、何度この静けさを味わったことでしょうか。

遍路道を抜けたあたりはもう善通寺市です。大きな溜池の中に白鷺の像があ
るな~と見ていました。見ていると飛んだのです。「私は像ではないよ! 生き
ているよ」と言わんばかりに大きく羽を広げて頭上を旋回しました。主人は「鶴
だ!」と言います。なぜなら「鶴林寺」が「鶴」という字だから…と。そう言われ
れば…、されど昔はいざ知らず、四国に「鶴」は聞いたことがない。どう思いま
す?(北海道で頭上を飛ぶ鶴を見ましたが、この鳥より随分大きかったですよ)




第72番札所 曼荼羅寺 はこじんまりしていました。しかしこの寺にはどの本
を読んでも「不老の松」通称「笠松」、唐から帰ったお大師さんが母の菩提を弔
う為に唐から持ち帰った曼荼羅を収めたときに寺の名を改名し、そのときお手
植えされた「松」があるというのです。大きな松の写真も見ました。だのにその
松は私の目には入らないのです。何故だ?? 見ないで、惜しいことをした!!
…と後悔しきりでした。

樹の高さ4m、東西47m、南北18m菅笠を伏せたような形ゆえ「笠松」となず
けられた。本を調べているうちに判りました。私の目に入らなかった理由が…。
平成13年に枯れていたのです。命あるものいつかは朽ちる。「笠松」も1200
年の命を終えていたのです。2年早ければ見れたかも知れない。でも勢いのな
くなった「笠松」を見るより、見ない今が良かったかもしれない。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする