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ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

9月1日

2019年09月30日 | 読みました

 

この題名を見たとき、何も考える事無く、買いました。

 

9月1日は私の誕生日です。

こんなことって、なかなかないことでしょう、

私は希林さんが好きだったのですもの。

もっと長生きしていただいて、彼女なりの老いのお姿を見たかったです。

 

 ・ 生命の不確かさとしなやかさ

・「勉強は年がいってからは出来ない」と誰が決めたの

 

 

 

沢山沢山心を打つ言葉がありました。

でもすぐ忘れてしまいます。

それでも良いと、私は自分に読書を許しています。

 

也哉子さんは御母さん似ですね。

テレビで見ると目元、口元がそっくりです。

話し方も、低い声も…。

親子ってこんなにそっくりな人達もいるのだと、感心しました。

 

私の母は上等の美人でしたが、私は違います。

会った人は皆さんそう思われたと思いますよ。

性格は似てるかな? 愚痴を言わない、世話好きだ。

 

60歳前に亡くなった母の面影は、今の私よりづ~と若いよ!

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満願

2019年09月17日 | 読みました

この方の作品を読むのは初めてです。

なぜだか分からないのですが、今まで読んできた、小説と違うな~と感じたのです。

読み終えた今となっては、何故そのように思ったのか分からないのです。

読みやすかったです。

 

でもこんなに作家が次々と出てこられると、

一人の方のものを、じっくり読むということがなくなるように思います。

これで良いのでしょうか?

新らしい人の物を手に取る私のせい?

皆さんはこの人と決めて読んでいますか?

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ことり

2019年08月30日 | 読みました

 

 

ことりが人間の言葉を解して物語るというお話.

 

それは今は亡き兄の行動を憶測したもので、弟の私しか解しない言葉を持つ兄だった。

他の人は兄の言葉を、行動を理解することは出来ず、

お互いに分かりあうことは出来なかった。

 

見難い画面でごめんなさい。

一生懸命いつものように打つのですが、

どうしても思うように出来ません。

どうも「7」しか知らないのに、今の常道「10」ぐらいに勝手に変更になったのだろうか?

 

私にはどうすることも出来ません、そのうちなれてくると思うので、

待ってください。 お願いします。

 

夕べの雨はすごかったです。

地を叩きつけるような雨の音。

廊下を挟んで2枚の戸、突き抜けて音が聞こえます。

 

今は静まっていますが、今日のお天気が気に掛かります。

                                           (第3460回)

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夏の騎士

2019年08月27日 | 読みました

 

 

今、本屋さんの一等地を占めているのがこの本です。

私はあまり宣伝していない頃に買いました。店頭に出た日だったかしら。

「ベストセラー」なんですね。

 

本屋さんに行きました。主人の愛読している月刊誌の発売日でした。

勿論、私もパラパラと読ませてもらいます。

 

いつもの百田さんの本とは傾向が違っていたと感じました。

大人の小説と言うより、私には思春期の頃読んでいた、

「純愛小説」と言う感じでした。

 

その頃はおこずかいも少ないし、1冊新しい本を買うより、

貸本やさんで借りた方が、新しい本を買う金額で数多くの本が借りれますから。

何しろ、いつも読む本が手元にないと…、と言う女の子でした。

 

「読書家」と言う言葉があり、私もその中に入るとは思うのですが、

本が好きで読んでいるというだけで、取り立てて自分が「読書家」と

思ったことはありません。 本好きで、そんなこと思う人居るのかしら?

 

 

 

 

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ある小さなスズメの記録

2019年08月05日 | 読みました

行が歪んでしまってごめんなさい。

まだなかなか自分の思うように利用できないで居ます。

 

 スズメを擬人化して書いているのね。

勿論、作者は人間だけれど、スズメからこう見えるかな?

と言うことだと思うのです。

 

私も小説家になりたいなんて思った時代がありました。

中学生のときでした。 なぜそんな気になったのか?

文才も、文章を書く知識もないのに…、

そういうお年頃だったのでしょうね。

 

内容はいつも「片思い」。

実際は「恋」も知らない、小説の中でしか知らないことですからね、

そんな時代もあったのだと、苦笑しながら、思い出しています。

寝入るための頭でね。

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ある小さなスズメの記録

2019年07月17日 | 読みました

 

スズメが物語っている本です。

スズメがこんなに人間の心が分かっているとは知りませんでしたし、信じられないです。

本当? やっぱり物語よね~!

でも 「実録」 って書いてあるから、本当のお話なのよね。

 

大げさではなく、幼稚園の 「キンダーブック」 から始まって数千冊、いやもっとかもしれない、

私の読んだ本の中で、こんな不思議な気持ちにされた本は、初めて。

また、どんな本に出合えるか、楽しみが増えました。

 

今、読んでいる本が、又、部厚いのよ。私は部厚い本が好きなので、いいのですが。

読んでも読んでも減らないな~って感じ…。

 

薄い文庫ですが、「早く最後までいって! 」 と思いながら、とはいえ読み残す気持ちもなく、

読みきりました。

 

 

 

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2019年07月12日 | 読みました

 

近松門左衛門の時代から数百年後、同じ「淨瑠璃 作家 近松半二と言う人が

おられたのは、まったく知りませんでした。

 

ただ、淨瑠璃も二回見に行ったことがあります。神戸の友人と尼崎の友人と、

大阪の道頓堀だったと思います。 ここはかっては浄瑠璃の館が、目白押し

の町だったようですが、その話を聞きつつも、一軒だけ残った会館でした。

今は一軒しかありませんが、昔は、私の20代にはまだ数件在ったと記憶し

ています。

 

その光景を瞼の裏に浮かべながら、読みました。

 

我が家の菩提寺には「近松門左衛門」のお墓があります。

小さなお墓だったのですが、今は、石垣に囲まれてある程度の大きなお墓に

なっています。 

 

当時、近松文学に小さなブームが起きたからです。

先代の住職さんが整えられたと記憶しています。

 

住職さんのお世話で「文楽」を見に行ったこともありました。

帰途、数人で、檀家さんでもあり、劇団員でもある人の、

お店にもつれていってもらいました。

 

なんとなく「近松さん」にご縁があるな~と思っています。

 

 

 

 

 

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百花

2019年07月02日 | 読みました

 

 

 

                     

 

                                             百花     川村   元気

 

言葉を失い、名前を忘れてしまったとしても、泉(息子)との思い出だけは残るのだろうか。

いつか名前だけではなく泉そのものを忘れてしまったら、母の中に何が残るのだろうか。

 

「認知症」 この言葉が私の胸の底に静まっている。

なったら? 自分は何も分からなくなるのだから、どうしようもないわけで、

「認知症」を専門の「病院」があるが、入るときに大金が居る、話の中では、

今まで住んでいた家、土地を売って造る。 しかし病が重くなったとき、その専門病院に

替われと言う。 しかし、お金を入院時に使っているので、大金はもはやない。

安い金額の病院(快い看護のない)しか入れない。

本人は分からないけど、身内のない人は、どうする?  

病院同士が「阿吽」の呼吸で患者のやり取りをするのだろうか?

 

どうするのだろう…。 ただただ、寝たきりにならないことを祈る。

寝たきりの看護がどれだけ大変か、義母を看取った私は知っている。

 

身にしみて、考えさせられた本でした。

 

 

 

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長いお別れ

2019年06月21日 | 読みました

 

認知症を患って、死に至るまでを、長い期間の間患うことを「長いお別れ」って言うのですって。

「長いお別れ」と呼ぶのは、その病気を得て、少しずつ記憶を失っていく、

『ゆっくりゆっくり遠ざかっていくから』 書いてあります。

 

今の時代のように「認知症」と言う言葉が使われていない時代に、私は義母のお世話していますから、

今が死がどのような扱いになっているのか知りません。

お世話する年より、される年になっています。

 

この本を読んでいて、身にしみる、経験した描写が多々ありました。

年老いた親を身近に置き、世話した経験のある人なら「そうだったそうだった」と言う気持ちだと思います。

 

でも一人よりは施設に入って、人の輪に入ることを望み、家土地すべて処分して、良いと思った施設に

入ったのに、その人の全財産であろうとなかろうと、何千万円と言うお金を積んでも、「認知症」が

出てきたら、施設を出ることを迫られるとは、知りませんでした。

その上、お金が全部返ってくるとは限らないと言うのです。

代金を、土地、家をすべて売って、お金を作っているのに、どう生きよと言うのですか?

 

私は不自由なく生きてこれたのは、主人のおかげと思っていますし、私は主人より7歳下ですから、

死は年の順ではないかも知れませんが、私が残る可能性大だと思うので、見送る覚悟は出来ています。

そうすることが主人にとっては一番の晩年だとも思っています。

 

残った私? ピンピンコロリを目指します。 

 

これから老親を見送る予定の方が、読んでいただくと良い本だと思います。

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鏡の背面

2019年06月18日 | 読みました

 

 

 

                   鏡の背面       篠田 節子

この本も又私には難しいものでした。 分厚い本です。それは良いのです、

私は分厚い本が好きなんですから。

 

2/3ぐらいからなんとなく理解できるようになりました。

小説の形が昔と違ってきたのか? と言うことを感じます。

 

他人に生まれ変われるものだろうか?

二人の女性が出てきて、一人は死に、もう一人生きている方が、

死んだ人になろうとする。たとえば、加害者が死人に入れ替わろうとする。

何のために? これも分からない。そこが小説?

 

読書感想文を読まして頂くと、その方達は理解できているようです。

 

でもやっぱり読書は止められません。自信をなくしながらも、出来るようになると、

信じて読み続けます。

                                               (第3430回)            

 

 

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